福音【前編】
2025年(令和7年)12月28日【インド洋 ディエゴガルシア島 ユニオンシティ国 戦略研究基地 地下エリア DARPA(ダーパ=国防高等研究計画)】
サンゴ礁で形成された海抜の低いこの島は、大変動で発生した巨大地震による大津波で地上の基地施設は全て流失しており、かつてインド・アジア地域における一大重要戦略拠点だった面影は無い。
だが、核兵器貯蔵施設を含む大深度地下施設は健在していた。
この区画は、将軍クラスか特別に月面司令部の許可を受けた研究者しか立ち入る事が出来ず、その全容を知る者はごく僅かである。
此処には、旧アメリカ合衆国時代から秘かに続けられてきたDARPA(ダーパ=国防高等研究計画)に関連する各種極秘兵器の研究開発が行われていた。
近年では電磁波兵器 ハープ(HAARP)の他、火星を始めとする地球外天体からの隕石に含まれる微生物解析や培養、第二次アルテミュア大陸上陸作戦で得られた多くの火星原住生物である巨大ワーム、サソリモドキの死骸が持ち込まれ"次世代生物生体兵器"として地球上での実証実験が秘かに行われていた。
「ブラボーリーダーから報告『我ジャカルタ郊外上空で援助物資を投下セリ』」
「上出来だ!戻ったら一杯奢ると彼らに伝えてくれ」
ディエゴガルシア基地の地下司令センターでマッカーサー三世が、上機嫌でオペレーターに指示した。
「さて、福音システム稼働準備状況はどうなっている?」
「各地に配置した原子力潜水艦の超長波通信が開始されています。南半球アジア地区上空で超長波電子による磁場が形成され、電離層が一時的に安定しています」
「よろしい。エリア51に連絡、予定通り実験を開始せよ」
「……”福音システム”稼働します」
"縦長の瞳"をしたオペレーターが、HAARPを稼働させた。
やがて西アジアのディエゴガルシア基地と北米大陸エリア51基地の地下に隠されていた巨大なレドームに覆われたパラボラアンテナが地上に姿を現すと、火山灰に覆われた天空の一角へ向けて強力な電磁波を照射した。
アジア上空の一時的に安定した電離層で反射された強烈な電磁波が、東南アジア、インドシナ諸島に収束されて照射された。
この電磁波による直接の物理的被害は生じなかったが、アジア地域に生息していた哺乳類と”火星原住生物"脳細胞が電磁波により振動して麻痺し、脳機能中枢がコントロールされた生物群が思考中枢を操られた状態で東を目指して移動を開始した。
生物群が目指す東の遥か海上にはメガフロート海上都市『マリーン・シティ』が航行していた。
ユニオンシティ防衛軍は、事前に同国エネルギー庁からマイクロ波を使った遠距離送電実験が北米とアジア地域で行われると通知を受けており、異常な電磁波を観測したものの特に警戒をしていなかった。
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2025年(令和7年)12月29日午後8時【東京都 世田谷区 三宿 陸上自衛隊三宿駐屯地内 NIID(国立感染症研究所)】
地下20mに在る気圧が制御出来る特殊な研究室で、厚生労働省と自衛隊化学学校、ミツル商事の岬渚紗が合同で、地球南太平洋フィジー諸島沖に於けるマリーン・シティ防衛線で撃破した巨大ワームとサソリモドキのDNA解析を行っていた。
研究室片隅では英国連邦極東軍グリナート大佐と桑田防衛大臣が、立会人として解析作業を見守っている。
「DNAが一部変質していますが、火星由来の巨大ワームとサソリモドキに間違いありません」
分析器から送信されたデータを確認した岬博士が断言する。
「では、瑠奈さんの推測が的中したのですね?」
桑田防衛大臣が訊いた。
「はい。この個体は体内に残留しているバクテリアから、アフリカ大陸西海岸地域に生息していたプランクトンを捕食していた事が分かりました。そして、この個体は"5歳"です」
岬が桑田に答えた。
「5歳?5年間地球上で生息してきたと言うのかね?」
驚愕する桑田。
「ええ。日本列島が火星に転移する"以前"から地球で生息していたことになります」
「では、既に地球各地に火星由来生物が繁殖しているという事かね?」
蒼白な顔を引き攣らせながら尋ねる桑田。
