アンダーグラウンド
2025年(令和7年)12月28日 午前3時【旧アメリカ合衆国ネバダ州 秘密軍事基地 通称『エリア51』】
イエローストーン国立公園からの火山灰が降り積もる中、乾燥した塩湖の上に敷設された1万メートルに及ぶ双子滑走路を持つ軍事基地の片隅が、ゆっくりとせり上がって地下への扉が開く。
地下50mにある格納庫から、電磁エレベーターで上昇した巨大な漆黒の機体が次々と、地下誘導路から滑走路上にある発進位置に着く。
「こちらブラボーリーダー、発進準備完了」
『こちらコントロール。滑走路の準備が出来た。ブラボーリーダー、発進を許可する』
「ラジャ。電磁推進システム、イオンエンジン点火。ブラボーワン、テイクオフ!」
滑走路から滑るように静かな挙動で、巨大なブーメラン型をした10機のボーイングB-2S高空宇宙爆撃機が飛び立った。
全翼式の機体下部には、巨大なコンテナが吊り下げられている。
火山灰の中にも関わらず爆撃機のエンジンが停止する事はなく、静かに稼働する電磁イオンモーターが両翼の端で火山灰との摩擦で発生した膨大な電子エネルギーを吸収するとイオンエンジンへ注入していく。
瞬く間にマッハ5を超えたステルス爆撃機は進路を東に取り、独特のソニックブームを起こしながらアフリカ大陸西海岸地区へ向かった。
「長官、全機発進完了しました。2時間ほどで目標上空に到着します」
地下司令部の当直将校が、マッカーサー三世に報告する。
「よろしい。目標上空に到着次第積み荷を投下、ディエゴガルシアで別の荷物を受け取って東回りで帰投させるんだ」
マッカーサー三世が命令する。
「奴らには、今一度実績を積んでもらわんとならん」
当直将校は爆撃機搭乗員を思いやっての発言だと”誤解して”尊敬のまなざしをマッカーサー三世に向けた。
マッカーサー三世は瑠奈達への爆弾を上乗せする意味での発言であったのだが、真意を知る者は居ない。
♰ ♰ ♰
――――――同じ頃【神奈川県 横浜市 神奈川区 NEWイワフネハウス 大月家】
「ええっ!?瑠奈に召喚状!?」
大月夫妻は、ジョーンズ中将からマルス式プライベート通信で、瑠奈に対し地球復興局が火星由来生物持ち込みを行った疑いで月面都市への召喚命令が出た事を知らされて驚愕していた。
「ジョーンズ中将。夫が火星生物の脅威を身に染みて理解しているのを、貴方が一番理解されていると思うのですが?」
困惑したひかりが、ジョーンズに説明を求める。
『大月夫妻のご懸念は私も理解しているつもりです。ですがこの話は我々軍からではなく、地球復興局として局長のマッカーサー三世による直接要請なのです』
ジョーンズも現地で瑠奈を廻る騒動に巻き込まれているのだろう、精悍な軍人らしさが失われ憔悴しているように見える。
『この期に及んでは、瑠奈嬢の無実を証明する物が必要になると思われます』
ジョーンズが客観的証拠を提示してはどうかと提案した。
「アドバイスありがとうございます。我々で検討します。それまでは、瑠奈への実力行使は、絶対に控えてくださいね?」
満が念を押す。
『わかっている。北米大陸救出作戦で、この老骨を地球に運んでくれた恩は忘れんよ。瑠奈嬢の件では中立を維持する。個人的には出来るだけ彼女を守ろう。瑠奈嬢の明るさには、私も救われたものだからな!』
「……まったく。今度の国は身の丈に合わん背伸びばかりだ!
