侵略
2026年(令和8年)1月6日午前3時【地球欧州スコットランド ニューグラスゴー国際宇宙空港 日本マルス交通206便】
地球初の国際宇宙空港から1機のマルス・アカデミー・シャトルが離陸した。
乗客の大半は火星から派遣されていた英国連邦極東軍交代要員と、地球復興局所属NGOの職員達である。
乗客はどんどん遠ざかる灰色の大地と薄暗い海、迫りくる漆黒の宇宙空間に魅入っていた。
「かくして、英国王室の血筋は遺される……か」
真っ暗な宇宙空間に、ポツリと浮かぶ地球を視界に収めながら東山が呟く。
英国女王陛下を始めとする王室メンバーの懇願により、皇太孫とお付きの侍従がこのシャトルに同乗している。
月面都市ユニオンシティにある英国連邦極東大使館で職員に引き継げば、東山の当面の任務が終わる。
「イワフネハウスの食事が懐かしい」
東山は久しぶりに火星日本列島へ”帰国”したら、最初に海の幸を堪能すると決意しながら暫しの間、瞼を閉じるのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同時刻【地球北米大陸 ユニオンシティ(旧アメリカ合衆国)ネリス州(旧カリフォルニア州)グルームレイク 戦略秘密基地 エリア51】
火山灰が一面に降り積もる地上に地下200メートルを超える深さの格納庫がエレベーターでせり上がると、白い袋を被ったようなレーダードーム列が姿を現した。
白い袋の中には大出力電磁波照射アンテナが装備されており、そのアンテナ列が灰色の空の一角を向いた。
やがて地下司令部から照射開始の命令が下ると、一斉に白いドーム列から膨大な量の電磁波が照射された。
この強大な電磁波は、各海域に展開していたユニオンシティ防衛軍原子力潜水艦の超長距離通信電波により、辛うじて地球磁場を維持していた電離層に反射、アジア・アフリカ地域、南米と月面都市に次々と降り注いだ。
これらの地域で生存していた人類は、電磁波干渉により脳細胞が振動して脳機能が麻痺、思考中枢にヴォイニッチ手稿の溶液イメージを強制投影され、思考の現実化作用によって自ら次々と液体化していった。
深海で待機中の英国連邦極東やユーロピア共和国所属の戦略原子力潜水艦、地下都市へ移住を完了していたイスラエル連邦や山中深くシェルターに潜むスイス連邦、電磁パルス防御を施していた施設だけが電磁波照射から逃れられたのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同時刻【月面都市ユニオンシティ 行政庁舎】
エリア51占領部隊全滅の報告を受けたソーンダイク代表は、焦燥感を募らせていた。
「これ以上、マッカーサーの好きにさせるな!衛星軌道上から、核攻撃でエリア51を地上から消し飛ばすのだ!」
「しかし、放射能汚染が……」
新任の補佐官が懸念を示す。
「今、奴を葬らないと人類が滅亡してしまうぞ!」
ソーンダイクが苦渋の核攻撃を決断した。
「ラグランジュ・ベースに駐留している宇宙戦艦を、全て衛星軌道上へ移動させるんだ!」
「サイバー攻撃で宇宙艦隊が乗っ取られませんか?」
月面安全保障補佐官が問う。
「無線封鎖で外部との接触を遮断して対応すればいい。万一の場合、地上のジョーンズ将軍に攻撃を委ねる……」
「ジョーンズ司令は、オーストラリアで危機的状況にありますが?」
「わかっている。火星でも、エリア51のサイバー攻撃が及んだようだ。人類都市ボレアリフとの通信が不安定になっている」
苛立たし気にソーンダイク代表が言った。
手詰まり感漂う中、追い打ちをかけるような非常サイレンが会議室内に鳴り響く。
「今度は何だ!?」
「エリア51から強力な電磁反応を探知!地球各地と月面に照射されています!」
「ユニオンシティ全域に非常事態警報!」
「直ちにシャトルで脱出だ!可能な限り、火星へ急ぐんだ。列島各国駐留軍に協力を要請しろ!」
「電磁波さらに増大!生体維持が危険レベルです!」
「「ぐわあぁぁ!」」
会議室に居た全員が、激しい頭痛と眩暈に襲われ、頭を押さえてその場で蹲った。
「—――—――マッカーサー貴様ぁっ!」
激しい頭の疼きに堪えながら、ソーンダイクが呪詛を吐こうとした瞬間、室内の全員が人の姿を失い、床に溶け落ちた。
この日、ユニオンシティに在留していた20万人を超える民間人と、列島各国駐留軍隊員が物言わぬ液体となった。
♰ ♰ ♰
月と地球の中間地点付近を航行していた、月面都市行の日本マルス交通マルス・アカデミー・シャトルは、ラグランジュ・ベースから国際宇宙救難信号を受信した為、航路を変更してラグランジュベースに機首を向けた。
