閑話 遅すぎた退避命令【後編】
2020年3月11日午前11時【東京都千代田区永田町 首相官邸】
岩崎と内閣調査室長は、東南海大学生物科学研究科の岬渚紗教授から電磁波の人体への影響について、説明を受けていた。
「それでは、幻覚を見る可能性があると?」
岩崎が訊く。
「はい。特殊な電磁波は、脳神経を麻痺させる事が出来ます。その上で、電磁波に混ぜ混んだイメージに従って幻覚を見せたり、幻聴と言う症状を引き起こす可能性がありますね」
岬が答えた。
「そのような話、聴いたことがない」
内閣調査室長が首を捻る。
「当たり前です!そのような非人道的実証実験なんて、日本国内で出来る訳無いじゃないですか!」
憤然として答える岬。
「電磁波による脳神経中枢の操作は、人体に与える負荷が人によって耐えられない場合が有ると思われます。最悪、急性心不全やアルツハイマー型痴呆症の発症が有るでしょう」
岬が神妙な顔で説明する。
「とはいっても、人間の脳は普段90%しか使われていないと言われていますから、程よい刺激で普段は視れない物を視みる事も良いかも知れませんよ」
好奇心を誘う様に話す岬。
岬の言葉に岩崎は頷くが、
「ですが、あくまでそれは個人が決めるべき事でしょう?人体へのリスクを考えれば、尚更です」
岬博士に釘を刺す岩崎だった。
岩崎官房長官が桑田の病室を出た後に、桑田は防衛大臣秘書官を呼んで、桑田の父が近衛連隊から牛込区市谷の高射砲連隊に派遣された状況を調べるように”お願い”した。
政治家の私的な”お願い”は近年世間の目が厳しく、拒否もやむなしと覚悟したが秘書官は以外にも快諾し、直ちに作業へと取り掛かっていた。
午後になって桑田は、安静に過ごしていた自衛隊中央病院を抜け出すと、市ヶ谷の防衛省本省に戻った。
程なくして、大臣秘書官が桑田に調査結果を報告するために執務室を訪れた。
「急な所無理にお願いして申し訳ない」
桑田が頭を下げる。
「そんな!頭を上げてください隊長。
隊長の一大事ですから、みんな心配していますよ?特に、昨晩当直の隊員達が大変心配していました」
秘書官が恐縮する。
「そうか。後で差し入れでもせんとな。番記者共にこの出来事は知られているのか?」
「いえ。大臣車の運転手が過労で交通事故を起こしたとだけ」
「この状況が一息つけたなら、ご家族の弔問に行かねばならんな。手筈を頼む」
「わかりました。それで、例の件で報告です」
「どうだった?」
「少し報告にお時間がかかりますが?」
「構わんよ。私は今も入院中という事になっている」
桑田がニヤリと笑った。
「では、報告します」
秘書官は一息つくと、ゆっくりと確かめるように資料に目を通しながら説明を始めた。
「隊長のお父上は、1945年3月1日付けで近衛連隊から一時的に市谷の高射砲連隊小隊長に任命され、不足していた連隊下士官を務められています」
「その事は亡き親父から幾度か聞いた事がある。
任官間もないのに、いきなり小隊長をやれと言われ、困ったと言っていたな」
「……そうでしたか。当時の連隊日誌では、桑田小隊長は厳しくも面倒見が良い上官だと、部下からの信望も厚かったようですね」
「私も早くそうなりたいものだ」
「……充分でしょうに。さて、3月1日に転属して10日後、"あの空襲"がありました」
「東京大空襲だな?」
「はい。桑田小隊長は、部下の高射砲小隊に迎撃準備を指示した後に単身、司令部へ弾薬の補充を直談判する為に向かったそうです」
「あの頃は、弾薬も碌に補給されていなかったらしいな」
「ええ。大編隊のB29相手に、弾薬が不足気味の対空砲火など、自殺行為もいいところでしたが、桑田小隊長は何とかしようという思いで直談判しようと乗り込んだのでしょう」
「親父らしい」
「そして、小隊長殿の補給要請は一蹴されましたが、連隊長から配下の将兵を率いて川越まで変更配置せよ、と命令をもぎ取ってきた様です。変更配置は言い換えれば、一時的な避難許可ですね」
「それは知らなかった。それで父は部下を救えたのか?」
「……残念ながら。連隊司令部からの帰途、敵戦闘機の機銃掃射で乗っていた連絡車両が破壊され、徒歩で身を隠しつつ市谷の陣地に戻った様ですが、既に焼夷弾の大量投下後で周囲は火の海だったそうです」
「空襲後に桑田小隊長は、対空陣地をくまなく探し回って部下を捜索しましたが、辺り一面が焼失しており、遺体と陣地資材の区別が付かなかった様です」
秘書官が沈痛な面持ちで報告を続ける。
「結局、桑田小隊長指揮下の将兵は、全員行方不明のまま、戦死扱いとなっておりました。遺骨も未だ、見つかっておりません……以上になります」
桑田は暫くの間、言葉が出せなかった。
♰ ♰ ♰
――――――3月11日午後4時【東京都港区六本木 アメリカ合衆国大使館】
岩崎官房長官は、内閣調査室長を伴って駐日大使のもとを訪れていた。
「大使閣下。ご多忙中の所申し訳ない」
「とんでもない。友好国の官房長官ならいつでも歓迎しますぞ!」
大使が大げさな仕草で二人を出迎えた。
「感謝します、大使」
岩崎はそう言うと本題を切り出した。
