第二王子の不条理劇2 ※R15
その声を耳にした途端、痛いくらいに心臓が拍動した。
さんさんと朝日が差し込む広々とした食堂に、みっつの黒い影が立っていた。
父の背後、母の背後、そして――手元のスプーンに映ったのを見るに――自分の背後にも夜を切り抜いたような影が立っていた。
ルナールは自分の背中が冷や汗でびっしょりと濡れていることに気付いた。肌がくまなく泡立ち、穴の開いた風船にでもなったようにいくら息を吸い込んでも胸が苦しい。
震えながら横目で伺えば、父も母も硬直したまま己の前にある皿を食い入るように見つめていた。皿を見つめているというより、そこから目を放して影を視界に入れるのが恐ろしいという様子だった。
父の後ろに立った影が、「いやはや」と楽しげに口火を切った。朗々とよく響く男の声だった。
「なにやら行き違いがあったご様子ですな、陛下。我々の獲物を横から掻っ攫おうとした者がいるようなのです――狡猾な狐のように」
父が喘ぐように答える。
「は……な、なんの話だ。ドロフォノス……ッ」
――ドロフォノス……ドロシー・ドロフォノスの?
ルナールは声だけで誰か分かるほど親しくない。相手を見て確かめたいが、怖くて顔を上げることは出来なかった。男は父の声が聞こえなかったように続ける。
「さあ困った困った。王陛下自らが、我々狩人に『時機がくれば獲れ』とお命じになった兎なのに、引金へ指がかかった途端、鼻先から奪うなんてひどい裏切りではありませんか」
「ま、待ってくれ……本当に一体なんのことか」
と言いかけ、父はハッと息を呑んだ。
「まさかクロッドのことを言っているのか……?アレは勝手に逃げたんだ!儂はなにもしとらん!なにかあったならセルペンスの仕業だろう!」
するとルナールの後ろからすっと手が伸び、食卓の中央に大きな銀の皿が乗せられた。釣鐘型の覆いが被さっているため中身は分からないが、これまで嗅いだことのないような異臭がした。
「なるほど、しかしセルペンス王弟殿下はもう少し慎重な方だと思いますが。なんにせよ今回の一件、我が娘は大変に気分を害したようで、この有り様ですよ」
純銀製のカバーが軽やかに外された。
一瞬ソレがなにか分からなかった。
黒いソースのかかった丸焼きチキン。そう思って凝視していたが、チキンもこちらを見ていることが分かった。
正体を理解した父は絶句し、母は悲鳴を上げ椅子から転げ落ちた。
それはチキンではなく、切り離された人間の頭部だった。
どす黒い血液がゼリーとなって皿を満たしている。血が抜け落ち灰色に変色した肌は、切れ味の悪い刃物で刻んだような傷跡に覆われ、千切りにしそこねたキャベツのようだった。今にも断末魔を上げそうな表情、事切れる直前の恐怖が瞳にこびりつき、助けを求めてルナールを見つめていた。
「これは失礼、メインディッシュの前にご覧にいれるべきではなかったですな」
今にも笑い出しそうな男の声。
ルナールはまともに椅子に腰かけていられないほど全身を震わせながら、生首から――案内人の生首から必死で目を逸らした。
「ひ、わ、わ、儂は知らん……なにも知らんッ!」
「そうでしょうとも」
父の絶叫に、男は鷹揚に頷く。
「しかし、知らないとおっしゃられても何も解決しない。陛下への信頼をこんな形で失うのは我々も心苦しいのです。例えば不誠実や傲慢は許せるんですよ、いずれ我々が望むままに蹂躙し奪うことができるから。しかしその機会を失うことは許しがたい。奪うのが当たり前なので、奪われるのは我慢できないのです。特に長い間耐えた娘が不憫でしてね。そこで陛下にお願いしたいのですが」
男はことさら明るい声を出した。
「あの兎――我々が始末する予定であった、あの兎を譲って頂きたい」