シャトルへの誘導管制が一切行われず、こちら側からの呼びかけにも応答しない事に不審を感じた機長は、副操縦士に火星日本列島横浜本社への緊急報告を指示した上で、ラグランジュベース民間宇宙港に向かった。
「……おかしい。通常、軍民共同施設の場合は軍の管制官から誘導指示が出るが一切応答しない……」
かつて航空自衛隊千歳基地所属の輸送機パイロットだった、初老の機長が首を傾げる。
「まさか、我々をおびき寄せる為の罠でしょうか?」
在日米軍横田基地を退役した副操縦士が訊く。
「ユニオンシティ防衛軍が、今更民間シャトルを人質に取ってどうするというのだ」
機長が肩を竦めて視線を前方に戻すと、不可思議な動きをする艦影を発見した。
「あれは……ユニオンシティ防衛軍の戦艦だな」
機長が、右前方を漂流する1隻のユニオンシティ宇宙軍戦闘艦艇を指さした。
戦闘艦艇は、船体各所の航行灯が点灯しているものの、姿勢制御に失敗して前後にゆっくりと回転しながら、何もせずに地球方向へ漂って行った。
「あのままでは、太陽系から外れてしまうぞ!?」
機長と副操縦士は唖然としながら漂流していく戦闘艦艇を見送った。
ラグランジュ・ベースへ近づくにつれ、何隻もの漂流艦艇に遭遇した民間シャトルは、ラグランジュ・ベースの管制空域に入った。
「まもなく民間駐機区画に入ります。誘導ビーコンありません!」
「慌てるな!ゆっくり慣性航行だ」
機長が乗客に英語でアナウンスを行う。
『こちら機長。突然ですが、お客様にご報告申し上げます。
当機は先程ラグランジュベースから国際宇宙救難信号を受信、現在航路を変更してラグランジュベースへ航行中です。お客様にはお急ぎの所ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません。状況を確認次第ご報告致します』
地球欧州イングランド島ニューグラスゴー基地から搭乗した客の大半は、英国連邦極東軍の交代要員かユニオンシティ難民高等弁務官事務所所属のNGO職員である。
彼らは機長のアナウンスを真剣に受け止め、騒ぐこともなく、窓から煌々と輝くラグランジュベースの灯りをじっと見つめるのだった。
「機長、あの区画ならば駐機出来るかと」
副操縦士が基地ターミナル脇の空間を指した。
「よし、慎重に横付けしろ。向こうからタラップの接続は無いと思えよ」
「はい。乗客の中から、救助に協力してくれる方を募りましょう」
『こちら機長。間もなくラグランジュベースターミナルに自力接岸します。
今までの所、ベースからの誘導及び通信が一切ありません。これは異常事態です。
我々は、自力で救助現場の確認をせねばなりません。大変恐縮ですが、お客様の中で宇宙空間活動経験のある方、又は訓練を受けられた方のご協力を要請いたします。
最寄りの客室乗務員までお声がけください』
10分後、乗客の一人だった英国王室護衛任務で随行していた近衛兵が志願して、副操縦士と共に宇宙服に着替えてシャトルの外へ出た。
シャトルは基地ターミナル口に密着するように接舷すると、乗降口から副操縦士達が出て、ターミナルのエアロックを解除して施設内へと入っていく。
「おい……。これはいったい何だ!?」
救助要員に志願した英国王室近衛兵が、茫然としながら眼の前を漂う多数の赤と黄色が混じった水の塊を指さした。
「酷い水漏れだな、これは」
副操縦士が顔を顰める。
「生命維持装置の誤作動でしょうか?」
「まさか!軍事施設がそんなイージーミスで麻痺する事は無い。施設全体で何かが起こったのだろう」
副操縦士と近衛兵が会話しながら辺りを調べる。
「やけに衣服が所構わず散乱しているな。わが隊ならば、整理整頓の不備は一週間の外出禁止だぞ……」
英国王室近衛兵が呆れたように言う。
「しかし、自動小銃も衣服と放置するなんて変じゃありませんか?」
「軍紀の乱れだけでは説明出来んな」
二人は嫌な予感を感じながら立ち入り禁止と表示されているものの、扉が開け放しのコントロール・ルームに足を踏み入れた。
「うわっ!これは!」
「全員その場で……何が!?」
管制室内の機器は正常に作動している様だが、制御卓に向かい合って居る筈の管制員は座席にぐっしょり濡れた制服とヘッドセットを残したまま、一人も見当たらなかった。
副操縦士は、管制室の通信機器を使って機長にベース内部の状況を伝えた。
英国王室近衛兵はユニオンシティ駐在英国連邦極東大使館に緊急通信を試みたが、誰も応答しなかった。
ラグランジュベースの一角で、彼らは途方に暮れるのだった。
いつの間にか座席で寝入っていた東山が、英国王室の侍従達に叩き起こされたのはすぐ後の事だった。