「ところで一昨日から、我が国の一部地域でかなり強力な電磁波が観測されましてね。一部の観測所では、観測機器が故障するほどの異常レベルでした」
「それは……災難でしたな。リベラルを標榜する修正マルクス主義である”カクマル派”かカルト宗教団体の仕業でしょうか?」
岩崎の話を聴いて肩を竦める駐日大使。
「残念ながら違うようです。彼らが言うところの電磁波が人間を狂わせるなど、我が国ではその手の事象は確認されておりません。
ただ、貴国の幾つかの研究機関は積極的に取り組んで、成果を上げているようですが?」
「とんでもない!我々の技術は貴国の遥か後塵を拝しています。
過去の実験では、特殊な電磁波が脳神経の思考中枢に作用して、一種の幻覚や幻聴を引き起こして自律神経をマヒさせると聞いている程度です」
研究中であることを否定する駐日大使。
「その様な非人道的実験は、我が国の中では到底認められないものです」
岩崎が指摘する。
「其れは我が国も同じです」
「我々の調査によりますと、今回の電磁波の発信場所は不思議な事に、三沢、横田、岩国に在る貴国通信施設周辺に限られ、我が国が極秘裏に保有する早期警戒衛星『あさがけ』をハッキングして北海道東方沖、尖閣諸島沖、市ヶ谷の防衛大臣室の在る庁舎へ集中して照射された形跡を確認しています」
内閣調査室長が淡々と指摘する。
「ほう……。それは不思議な偶然ですな。我が国に責任を擦り付けようとする、中国人民解放軍のハッカー集団かロシアの陰謀でしょう」
駐日大使がすっとぼけて見せた。
「そうであれば良かったと、心から願っていましたよ」
抑揚のない声音で岩崎が応える。
「我が国が持つ早期警戒衛星のアクセスコードを知る者は、総理の他に在日米軍司令官を含む数人だけです」
「当然でしょうな。我が国は違いますが」
岩崎の追及を躱す駐日大使。
「ご理解頂けたようで助かります。我が国は、これ以上貴国の反同盟行動を見逃す事は出来ません!
該当する犯罪組織を発見した場合我が国は貴国に対し、最大規模の経済制裁と国交断絶を宣言するでしょう」
きっぱりと警告する岩崎官房長官。
「唯一無二の日米安全保障条約と多国間貿易を標榜する貴国に、其れが出来るのか?」
岩崎の警告に初めて感情を露わにして反発する駐日大使。
「我が国存亡に関わる事ですから、やり遂げる事になるでしょう。少なくとも、澁澤総理と私はそのように認識していますよ」
決意の程を語る岩崎。
「承った。我が国も捜査に協力しましょう。
”我が国は常に貴国と共に在る”と言うのがドナルド大統領閣下のお考えですから」
両手をあげて降参のポーズで駐日大使が折れる。
「感謝します。これ以上、西側陣営を弱体化させるてはなりません」
「まったくです。偉大な日米同盟に栄光を」
白々しい美辞麗句を最後に交わして駐日大使との会談は終わるのだった。
岩崎官房長官がアメリカ大使館を出て直ぐに駐日大使は横須賀海軍基地の情報将校を詰問、電磁波の一種であるリリー波を使った実証実験の中止を迫り、実験を続行した場合には日本国と合衆国の関係悪化は必至と記載した緊急電をワシントンと国防総省へ至急電で打電するのだった。
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――――――同日午後8時【東京都新宿区市ヶ谷 防衛省敷地内】
大臣秘書官の報告を受けた桑田は、気分転換がてら散歩をしたくなりSPと当直警護隊員を連れて敷地内に在る人があまり立ち入らない緑地帯を散策していた。
緑地帯の一角に古く朽ちた祠を見つけた桑田は、無性に祈りを捧げたくなり、隊員にお酒と線香を用意させた。
祠に日本酒とお線香を供え、桑田は静かに感謝の念と、迷わずに靖国神社で英霊となるように願いながら合掌した。
幾分と落ち着いた気持ちになった桑田が、執務室に戻ろうと踵を返そうとした時、
『ご命令、確かに承りました!』
『お先に靖国でお待ちしております!隊長はどうぞごゆっくりと来てください!』
『小隊、桑田隊長に敬礼!!』
数人が呼びかける声と、遠ざかる軍靴の足音が桑田の耳に聴こえた。
思わず傍らのSPに「今、何か聞こえなかったか?」と桑田は尋ねたが、その場に居た者は皆怪訝そうな顔をして首を横に振るのだった。
その日の夜は、大臣執務室の扉を叩く者も居らず、不審船舶出没の報告も途絶えていた。
翌朝、桑田は再び祠を訪れようとしたが、そこに祠は存在せず、1本の桜の大木が在るだけだった。
警護の隊員にその事を伝えると「昨晩は、隊長が突然桜の木の下でお供え物をして手を合わせたので驚きました」と隊員が答えたので桑田は驚いた。
桑田が大臣秘書官にこの話をすると「良かったですね」と静かに微笑むだけだった。
また、岩崎官房長官にも事の顛末を伝えたが、やはり彼も「桑田君は、お父上の代わりとして、立派に務めを果たされた様ですね」と感慨深げな顔で応えるのだった。
この出来事以来、桑田防衛大臣は毎年3月10日になると、必ずあの桜の木の下を訪ね、供え物を奉げて祈りを欠かさなかったと言う。