行政運営を地球復興局に委託した途端、この有様だ!月面の文官共は、現地事情を把握出来ていない!」
ジョーンズが憤怒する。
「そちらの立場は理解しました。私達は日本国政府に支援を要請します、それでは」
ひかりが通信を切った。
「あなた。岬博士が最近提唱している海洋生物学の新説を証明しないといけませんね」
ひかりが隣に座る満に言う。
「ああ。こんな所で邪魔をされる謂れは無いのだからな」
満がひかりの手を握りしめて応えた。
昨年12月に大月満が起業した『ミツル商事』は、小笠原沖のメガフロート海上都市建設と管理運営、火星沿岸養殖事業、マルスシャトル・コウノトリ無人貨物船を利用した官民合同航空宇宙会社、三姉妹操るアンドロイド軍団による警備保障業務等、短期間にもかかわらず、大規模事業を次々と立ち上げて受注に成功し、着実に収益を上げていった。
マルス・アカデミーの申し子ともいうべき美衣子達三姉妹がゼイエス達から受け継いだ知識や知見、シドニア地区の地下研究施設等、最初から元手がゼロ故に急成長するのは当然の成り行きだったのかもしれない。
また、三姉妹を温かく迎え入れた大月夫妻や総合商社角紅の似志野社長、日本国政府の澁澤や岩崎、東山等によるサポートも功を奏していた。
急成長の企業では組織の成長が追い付かずに経営者が苦労を強いられるが、ミツル商事は人工知能的性格の三姉妹がアンドロイド個体を扱い、少人数で驚くべき効率性と生産性を上げていた。
また、角紅役員のひかりが海洋養殖・航空宇宙産業で用いる機材の試験部品発注先として町工場の活用を満に提案し、小回りの効く研究計画を推進していた。
日本国内の自動車産業を始めとする製造業は2021年1月の火星転移以来、脱ガソリン、水素・電気動力への転換を旧ピッチで推進していたが、系列企業の下請けや孫請けの中小企業は従業員の高齢化と若手熟練工員の不足により急激な業態転換が追い付かず、操業停止に陥る町工場が続出して社会問題となっていた。
満とひかりはそれら中小零細企業の適性に合致する業種、例えばメガフロート海上都市の管理運営、地球圏と火星各地に展開しているコウノトリ型宇宙貨物便メンテナンス、羽田や人類都市ボレアリフ、同ガリラヤ国際空港におけるマルス・アカデミー・シャトルの整備点検を次々と町工場へ委託して彼らの窮状を救った。
人手不足の町工場には美衣子達三姉妹からマルス・アカデミー・アンドロイド工員が派遣されて操業の手助けを行い、マルス文明技術の供与も機密情報保護契約を締結した企業には規模の大小を問わず惜しみなく行った。
こうしてミツル商事と業務提携した各種製造企業は2,000社を超えた。
2025年11月時点でミツル商事の企業規模は、大月が勤めた総合商社角紅と同程度にまで急伸し、取引企業数では角紅を凌駕しつつあった。
初年度決算は、大幅黒字であろうことは明白だった。
既に大手証券会社やメガバンクから東京・火星証券取引所への株式上場提案が、総合商社角紅を通じて提案されている。
しかし、それほどの大企業グループを育て上げた満やひかりをもってしても、瑠奈の問題を解決する事は出来なかった。
大月は今日も、首相官邸を訪問せざるを得なかった。
♰ ♰ ♰
2025年(令和7年)12月28日午前7時30分【東京都千代田区永田町 首相官邸 応接室】
「総理。朝のお忙しい時間に申し訳ございません」
満とひかりが頭を下げる。
「構わんよ。私も昔は、この時間には出勤して資格試験の勉強をしていたもんだ。大して効果は無かったがな!わははは」
メガバンクの一行員だった頃の経験を思い出した澁澤は、笑った後に目を細めて大月夫婦を見つめた。
「で?瑠奈君の事かね?」
「ご明察恐れ入ります」
澁澤に言い当てられたひかりが恐縮する。
「そうか」
そう呟くと澁澤は、腕を組んで視線を天井に向けてしばらく黙考した。