「そこまでは分かりません。この個体は熱帯気候と高い海水温、そして欧州各国の原子力企業が不法投棄していたであろう放射性廃棄物の影響で突然変異を起こしています。……具体的には、成長速度が異常に早い事ですね」
岬が解析結果を見ながら淡々と答える。
「ドクター岬のおっしゃる通り、放射性廃棄物の出所は欧米諸国や中国による海上不法投棄ですな」
無言で作業を見守っていたグリナート大佐が口を開く。
「以前から国際環境保護団体が、この地域で横行していた"核のゴミ"を含む産業廃棄物が不法に投棄されていると告発していました。
しかし記録を見る限り、当時の国連上層部と常任理事国はこの告発を"偏った環境テロリズム思想に基づくフェイク・ニュース"と見なし、まともに受理せず放置していた様です」
グリナート大佐が説明を続ける。
「放置していたのは、常任理事国同士で暗黙の了解をしていたからでしょうな……もともと既存の地上保管場所ではとてもではないが、保管に限界があったのです」
此所へ来る前にMI5からブリーフィングを受けていたグリナート大佐が説明を終える。
「しかし、これだけ異常な生物が繁殖していたのなら、産業廃棄物の犯人と共に巨大ワームは人類に気づかれてもおかしくないのでは?」
桑田が疑問を投げかける。
「大臣のおっしゃる通りです。
NATO海軍ソマリア派遣部隊がしばしばこの海域で巨大な未確認生物らしき潜水物体を捕捉して現地司令部に報告していました。従ってNATOメンバーである米軍にも報告内容は共有されていた筈です。
地球復興局が言う所の"容疑者"がミツル商事の瑠奈嬢だけと言うのは些か不可解ですな。”既に”5年前からアフリカで何かが起きていた事を考慮すべきでしょう」
グリナート大佐が応える。
第三国立会いの下で行われた解析結果は、東京の首相官邸と長崎佐世保のダウニングタウンへ報告され、ケビン首相はユニオンシティのソーンダイク代表や地球復興局マッカーサー三世局長に対し報告した。
ソーンダイク代表はこの結果を受け入れたものの、地球復興局長のマッカーサー三世は日本政府の捏造だと主張、あらためて大月瑠奈のユニオンシティ出頭を強く日本国政府に要求した。
日本国政府首脳は対応に苦慮するのだった。
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――――――その頃【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス 食堂】
満とひかりは、世田谷へ出張している岬博士を除くミツル商事の社員を食堂へ集め、瑠奈に火星生物地球持ち込み疑惑で召喚状が出された件について、地球復興局マッカーサー三世の陰謀であると説明、瑠奈の窮地を救うべく対策会議を開いた。
満とひかりは、社員達から意見を聴いていた。
「NHKの子供番組も含めて瑠奈の素晴らしさを全世界に宣伝すれば良いのよ」
美衣子が目を輝かせて言った。
「瑠奈の素晴らしい所ねぇ……えっと……あれれ!?」
満が口を開きかけたものの、賞賛の言葉が出てこない様だった。
「あなた!情けないですよぉ。ちゃんと愛娘をフォローしないと……」
ひかりが満にダメ出しをする。
「えっ!?ひかりさんは瑠奈の良い所直ぐに言えるの?」
満が訊く。
「……簡単よ。ご飯は元気よくドカ食いしてくれるし、重箱五段重ねのお弁当を持たせても早弁で給食まで持たないし、ゲームは上手いけど後片付けしないし、宿題はお友達を信用して丸投げするし、素直ないい子よ?」
「良い要素無いんじゃない!?」
ひかりに突っ込む満。
「何も言えない貴方よりマシよ!」
ひかりがフンスと豊かな胸を張る。
最近また大きく育ったようだ。
夜の"お勉強"が効いているかもしれないと、満は眼福の思いで、ときめきながらひかりの胸をガン見してしまう。
「あなた!?こんな時に何を視ているのっ!」
真っ赤な顔で満の横っ面を張り飛ばすひかり。
「もうっ!懲りない人はお仕置きですっ!」
紅潮した頬を隠せずに鼻息の荒いひかりは、張り飛ばされて朦朧としていた満の襟首を掴み、ズルズルと自宅へ引きずって行く。
「……夫婦円満なのは良い事なんだけどね。……ホント、爆発して欲しいんですけど?」
琴乃羽がボソッと呟く。
他の社員は沈黙で琴乃羽の言葉を肯定するのだった。
瑠奈を救う会議が一時中断となったのは言うまでもなかった。




