マルスの責務
2025年(令和7年)12月27日 午前6時【木星大赤斑地表 宇宙護衛艦『そうりゅう』】
長時間に及ぶ超音速降下で搭乗員が全て失神した『そうりゅう』だったが、木星スライムによる手厚いサポートで大赤斑地表へ着陸を果たしていた。
現在は、意識を取り戻した搭乗員が、着陸地点の観測と、艦内の点検を行っている。
木星スライムは今も『そうりゅう』を包み込んで、強烈な大気圧と磁場、重力から搭乗員を護っている。
「よし、艦内の状況報告を頼む」
高瀬中佐が艦長に言った。
「艦内の計器に異常は有りません。搭乗員は全員無事であります!」
「ご苦労。みんな、よく耐えてくれた。私達が人類の木星一番乗りだ!」
高瀬艦長の言葉に発令所の皆が顔を綻ばせる。
「外の状況を報告するわ」
結が高瀬に呼び掛ける。
「水素80%、ヘリウム15%、酸素1%、アンモニア、メタンと続くわ」
「結さん、外が明るい気がするのは何故だろうか?」
高瀬が首を捻る。
「確かに。此処は、大気圏外層部から5,000km下方に在るのだから、本来は分厚い水素と、アンモニア結晶の雲で常闇の場所でもおかしくないわ」
結が頷く。
「大赤斑地表部分から噴き上がる液体水素と、秒速1,000mで反対方向へ流れる硫化水素の境目で、摩擦による電子が常に発生している為だろう」
ゼイエスが、空中放電効果で空が明るい理由を説明した。
「大気と明かりについてはこれでいいわね。次に外の生物だけど、地球生物に酷似したカニ、エビ、イカ、タコ、チューブワームが沢山。まるで、地球深海の熱水孔そっくりね。マイナス240℃で液体水素を噴き出す噴出孔を中心に、生態系が形成されている」
一息で結が説明する。
「そして最大の特徴だけど、何もかもデカイわ。弟候補が沢山居て、嬉しい悲鳴よ!」
普段は無表情な結の顔が、歓喜に打ち震えて紅潮している様に見えた。
最後の嬉しい悲鳴の部分だけ、全員がスルーした。
結の"デカイ物信奉"は止められないのだ。
「最初のスライムだけが木星の知的生命体だと思ったのですが、他にも沢山居たのですね」
空良が結に話しかける。
「少なくとも目の前の巨大チューブワームは、此処の主みたいなものね。それと、途中で出会った巨大鮫もね。他の生物に個々の意思は薄いわ。だけど群れとしての意識はチューブワームが纏めている感じね。ツルハシ?こんな感じかしら?」
「ワン!」
スライムの代弁者であるマルス・アカデミー・アンドロイドのツルハシ頷く。
「ソロソロ長ガ、ハナシタイミタイダゾ?」
ツルハシがクルーへ伝える。
「高瀬、空良、どちらかが対応して頂戴。私がサポートするわ」
結がいの一番で大役から退避する。
「では、天体の事に関すると思うので、空良所長にお願いしたいですね」
高瀬中佐が空良に振る。
「分かりました。私が此方側の代表になりましょう」
事も無げに空良が結に答える。
「ツルハシ、こちらも準備が完了したわ。先方に伝えて頂戴」
「イエスマム」
30分後、甲板には宇宙服を着た空良が『そうりゅう』正面で、スペースコロニーのように長大な殻から鎌首をもたげたチューブワームと相対し、結、高瀬が、少し離れた所で長との会見を見守ろうとしていた。
本来、木星地表部の強烈な重力と猛烈な大気圧で空良達はおろか、『そうりゅう』自体がくしゃりと丸めた紙屑の様に潰れて液体になるところだが、木星スライムが包み込む事で強大な重圧を大部分緩和している。
「初めまして、木星の長。私は、日本国文部科学省国立天文台所長の空良です。今回の地球側窓口になります」
『初めまして、三番目の子供達よ。ようこそ、我々の星へ。長のジュピトゥルだ』
長からの念話が、全員の頭の中に響く。
「よろしくお願いします、ジュピトゥル殿。私達は、長の星に困り事が有ると聞いて参りました」
『うむ。四番目の星の熱い石が、星を傷つけて困っておる』
「火星の隕石は鉄分が多いようですから、長の星の水素と化学反応を起こしてそれが広まっているのでしょう。実際に現地を見ない事には確定出来ませんが」
『そうか。我々の星と相容れん石じゃったか……。ともあれ、現場を見てもう一度話を聞かせてもらうとしようかの。鮫、スライム、引き続き子供達を連れて行ってくれんかの?』
地球側の頭の中に響く声で鮫がシャ-メ、スライムがシュラと聞こえるが、無意識のうちに鮫、スライムと認識するあたり、本当の名称は違うだろうと結は秘かに思っている。
巨大チューブワームの長が、長い触覚を鮫と『そうりゅう』近くのスライムに向けて紫電を放ちながらコンタクトをする。
間髪入れずに鮫とスライムから紫電が飛ぶ。
『うむ。もうひと働きじゃ。では空良殿よ、また後で』