「マッカーサー三世と直接交渉すると、相手の思う壺になるだろう。私としては、ソーンダイクとの直談判が望ましいと思う。だが……彼は官僚組織を掌握しているマッカーサーの意向に抗えないだろう。結局は、ユニオンシティ国を巻き込んだ地球圏との関係悪化は必至だな」
澁澤が厳しい条件認識を示した。
「そこで仲介役を準備するのですね?」
ひかりが訊く。
「察しがいいな」
感心する澁澤。
「此方も、それなりの情報を集めておりますので」
ひかりがしれっと言う。
「ケビンに相談しようと思う」
澁澤が打ち明ける。
「ロイド提督ではないのですか?」
満が首を捻る。
「今回は人間相手だ。だから政治家の出番だろう」
「なるほど、ケビン首相は外交のプロでしたね」
ひかりと共に”どこへもドア”でダウニングタウンを訪問して午後の紅茶を楽しんでいた時間が長かったせいか、満はケビンが駐日英国大使として辣腕を振るった事をうっかり忘れていた。
「そうだ。故に喰えん男だよ。見返りの事を考えると頭が痛い……」
渋い顔の澁澤。
強かなネゴシエイターであるケビンとの交渉は剛毅な澁澤でさえも神経を削るものなのだ。
「それであれば、一つ伝言をお願いできますか?」
「一体なんだ?」
ひかりは少しだけ微笑み、澁澤が訊く。
「灰に埋もれたケンジントンの難民キャンプで、王室ご一行を見かけました」
澁澤に報告する満。
澁澤が姿勢を正しながら、思わず身を乗り出す。
「詳しく聴こうじゃないか?」
大月夫妻と澁澤首相は、それから1時間程今後の対応について話し合うのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同日午前9時【首相官邸 総理大臣執務室】
澁澤が英国連邦極東のケビン首相と、ホットラインで話し合っていた。
『タロウ、話はわかった。日本政府の巨大ワーム解剖に、我が国の将官を立ち会わせよう。だが、マッカーサー三世は絶対にそんな証拠を認めないだろうよ』
「だから、交渉の達人である君に頼んでいるんじゃないか」
『仲介する我が国も、かなりのリスクを負うことになるのだが?』
「同じ列島だ、死なば諸共だろ?」
『ご冗談を』
「仕方ない。マルス・アカデミー・大型シャトルを1機、1か月無償利用でどうだ?」
『……半年だ』
「交渉の時間が惜しい。3か月の無償提供だ。それと、ハイパーループ実証試験を、イングランド島とオーストラリア大陸中央を結ぶ形で行おうじゃないか。もちろん、実験後の管理はケビンに任せよう」
『……いいだろう。タロウは分かっているじゃないか!』
ようやくケビンがテレビ電話越しに満面の笑みを浮かべて了承した。
「これでも必死なんだ。ところでケビン、君はまだ王室に関心があるかい?」
『藪から棒だな。当たり前だろう。私は今でも女王陛下の代理人だ!』
澁澤の唐突な発言にケビンが怪訝そうな表情で答える。
「……そうか。ミツル商事の者が、ケンジントン難民キャンプで王室メンバーを見かけた。避難民の世話をしているそうだ」
ケビンは虚を突かれて一瞬呆けた顔をしたが、すぐに涙をこらえてポーカーフェイスに戻った。
『皆ご無事なのか!?』
「無事だ。ただ――――――火山灰の影響で、女王陛下が重度の呼吸器疾患を患っておられるようだ」
『今すぐ”どこへもドア”でお救いに参らねば!』
「落ち着け!ケビン!陛下は動かれないそうだ」
『なんだと!?』
「陛下は最後まで、国民と共に在りたいそうだ。皇太子殿下も同じだ。ただ、皇太孫は火星日本列島に預けたいそうだよ」
『直ぐに迎えに行かせよう』
「では”ドア”を使ってイワフネハウスに来てくれ。既にミツル商事がアンドロイド部隊を待機させている」
『感謝する!ロイドがSAS(空軍特殊部隊)を引き連れてそちらに直ぐ向かうそうだ。頼む!』
ケビンの背後からは、電話越しでも慌ただしい人の動きが感じ取れた。
「こちらも、瑠奈嬢の事を期待してもいいか?」
『任せろ。奴を第3のウォーターゲートにしてみせよう!』
澁澤が念を押すと、ケビンが慌ただしく通話を切った。
