未知への突入
2025年(令和7年)12月24日午前11時【太陽系 第5惑星 近傍】
アステロイドベルトから木星スライムに包まれて移動していた自衛隊の宇宙護衛艦『そうりゅう』は、木星大気圏に突入しようとしていた。
「木星地表部分から推定5500Km!間もなく木星大気圏に突入します!」
「航宙センサーが木星大気を観測、水素80%、ヘリウム14%、メタン、水蒸気0.1%!従来の観測結果と一致しています!」
「素晴らっ――――――しいっ!人類が木星—――—――大気圏に突入するのは、有史以来—――—――初めてだっ!」
宇宙服を着用した空良が、感動してヘルメットの中で叫ぶが、猛烈なG効果によりその顔から発せられる言葉は後方へ引きずられるように歪み、雄たけびも掠れ気味である。
「ふぐぅ—――—――っ!」
高瀬中佐はじめ発令所の殆どが宇宙服を着用しているが、猛烈な加速によるG圧力で前進が締め付けらるように座席に縫い付けられ、容易に声など出せない。
一方ゼイエスも座席に座っているが、猛烈な状況にも臆せず宇宙服を脱いだまま鼻歌交じりにGでささくれ立つ鱗を物ともせず、嬉々として観測機器を操作している。
結もゼイエスと同じく宇宙服を脱ぎ捨てたまま無言で平静を装っていたが、既に足元の床へ数度の虹がかかる程のリバースをしており、感動する余裕も無く吐き気を堪えながら艦外モニターを見つめながら制御卓にしがみ付いていた。
『そうりゅう』は木星スライムに包まれたまま、巨大な木星大気圏表層部に突入していた。
水素ガスとアンモニア結晶で形成された巨大な渦を巻く雲海を「そうりゅう」が降下していく。
遠目に見ればスライムが巨大な筒の様に『そうりゅう』を薄く長く包み込んでいるが、広大な宇宙空間を覆うほどの体積は『そうりゅう』が木星中心部へ落ち込む猛烈な超重力に捕まって圧縮分解しないように、スライムは先端を傘の様に開きながら、身体を細長い流線形へと変形させ、猛烈な重力振動と大気圧から『そうりゅう』をしっかりと守っていた。
「現在速度、秒速3キロメートル、彗星並みの速度!」
「総員宇宙服着用を続行。引き続き座席から離れるな!」
「艦内重力3G突破!尚も上昇中!」
「ツルハシ、これ以上はヒトの身体が持たないわ、加減しなさい」
「ワン」
『そうりゅう』を包む木星スライムが、更に先端の傘にあたる部分を広げて速度を緩める。
「木星外部大気圏更に降下中、速度マッハ3!現在高度推定3700Km。周囲雲海の速度秒速1,000m!」
「流石太陽系最大の重力場と大気圏を持つ惑星だ。スケールが半端ない」
ゼイエスが、サッカーを観戦しているかの様に感嘆の面持ちで言った。
「ええ。地球の科学者が聞いたら、さぞかし羨ましがることでしょうね」
空良が相槌を打つが、辛うじて肉体が根を上げる寸前の強烈なGのため顔が歪んでいる。
「……結さん。もっとゆっくり出来ませんかねぇ?」
流石に真っ青な顔の高瀬中佐が、減速を求める。
「仕方ないわね。スライム、ロウよ。ロウスピードにして頂戴」
口調は何気ないものの、鱗で覆われる顔でも分かるぐらい顔面蒼白である。リバースが近そうだ。
「ワカッタゾ。ロウスピードダナ、コレデドウダ?」
『そうりゅ』を包む木星スライムが傘を三段重ねに増やして降下速度を落としたのだが、急激な減速の為に発令所の全員が今度は座席前部の制御卓に腹を圧迫され、ゼイエス以外の全員が根性を放棄して盛大に床へ虹色のリバースをしてしまう。
ゼイエスと結を除いた全員は、宇宙服を着用していたのでヘルメット内での自爆以外二次被害を免れた。
「やるわね。ツルハシ」
二次被害により、お気に入りのワンピースを派手に汚しながらも、虹色がかった液体を口元から拭うと結は、ニタリと笑いながら隣に座るツルハシ201912号アンドロイドを縦長の瞳で射貫く。