そう告げるとチューブワームはスペース・コロニーの様な殻へと引き籠る。
周囲に群がる甲殻類は、相変わらずワサワサと『そうりゅう』を興味深げに取り囲んでいる。
「マスター。スライムカラ、弾丸ツアーに出発スルゾト言ッテキタゾ」
「分かったわツルハシ。ところで、何故スライムが弾丸ツアーなんて言葉を知っているの?」
「……ハテナ?」
ツルハシがカクカクと頭を揺らす。本当に分からないらしい。
「ツルハシの基本プラグラムは、何処でインストールされたのかしら?」
「ウイ。『マロングラッセ』っス!」
「……うん。だいたい理解したわ。すっごく」
頷く結の口元が黒い微笑みで歪んでいた。
瑠奈の偏った知識の集大成ならば、この小ネタみたいなノリも理解できる。
大月家に帰ったらひかりに、瑠奈の再教育を頼もうとあらためて決意する結だった。
「スライムにこれから合図する高度まで、ゆっくり上昇して欲しいと伝えてちょうだい」
「ワン」
それから結は、ツルハシを通じて『そうりゅう』の高度を500mに維持したまま、木星各地に点在する火星隕石落下場所を廻った。
火星隕石落下場所は、どの場所も空良の予想通り赤黒く変色し、変色した区域が滲むように拡がっていた。
「明らかに隕石の鉄分が、水素分子で劣化、酸化鉄と化してボロボロですね。劣化鉄という不純物が、周囲の大気に拡散している」
艦外センサーを操る空良が分析している。
「第5惑星に殆ど鉄は存在しない。中和すべきアルカリ性の物質も、地上ではなく大気圏中層から外縁部の氷しか見当たらないから、手も足も出ないだろう」
マルス隕石を分析していたゼイエスが言った。
「アルカリ性の物ならば、我が国や地球に石灰がありますよ?」
高瀬が言うと、
「木星の化学反応を鎮静化するには、膨大な量の石灰を始めとするアルカリ性物質が必要です。火山灰の中和に使う分だけでも、相当な量になりますね」
空良が厳しい顔をする。
「それに、地球の物質を大量に木星に持ち込むと、惑星間の質量バランスに影響が出かねない」
結が注意を促す。
「このデーターは、アステロイドベルトのリア隊長ともデーターリンクしています。
マルス・アカデミー評議会の方で動きがあるでしょう」
ゼイエスが予言した。
『そうりゅう』は2日かけて木星各地を廻り、木星の変質状況を調査した。
ゼイエスによると、木星の劣化反応が全体に及ぶまでは50年足らずであり、仮に今から地球側の作業船団が全力で作業をしても、中和するまでに70年はかかるだろうとシミュレーションを出していた。
空良は、ゼイエスの分析結果を緊急通信で火星東京の澁澤首相へ送り、マルス・アカデミーの直接介入が必要だとの意見を添えた。
翌日、マルス・アカデミーに支援を求めたいと澁澤首相から返信が来た。
空良はゼイエスに依頼してプレアデスコロニーのアマトハと、アステロイドベルト支援船団のリア隊長へ支援要請を行った。
その上で、空良はチューブワームの長ジュピトゥルと再度会見し、地球人とマルス人が木星の原状回復を行いたい旨を申し入れるのだった。
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2025年(令和7年)12月29日【木星大赤斑 地表】
火星隕石被害の調査を終えた『そうりゅう』甲板上で、空良が木星巨大チューブワームの長ジュピトゥルと別れの挨拶を交わしていた。
「ジュピトゥル殿。これからマルス人の復旧作業船団が到着する事になりますが、どうかよろしくお願いします」
『……素早い対応に感謝じゃ。お主らも3番目を早く治すがいい。また会おうぞ』
木星スライムに包まれて遥か大気の彼方まで昇っていく『そうりゅう』を見上げてジュピトゥルが呟く。
『まあ、直ぐに会える事じゃしの……』
周囲の木星鮫や蟹と水素クラゲや水素ダコが同調するようにワラワラと紫電を放つ。
ジュピトゥルの呟きは『そうりゅう』乗組員には届いていない。
木星調査を終えた多目的宇宙護衛艦『そうりゅう』は、アステロイドベルトまで木星スライムに亜光速で運んでもらい、現在は火星へ向けて自力航行帰還中である。
アステロイドベルトに立ち寄った際、マルス支援船団のリア隊長からマルス・アカデミーが澁澤首相の介入要請を受諾して大規模な木星復旧作業船団を派遣する事がマルス・アカデミー評議会で決定され、先遣隊がプレアデス星団を出発していると空良達に伝えられた。
日本国政府や他の列島各国としては、これで地球復興に集中出来るとマルス・アカデミーの介入を歓迎した。
『そうりゅう』に搭乗していた空良や結達クルーも、肩の荷が下りた気持ちだった。