澁澤は小さくため息をついて大月家に連絡を入れるのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同日午前9時50分【長崎県佐世保市ダウニングタウン 首相官邸】
地球で窮地にある英国王室を救うために急ぎ足で官邸を出発したロイド提督と入れ替わりに、MI6(対外情報6課)を管轄する内務大臣がケビン首相の元を訪ねていた。
「奴の尻尾は掴めたのかね?」
「全容はまだですが、少し興味深い事が幾つか分かりました」
ケビン首相の問いに内務大臣が慎重な言い回しで答える。
「ふむ。続けたまえ」
「マッカーサー三世の出生は1947年7月、ニューメキシコ州ロズウェルですが、同じ時期にロズウェルでUFO(未確認飛行物体)が墜落して宇宙人が捕獲されています」
「君は、何時からタブロイド紙の記者に転職したのかね?」
胡乱気な眼でケビンが訊く。
「恐れながら、当時の我が国駐米大使にトルーマン大統領から、アトリー首相宛に託された極秘親書が残されておりました」
「内容は?」
「"爬虫類の進化に興味はないか?"だそうです」
「それで我が国は、鵜呑みにしてノコノコ共同調査へ赴いたのかね?」
「いいえ、首相。翌年ベルリンがソ連軍に封鎖され、東西冷戦が勃発しました。その為共同調査提案は自然消滅したようです」
「出生の秘密か……。他には?」
「彼は以前よりCIA(中央情報局)に所属しており、裏世界の仕事がメインです。
此方が実績を調べる術がありません。現在もユニオンシティ国中央情報局長官を地球復興局と兼務している事から有能と思われます。
また、中央情報局が管轄する施設の一つに、ネバダに在る『エリア51』基地が含まれています。この基地はロズウェルの他にも、世界各地で墜落したUFOの残骸と搭乗員を収容していると言われております。
エリア51の実際の任務はユニオンシティ政府に変わっても尚、公表されておりません」
「……なるほど。実に興味深い」
ケビンは葉巻に火を着ける。
最近、彼は立て続けに起こる秘かな国難に忙殺され、禁煙を放棄していた。
「君の推測を述べたまえ」
「彼は、地球人ではないのかも知れません」
内務大臣が静かに言った。
「根拠は?」
ケビンは内心の驚愕を表に出さずに訊く。
「日本国に対する”ダグラス家”の異常な執着心は、祖父の代にまで遡ります。
祖父は日本を占領統治、二世は駐日大使を務めて日本与党首脳に深く入り込んで日米安保条約改定に尽力して後の米国政治で大きな影響力を持ちました。
彼は先達と同じように、日本を利用して自らの栄達を築くのが当然と思っていたのでしょう。思うようにならない日本政府に、恨みを抱いているのではないかと」
「なるほど、奴の小物らしい心理に一致するな」
「ええ。それと彼が中央情報局長官になってから、エリア51基地周辺でUFOや未確認生物(UMA)の目撃情報が頻発していると現地協力者から報告が上がっております。
また、1987年の東京大停電時に日本自衛隊を強引に動員し、北陸にあるマルス・アカデミー基地やその飛行物体に無謀な調査を強行しようとした事例が、日本の情報機関から提供されました」
「内務大臣。私はオカルトは好まんのだ」
「申し訳ありません、首相閣下。ですが、疑問が多いのです。
出生はもとより、何故彼は極東アメリカ崩壊直後に"自力で"地球圏に現れる事が出来たのか?
――――――彼独自の特殊な惑星間移動手段があったのでしょうか?
――――――彼がエリア51で何かを企んでいるのは明らかです。これはモサド(イスラエルの諜報機関)も同様の結論を出しております。
彼がエリア51で得た成果を使って日本国とマルス人に敵対するならば、我が国にとって由々しき事態です」
「成る程。彼は黒だな。最悪、彼の背後にある異星文明と対立することも視野に入れねばならんな」
ケビンは物憂げに肺一杯吸い込んだ紫煙を吐き出すのだった。
彼が禁煙を再開するのは遥か未来だと思われた。




