シャドウ
2023年(令和5年)1月5日午前零時【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス地下 琴乃羽研究室】
満は、ひかりや美衣子達と共に列島諸国との会議を中座して、地下の琴乃羽研究室に駆けつけていた。
「なんだ!?
これは・・・」
研究室の床には、琴乃羽の着ていた衣服がその場で脱ぎ捨てられたかのように、赤みがかった黄色い液体の真ん中で無造作に放置されていた。
「春日!
一体これは!?」
「私が駆けつけた時は、既に・・・」
春日が項垂れる。
「この液体は琴乃羽そのものよ。
まだ『生きている』から大切に回収しないとだめよ」
美衣子が言った。
「この液体が琴乃羽さん!?
おーい!」
ひかりが床にしゃがむと液体に話しかける。
「ひかり、琴乃羽の身体は「固体から液体へ」変化した。
液体のままでは、彼女は応える術を持たないから話し掛けても無駄よ。
そもそも、ヒトの言葉を認識出来ているかも、怪しいところよ?」
ひかりの後ろから美衣子が説明する。
「もしかしたら、液体から別の生き物に成る可能性があるわ。
液体が蒸発しないように様子を見るわ」
美衣子が研究室内の防護シールドを作動させ、部屋の空気を外気から遮断する。
「美衣子、結。
琴乃羽さんに何が起きたの?」
尋ねるひかり。
「彼女は福音の解析を行い、その真実に辿りついたが故に、ヒトの身体を維持出来なくなったのよ」
結がゆっくりと答えた。
その表情は苦渋に歪んでいた。
「今、この事をお父さんや皆に説明すると、琴乃羽のように何が起こるか分からないから、美衣子姉さまと二人だけで今後の事を考えるわ」
結が、美衣子に頷いてみせた。
「察しが良くて助かるわ、結。
お父さん、しばらく私達だけで此処に居るから、皆は上に戻って頂戴」
美衣子が満やひかりに向けて言った。
「必ず後で報告してくださいね?」
ひかりが美衣子と結に話しかけると二人は頷いたので、満達は食堂に戻っていった。
ーーーーーー
満とひかりが食堂に戻って再び会議に参加すると、澁澤首相がアマトハ達マルス側に声をかけた。
「そろそろマルス側で何が起きていたのか、教えて頂きたいのだが?」
アマトハは、地球滞在時に見せなかった苦渋の表情で澁澤を見つめて話し始めた。
「地球では、彼の事は"ダグラス・マッカーサー三世"と呼ばれているようですが、彼は我々と同じ"マルス人"であり、恐らく『シャドウ』に連なるメンバーの一人と思われます」
「シャドウ・・・ですか?」
岩崎が首を傾げる。
何処のキラキラネームだろうか?
「我々マルスアカデミーでは、殆どの者が何かしら学術を極めんと、日々研究に勤しんでいるのは、皆さんお分かりの事だろうと思います」
ゼイエスがアマトハと交代して説明を始めた。
「今から46億年前、私達の文明は、科学技術の最高峰とも言うべき時期を謳歌しておりました。
そして、その知識と見識を以て、太陽系全域で知的生命体を探索するプロジェクトが始ったのです」
「探索の結果、微生物は『各惑星で発見』されたものの、文明を築くに至る生命体は存在していませんでした。
第5惑星の知的生命体については、当時の私達が見落としていましたが・・・」
ゼイエスが恨みがましい顔でアマトハを一瞥しつつ恥じる。
「そこで当時のアカデミー上層部は『居ないならば造り出せばよい』と、今考えれば傲慢な方針の下、太陽系で一番生命の誕生に相応しい惑星を探しました」
恥じて俯きながらもゼイエスは説明を続けた。
「そして探し出された惑星が、第3惑星『地球』です」
澁澤達、列島諸国首脳が絶句する。
「我々は第3惑星で生命が誕生することを促進させる為に、生命の素とも言うべきバイオ溶液を搭載したカプセルを地球へ送り込みました。
----そして、皆さんご存知の通り、最初の原始生命体が誕生し、長い創生の歴史が始まったのです」
「しかし、一部の研究者からこの『長い創生の歴史』に不満を抱き、自ら望む知的生命体を生み出そうと考えた『異端派=シャドウ』が生まれました。
彼らは、生命をその惑星由来の自然に任せるのではなく、自ら導き手となり、マルス文明の科学技術結晶たる知的生命体創生を目指したのです」
「・・・なんたる傲慢だ」
英国連邦極東のケビン首相が、渋い顔で葉巻をふかしながら呟く。
「そうですね、傲慢だったと言えるでしょう。
当時のマルス文明は自信に満ち溢れていました。
我々は万能であり、この宇宙唯一の最高傑作であると自らを過信していました。
ですから、『シャドウ』の様な考えを抱いた異端派も少なくありませんでした」
ケビンの呟きにアマトハが応える。
「異端派=シャドウの考えは、純粋に、知的欲求のまま突き進んで科学技術の究極を目指す事です。
その為には、我々でさえも躊躇い自制する倫理を簡単に踏み越え、禁忌とされる分野にまで研究を行っていました。
その研究内容は恐ろしく破滅的なものでした。
皆さんにご説明する事が憚られる様な内容ですので"今は"省略します」
「この恐ろしい考えが及ばぬよう、第3惑星で行われた『創生』プロジェクトは、私自らが推進してシャドウに隙を見せない研究をしていたと思っていました」
「ところが、思わぬところで隙が生じました。
今から1万5,000年前の事です」
アマトハがイワフネをちらりと見ながら説明を続ける。
「第3惑星の観測をしていた『月』と地球の皆さんが呼んでいる惑星観測用人工天体『ルンナ』に、彗星の一部が激突したのです」
「彗星の激突で居住区、観測研究・天体制御システムが深刻なダメージを受け、大半の搭乗員が死亡、イワフネを含む僅かな生き残りは地球へ緊急降下するしかありませんでした」
「ルンナの姿勢制御が不安定となり、地球上ではルンナの引力による大規模な地殻変動が発生、火山活動が活発になり、大半の地球生命を絶滅させる甚大な影響を及ぼしました。」
「そして運悪く、火星=マルス本星の生存環境が急激に悪化した為、急ぎ本星を捨ててプレアデス星団に移住してしまったのです」
「故に、当時は地球観測天体の通信が多少途絶えた所で、アカデミー評議会に大した関心を持たれる事は無かったのです」
アマトハが申し訳なさそうにイワフネの方を見る。
「プレアデス星団に移住した我々が、落ち着いて再び地球観測を再開したのがつい最近、日本列島が火星に転移した時だったのです」
ゼイエスが説明した。
「ですから、我々がプレアデス星団で地歩を固めていた間、『シャドウ』が地球にあらゆる干渉をしてきたと考えています」
アマトハが言った。
人類側は言葉を返すことを忘れたかのように、一言も言葉を発することも出来ず、ただ呆然としていた。