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――――――【アステロイドベルト マルスアカデミー支援船団 旗艦『マイア』】
「—――—――以上がゼイエスからの報告よ」
リア隊長がモニターの向こうに居るアマトハ評議員に報告した。
『そうか。これまでのところ”アレ”の動きは見られない、という事で良いのか?』
アマトハが確認する。
「ええ。第5惑星への惑星間弾道弾攻撃ではないと思う。単なるオリンポス火山の自然噴火ね」
リアが答えた。
『わかった。復旧作業船団の準備を急がせよう。そちらも地球側に我々の懸念を気取られぬようにな』
「了解しました」
リアは頷くと通信を切った。
「むしろ地球での巨大ワーム出現が気になるわね……」
誰にともなくリアは呟くのだった。
♰ ♰ ♰
マルス歴 第7ケラエノ年12月27日【プレアデス星団 第3惑星エレクトラ 】
この惑星には、プレアデスコロニーのマルス人を統括する行政機関『マルス・アカデミー』評議会が設置されている。
もっとも、ほぼすべてのマルス人が日々学究の徒として研究開発に邁進しており、評議員も研究論文を持参しながら行政機構の差配を行っている。
それでいいのか?と思うのかもしれないが、全マルス人が同じように研究に勤しんでいるので疑問の余地はない、と思われる。
この日、アカデミーの評議員であるアマトハは、太陽系第5惑星近傍アステロイドベルトに遠征している派遣船団のリア隊長から緊急連絡を受けていた。
「……そうか。第5惑星にも知的生命体が居たのだな」
アマトハが感慨深げに言う。
さぞかしゼイエスは、内心悔しがっているに違いないと思った。
『ええ。ゼイエス博士は、さぞかし悔しいと思っているかもしれません。なにせ彼は生命の存在に気付けなかったのですから……』
リア隊長が苦笑した。
『そして第5惑星の生命体から、地球人類へ手助けを求めている様です』
「どういう事だ?」
リア隊長は、日本列島が火星に転移した影響でオリンポス山大噴火が起こり、多数の火山弾が第5惑星に降り注ぎ木星環境を悪化させているらしいと報告した。
「なるほど。それは我々が、癒さねばならない責務だろうな」
アマトハがはっきりと言った。
『私も同感です。ですが、地球人も日本列島が原因だと責任を感じているようです』
「それも理解できる。だが、やはりすべての原因を作ったのは我々マルス・アカデミーだ。
我々が前面に出て対処すべきだろう。地球人類は、第3惑星の復興で手一杯だろう。木星への対処は、完全にオーバーワークだ」
アマトハが断言した。
それでも彼らはやり遂げるのかも知れないと心の中で思うアマトハ。
『ありがとうございます。それでは、後続の船団が来ると考えてもよろしいのですか?』
「そうだ。太陽系最大規模の惑星を相手にするからには、オウムアムル母艦クラスが数百隻は必要になるだろう。僅かな数であれば先遣隊として半年で到着するだろうが、本隊は流石に準備が必要だ。
……3年は待って欲しい。第5惑星崩壊までのタイムリミットは?」
『概算で50年です。復旧作業が完了するまでは、30年に及ぶでしょう』
「準恒星規模の環境操作は、ガス雲の処理が難しいぞ?過去の事例によると250年から300年はかかる筈だ。随分と手際がいいじゃないか。日本人にあてられたのかい?」
『まさか。毎日唐揚げ定食をごちそうになっているとは言え、それはあり得ません。
せいぜい200年程作業速度を速めただけですわ』
唐揚げ定食と聴き、アマトハの目尻がつり上がる。
「リア隊長。プレアデスの研究所はエアコンが効いて居心地がいいぞ?」
『残念ながら、地球製の優秀なエアコンがあるので間に合っていますので。それに、現場での実践研究が私には合っているようです……』
「……そうか。来年から新開発したワームホールで日本宮内庁から料理人が来訪し、研究所カフェテリアでマルス風日本料理のアンテナショップを開く事が、評議会で決まったよ」
『……アマトハ評議員。私、急にプレアデスに置いてきた”夫”が心配ですわ。一人で唐揚げ作れるのかしら。生まれたばかりの子供も居りますし……』
「……リア君」
アマトハはジト目で自らの”妻”であるリア隊長を見つめるのだった。
♰ ♰ ♰
――――――【火星 アルテミュア大陸中央部 ウラニクス山地】
2021年、日本列島が火星転移して発生した火星大変動により、地中の氷床が融解して誕生した湖の底に惑星間転移活動で自然発生したゲートを通って浮上した水素クラゲは、湖畔から浮かび上がると主のジュピトゥルに念話を送る。
『ワレ四番目ニ到着セリ』