『ハテナ?』
ワザとらしいカクカクした挙動で、ツルハシが視線を逸す。無駄に人間的挙動スペックが高い。
「火星に帰ったら、ねじ1本にいたるまで感謝のメンテナンスを施してあげる。期待していなさい」
『はうっ!』
ツルハシは片腕をコンソールに当てて反省のポーズを試みるが、却って壁ドンして挑発していると結に解釈されてしまう。
「反省会が楽しみだわ。今のうちに好きな整備分解方法を考えておきなさい。お奨めは、瑠奈のレーザー・チェンソー整備分解よ?」
マッハ3の超音速降下中にもかかわらず、ツルハシが発令所の床にorzと器用に膝を着く。
ツルハシによる最大限の困窮ポーズに溜飲を下げた結が、気を取り直して観測に専念する。
「木星スライム。お願いだから速度は今の半分で良いわ。時間はかかるけど、これ以上はヒトの身体が持ちそうもないの」
『……了解シタゾ』
減速したものの、依然として超音速降下中の「そうりゅう」だが、巨大な外部大気圏の半ばを過ぎたに過ぎない。
「現在高度2900㎞、センサーが新たな大気層を検知!水です!水蒸気と微細な氷が混合している雲海を降下中!メタンも観測しています」
「……信じられん。これは原初生物の発生を満たすのには充分な環境だ」
空良が信じられないと言う様に、観測モニターを視て呟く。
「艦外温度マイナス90℃!大気圏突入時よりも100℃上昇!」
「断熱圧縮……ではないな。惑星内部で何らかの化学反応が原因で発熱しているのだろうか?」
「空良所長、太陽から遠い筈の木星地表部が何故、暖かいのですか?」
高瀬が訊く。
「あくまでも仮説でしたが、巨大質量故に惑星中心部に近付くほど、重力と大気圧で圧縮された空間は熱を帯びると……仮説ではなく事実の様ですね。この観測データを取り逃さないように!」
空良が答えながら、オペレーターに記録指示をする。
「私達の文明でも、此処まで詳細なデーターを測定出来ていませんでした。第5惑星の中心については、せいぜい想像するだけでした」
ゼイエスが感嘆の面持ちでモニターを視ながら呟く。
「現在高度2000Km、水素濃度上昇!」
「そろそろ次の層になりますよ。大気か、大地なのか、まさに未知の領域ですね」
空良が高瀬達に告げる。
「現在1750Km、水素の他にリン、硫黄、炭化水素も混合しています。強力な電子反応!」
『そうりゅう』のすぐ脇を艦体よりも巨大な光の柱が幾筋も通り抜けて一瞬、ブリッジ中まで白光に染まる。
「放電現象!地球大気圏1,000倍相当のエネルギーを観測」
「地球の300倍を超える質量が半日で一周する自転速度なんだ。大気の流れが秒速1,000mあるのは当然でしょう。その速度で互いに反対方向へ流れる水蒸気と水素の層が接触すれば、エネルギーが発生して放電するのは当然の流れでしょう」
ゼイエスが説明する。
巨大稲妻が『そうりゅう』周囲を幾度も走り抜ける中、更に艦体が降下していく。
地球であればものの15分から20分で地上に着陸するところだが、木星は地球の40倍以上の大きさを誇る。
降下を始めて1時間以上が経過していた。
「艦外センサー、新たな層を検知!水素98%!液体水素です!」
結が外部モニターに視線をやると、そこは深い蒼色の世界が広がっていた。
水素海と水素ガスの狭間で発生している放電現象で、水素海の層は、蒼白い光が上下から差し込んで幻想的である。
宇宙空間からは、表層にある茶色のアンモニア結晶雲の層で覆われていることが多く、その姿を観る事が出来る者は少ない。
水素海の中を『そうりゅう』は更に沈降していく。
「レーダー探知!デブリです。降下進路右舷、直径4Km!」
「何でこんな所にデブリが有るんだ!?」
困惑する空良。
