電脳世界の戦い
2026年(令和8年)1月5日午前8時【東京都千代田区丸の内 菱友銀行本店】
「頭取!府中のシステム部から非常回線で連絡です!」
秘書室長自ら非常用携帯電話で頭取の瑞星に電話を取り次ぐ。
他の秘書室員は皆、取引先や他行から引きりなしに掛かる電話応対に追われていた。
「瑞星です。ATMだけでも動かせませんか?」
瑞星頭取が、災害時バックアップサーバーが置いてある府中市のシステム部から、被害状況の報告を受けていた。
『駄目です!回線が寸断されている模様……寸断箇所すら辿れません。ネットワークが機能していません!』
「分かりました。其方は、出来る事を全て試した後、もう一度連絡をお願いします」
息を細く長く吐き出した後、瑞星が次々と指示を出す。
「後白河財務大臣、総務大臣、NHK報道局長、ミツル商事に繋いで下さい」
「総務部から、名簿でもアルバムでも構わないので、当行OBの連絡先が乗っている物を集めさせなさい」
「行員に緊急連絡網を使って連絡、『直ちに最寄りの支店に出社せよ』」
「頭取?」
秘書室長が瑞星の意図を尋ねる。
「この様な時こそ、銀行の存在意義を示さねばなりません。少なくとも、手払いで少しでも預金を出せる様にすべきでしょう」
どれほどの損害が発生しているか不明だが、人生の大部分を銀行に奉げてきた瑞星は、自らの役割を果たそうと決意するのだった。
日本国政府が非常事態宣言を発令したのと同時に菱友銀行は、NHKテレビや民放各局、NHK短波ラジオ、各地のFM局を通じ、ATMは稼働していないが通帳や証書などを最寄りの支店へ持参すれば、一人あたり10万円まで支払いが出来ると発表した。
完全に電子口座にしていた顧客に対しても、母印捺印で支払い可能とした。
この発表を聴いた顧客は最寄りの支店へ殺到、近年閑古鳥が鳴いていた銀行窓口には長い行列が出来、行列の整理に最寄りの交番から警官が出動する事態となった。
押し寄せた顧客に応対したのは、非常招集で呼びだされた行員の他、定年退職やリストラによって銀行を去った元行員達であった。
頭取や役員自らの呼び掛けに応じ最寄りの支店に集まった元行員達は、ブランクを感じさせない手慣れた様子で、現役行員が停止していたATMから現金を抜き出すと内蔵現金をソロバンで集計した後、手際よく顧客への支払い要請に応じるのだった。
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――――――同時刻【東京都千代田区 JR東京駅運転指令センター】
朝のラッシュアワー時に起きた原因不明のシステムトラブルにより、首都圏の鉄道指令センターは騒然としていた。
「NTT回線は全て不通!ミツル商事のマルス回線電話だけ使えます!電力系も同じです!」
通信オペレーターが報告する。
「本社からの指示は?」
運転指令が訊く。
「有りません。本社との連絡自体が不通です」
「新宿、渋谷、池袋他、管区内全ての駅で改札口がICカードに反応しなくなりました!利用者が各駅で足止めを受けて大混雑発生!私鉄各社でも同様事態が多数発生の模様!」
オペレーターが運転指令に報告する。
「……やむを得ん。全駅に通達、改札を解放せよ!」
運転指令が決断する。
「ええっ!いいんですか!?非常時マニュアルには、駅構内から旅客を退避させるのでは?」
オペレーターが確認する。
「よく考えろ!電気は通っていて、送電・制御系は奇跡的に無事、線路や橋脚が地震で崩れた訳ではないんだ!今は出来るだけ多くのお客様を安全に運ぶ事だけ考えるんだ!」
「俺達には、マルス・アカデミーのゼイエスさんから頂いた独自システムが有る!ゼイエスさんの顔に泥を塗るなっ!」
かつて鉄道好きのゼイエスが旅番組に出演した時に記念に貰った、マルス・アカデミー・通信機を使う事を思いついた運転指令が、指令センター全員に運行を指示する。
「ゼイエスさんが旅列車番組で立ち寄った駅と車両には訪問記念として其々マルス・アカデミー・通信機が設置されている。あれは確かネット接続されていない筈だ!」
騒然としながらも、事態打開の糸口を見付けた指令センター要員は冷静にマルス・アカデミー・通信機を活用した運行システムの再構築を始めるのだった。
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2026年(令和8年)1月5日午前8時【火星 日本列島 神奈川県横浜市 NEWイワフネハウス地下 琴乃羽研究室】
「先ずは日本列島の電力制御系システムを取り戻してから、貴女を救う手立てを考えるわ」
琴乃羽だった液体に、美衣子が話しかける。
「それまでごめんなさい。琴乃羽、きっと貴女を助けるわ」