「木星スライム、艦の右側のデブリは何かしら?」
結が訊く。
「同胞の出迎エダゾ」
ツルハシが木星スライムの代弁をする。
「同胞?」
結が首を捻る。
「右舷のデブリが移動!デブリが本艦と並行!」
「何だと!?岩ではなかったのか!?」
高瀬がモニターに目を凝らす。
巨大なデブリと思われた物体はその塊を解くように変形していくと、地球人に馴染み深いとある海洋生物の姿になった。
鮫の様であるが、体長は4Kmと規格外である。
「なん、だと……45億年前にアレを見つけていれば……グェェ」
以前に同じ宙域を探査したのに生命の痕跡を見付けられなかったゼイエスが悔し鳴きをする。
ブリッジの全員が、口をあんぐりと開けて唖然としながら並走降下する「木星鮫」を見つめていた。
木星鮫は悠然とした佇まいで『そうりゅう』に寄り添っている。時折エラと思しき箇所から稲妻を噴出していた。さながら両舷からのレーザー放射である。
「ワガ同胞ハ、水素ノ中にスム虫ヲ食ベテイルゾ」
スライムが説明した。
「まんまプランクトンを食べる鮫だな」
高瀬が唸る。
「生息域が広大だから、あの大きさになるのかしら?」
結も興味を持つ。
さぞかし岬が居るならば狂喜乱舞することだろう、と空良は思った。
「素敵な鮫ね……私の妹に出来るかしら?」
うっとりとモニター画面を見つめる結。
結は以前、月面基地で標本の恐竜やマンモスを妹候補にした黒歴史がある。
”大きいことは良いことだ”的なポリシーが結にはあるのだ。
しかしながら、ブリッジの全員が結の呟きをスルーするのだった。
『そうりゅう』は20,000Kmの深さがある水素海をひたすら降下し続けて奥深くへ沈降していく。
結達が木星の大赤斑地表上に到達したのは、大気圏突入から48時間後の事であった。
長時間の超音速降下Gにより、乗員全員が失神していた為「そうりゅう」のコントロール機能は失われていたがマルス・アカデミー・アンドロイドツルハシを通じて状況を察した木星スライムにより、姿勢を維持したままゆっくりと降下していく。
もし意識を保っていた乗員が居たならば、地平線の果てまで続く大赤斑の中心部で摩天楼の様に聳え立つ液体水素を噴き上げる巨大な冷水孔のチムニー(煙突)群と、その周囲に林立する巨大なチューブワームや独特のフォルムと配色をしたカニやエビ、タコがその周囲を埋め尽くしているメガ・コロニーを見て腰を抜かしていたに違いない。
ただ『そうりゅう』の艦外カメラはしっかりとこの光景を撮影しており、映像はリアルタイムでアステロイドベルトのマルス・アカデミー・プレアデスコロニー支援船団のリア艦長や、火星横浜のNEWイワフネハウスに映し出されており、リア艦長や大月夫妻が想像を超える光景に恐慌状態一歩手前まで陥る騒ぎになっていた。
長大な筒の殻から身体を乗り出したチューブワームの長が、木星スライムと浮遊クジラに労いの言葉をかけるように蠢いていた。
長の仕草に同調するかのように木星蟹や水素ダコが、4本のハサミや16本の触手をくねらせながら労っていた。
そしてこれら生物の周囲には、常に大量の電子が充ちており、頻繁に小さな稲妻がまるでやり取りをしているかの如く飛び交っていた。
林立するチムニーから噴き出す液体水素は厚い大気圧で押し潰され、分子同士の摩擦を生じて放電と熱量を生み出していた。
この為大赤斑地上の気温は、周辺よりも高い高気圧を維持しており、木星大気の雲の渦に逆らっている為に独特な赤斑模様が形成されている。
地球深海底に酷似した生態系は、太陽光がなくても独自の生存サイクルを確立しているようだった。
長であるチューブワームの全長は800m余りであり、周囲の木星蟹や浮遊エビ、水素ダコ、クラゲはいずれも100mを超える体長だった。
地球人類は未知の領域に突入していた。