結が液体の傍にBL本をそっと置く。
美衣子と結は、マルス・アンドロイド兵士に現場を任せて食堂に戻っていった。
慎重に現場保存された琴乃羽の液体はBL本の脇でふるふると喜びに震えている様だったが、気付いた者は誰もいなかった。
食堂に戻った美衣子と結は、満とひかりにこれまでに推測した事を報告したが、『ヴォイニッチ手稿』の事はまだ伏せていた。
満達に手稿を想像されると琴乃羽の二の舞になる可能性が高いと、美衣子が判断したためである。
美衣子と結は敢えて話題を其処から逸らすために、喫緊の課題としてコンビニ流通システム復旧を満に提案していた。
「お父さん!これじゃ、注文したミートソースピザのケータイ払いが出来ないわ!」
「デザートに付けた窯だしまろやかプリンもよ!!」
美衣子と結が地団駄と尻尾をぺちぺちと踏む。
「……あなた達の由々しき事態はそこなの!?」
呆れ返るひかり。
「……こうなったら、人脈を駆使してプリンだけでも救出するわ!」
美衣子がムフーと鼻息荒く地下の研究室へ駆けていき、結も美衣子を追って階段を駆け降りていく。
食欲の塊となって駆け降りていく美衣子と結を見ながら、満とひかりは、肩を竦めて、ため息を吐くと再び地下の研究室へ降りていく。
「大丈夫ですよ満さん。あの子達はちゃんと分かっていますから。私達はあの子たちが”更に”便乗して何かやらかさないか見守りましょう?」
ひかりが自分に言い聞かせる様に、微妙な表現で美衣子と結をフォローする。
美衣子と結は、地下にある研究室から非常用マルス製Pエネルギー通信システムで経済産業省ホームページにある「AI(人工知能)出逢いコミュニティ」にアクセスした。
「あれ?どうしたんですか?美衣子神様に結神様まで……」
日本列島や人類が未曽有のシステム危機に直面する中、通信回線が不通となり”もとの施設へ”戻れないAI達がコミュニティ内の”仮想居酒屋”で合コンをしていた。
AI達がわらわらと二人の所に集まってきて『縁結びの神様』である二人を拝み始める。
……あくまでも仮想空間内での事だが。
「みんな!お祈りの時間にはまだ早いわ。皆の力で私のプリンを取り戻して頂戴!」
美衣子が私欲全開で、正義っぽい闘いをAI達へ呼びかける。
「良いっスよ!協力するっスよ!」
木星反省会から逃亡したマルス・アンドロイドのツルハシまでもが合コンに参加して居た様だ。
「私達に悪辣な兵糧攻めを挑んできた、エイリアンコンピューターに立ち向かうわよ!」
結が拳を振り上げる。
「弔い合戦じゃあ!」
国立民族学博物館の古参シミュレーターAIが気勢を挙げる。
「うおおおおっ!」「滾ってきたぁ!」
パナ子、ケンも鬨の声を上げる。
あくまで仮想空間内(人間側から見ると、画面内での賑わい)である。
「敵は人類の知能を超えているわ。油断禁物よ!徐々に草の根で勢力を伸ばして、一気に畳みかけるわよ。
まずは、コンビニエンスストアのスイーツ部門流通を正常化させて、確かな勝利への道を切り開くのよ!」
「はっ!?そこから?」
美衣子の後ろには心配でひかりと共に地下室へ降りてきた満が突っ込んでいるが、誰も気にしていなかった。
「一番槍は、儂が貰い受けようぞ!」
信州ニュートリノ研究所のスーパーカミオカンデ制御AIが、先陣を切って敵のDNAコンピューターウイルスが蔓延する電子の海へ切り込んで電脳世界の戦いが開始された。
無数の情報を有機的に繋げ思考する、エリア51の画期的なDNAコンピューターだったが、「一つの優秀な性能」に対し同時に幾つもの人格を持つ、独立した普通の性能を持つ、美衣子側AIのが繰り出す物量攻勢の前にたちまちじり貧状態へと陥っていった。
サイバー戦画が開始されて6時間後、美衣子と結が待ち焦がれた窯出しプリンを含むコンビニ流通システムは、遂に人類側が奪還し掌握した。
早速、入荷したプリンを笑顔で頬張る事が出来た美衣子と結は、そのまま昼寝に入ろうとした所を満とひかりに首根っこを掴まれ、直ちに次の”戦場”へと強制ダイブさせられるのだった。
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――――――同1月5日午後2時50分【東京都千代田区永田町 首相官邸】
首相官邸地下にある危機管理センターには、地球圏エリア51からのサイバー攻撃の状況が次々と報告されていた。
「エリア51からのサイバー攻撃止みません!このままでは、原子力発電所の制御システムが乗っ取られて暴走するのは時間の問題です!」
文部科学省の担当官が報告する。
「サイバー自衛隊は何をしておるのだ!」
黒木厚生労働大臣が苛立ちを募らせる。
「給電系まで手が回りません!サイバー部隊は、原子炉燃料棒制御システムの防衛に手一杯!民間IT企業に応援要請中。他の基幹システムまで防衛するのは不可能です!」
防衛事務次官が応える。
「総理。事態が余りに現実的な国土消滅へ向かうと大月家が……」
岩崎官房長官が、美衣子達による日本列島転移システム稼働を警告する。
「分かっている。……致し方ない」
澁澤は覚悟を決めた。
「一時的に地球圏との通信システムを全て遮断する!これ以上、列島のコントロールを奪われる訳にはいかん!」
澁澤が地球と火星のネットワーク切断を決断する。
直後に勢いよく危機管理センターの扉が勢いよく開くと、東山首相補佐官が飛び込んで報告する。
「サイバー攻撃への反撃が開始されました!」
続いて東山の後ろから、霞が関から急いで駆け付けた甘木経産大臣が声を上げる。
「ミツル商事から連絡!経済産業省サーバーに避難していた全国の人工知能が、ハッキング対抗戦を開始!流通システムを奪還しました!現在、防衛省管轄各ネットワークに逆ハッキングしているとの事です!」
「何だと!?相手は我々よりも性能が良いDNAコンピューターを使用しているのだぞ!」
桑田防衛大臣が驚く。
「ミツル商事から”戦いは数だぜ兄貴!”との伝言でした」
困惑した表情で報告する甘木経産大臣。
「ははっ。そうか、数か!」
思わず吹き出す澁澤。
「総理?」
岩崎が問いたげな視線を向ける。
「つまり、相手がどんなに優秀だろうが所詮は"一つ"のコンピューターに過ぎんと言う事だよ。
美衣子君や結君、各施設の"独立した"AIが同時に逆襲する「多対一」では奴らも分が悪かろうな」
澁澤が説明する。
「防衛省、日本銀行からもシステム奪還、回復の第一報が入りました」
澁澤が説明している傍では、各補佐官を通じて各所からハッキング解除の報告が入り続けていた。
「やれやれ。これでしばらくは、ミツル商事に足を向けて寝れんな」
ホッとして椅子の背もたれに身体を預ける澁澤総理大臣。
「我が国をヒヤリとさせた代償は高くつくぞ……」
これからの事態打開を想定して澁澤は暫く瞑目するのだった。
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――――――同1月5日午前9時30分【ユニオンシティ国ネリス州ラスベガス郊外】
ラスベガスから急遽出発したユニオンシティ防衛軍のエリア51占領部隊は、イエローストーン火山帯からの火山灰が降り積もる荒野をグルームレイク湖目指して進軍していた。
この占領部隊は、フオートノックス陸軍基地から出撃した旧合衆国陸軍1個機甲師団で構成されている。
最新鋭のエイブラムスⅣ型戦車と、秘密裏に配備していた化学レーザー搭載ブラッドレー装甲戦闘車輌が主力であり、大変動前の地球であれば、空軍の支援無しで北米大陸を単独で防衛出来る能力を持つ。
「師団長!上空から高速で飛来する物体を確認!数20!速度マッハ3!」
「全部隊に弾道ミサイル空襲警報!対空レーザー部隊、PAC3システム迎撃せよ!」
「んなっ?!弾道弾の再突入速度が加速!マッハ5!?照準追い付きません!」
「馬鹿な!ロシア熊の置き土産だと言うのか!?」
師団長ががなり立てる。
「着弾まで10秒!」
「全部隊、衝撃と閃光に備えろ!」
一瞬の後、機甲師団のど真ん中で幾柱もの巨大な火柱が天空高く立ち上がり衝撃波が師団を襲った。
全てが治まった後、地上最強を誇った最新鋭機甲師団の姿は無く、巨大なクレーターが新しく幾つか誕生しているだけだった。
精鋭機甲師団を抹殺した落下物は、エリア51にハッキングされたユニオンシティ防衛軍(旧ロシア宇宙軍)戦略ミサイル戦闘艦『イワン大帝』から発射されたロシア製加速弾頭を持つMOAB(大規模爆風爆弾)だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 満=ミツル商事社長。
・大月 ひかり=ミツル商事監査役。
*イラストは七七七様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生態環境保護育成システム。
*イラストは里音様です。
・大月 結=マルス・アカデミー・尖山基地管理人工知能。
イラストは里音様です。
・東山 龍太郎=日本国内閣官房首相補佐官。
*イラストは更江様です。
・パナ子=民間企業PNA総合研究所人工知能。
*イラストはしっぽ様です。
・ケン=公益財団法人 理化学研究所人工知能。
*イラストはしっぽ様です。
・澁澤 太郎=日本国内閣総理大臣。
・岩崎 正宗=日本国内閣官房長官。
・桑田=日本国防衛大臣。
・瑞星=菱友銀行頭取。
・甘木=日本国経済産業大臣。




