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道化王子の三文芝居4

呆けている間に、男たちに手枷を嵌められ、あっさり捕まった。大声をあげ抵抗するべきかと思ったが、糸が切れたように身体が動かなかった。心の内を占めるのは乾き切った諦観。


やっぱりダメだった、という思いだった。


自分のやることがうまくいくわけない。うまくいったことなんて一度もないんだから。今更身分を捨てて暮らすなんて贅沢な願い、叶うわけない。民が一生懸命働いたお金で何不自由ない暮らしをしていたくせに、無責任に逃げようとした当然の報いだ。


想像するだけで我慢すればよかった。平民に――自由になれたらなにをしようか、と。


邪推されず興味のある本を読んでみたかったし、気を遣わずに好きな物を好きなだけ食べてみたかったし、人目を気にせず散歩をしてみたかった。ドロシー嬢に似た緑色の目の黒猫を飼ってみたかったし、明日こそ自分を嫌っている誰かに刺されるかもと怯えることなく、ぐっすり眠ってみたかった。


そして、できれば誰かの役に立って感謝されて、「いなければいいのに」と言われないような人間になりたかった。


クロッドさえいなければ。


みんながそう思っているのを知っていたから消えようとしたけど、結局こうなったわけだ。


クロッドさえいなければ、王位継承権は始めからルナールのものだった。クロッドさえいなければと、父王(ちち)側妃(はは)もはっきり口に出していた。誰にも打ち明けていないが正妃――実の母でさえそう言っていた。彼女は国に愛する人がいたのだ。クロッドが生まれなければ離縁されて故国に帰ることができた。王弟も、教会も、他貴族家も、クロッドさえいなければ無駄な派閥争いなんてしなくて済んだ。


なによりクロッドさえいなければ、ドロシー嬢は幸せに生きられた。


――初めからいなかったら全部うまくいったのに。私さえいなかったら。


自分がいなくなって喜ぶ人は大勢いるだろう。損得勘定で残念がる人はいても、きっと悲しんでくれる人はひとりもいない。


――この計画を立てたのがルナールなら……きっとルナールも悲しんでくれないだろうな。


「おい、この馬はどうする?」


ふと男たちの会話が聞こえ、クロッドは顔を上げる。愛馬のラビが大きな目でこちらをじっと見つめていた。無垢な瞳に主人を心配する光がある。


「どこかで売るか?」

「足がつく。始末しよう」


クロッドは腕を抑えていた男を振り払って、ラビに駆け寄った。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。私の馬なんだ。最後の別れくらいさせてくれ」


案内人も含め、周囲からどっと笑い声が上がった。


「バカかコイツ」

「ほっとけ、嫌われもんの王子サマにゃあ馬しかトモダチがいねえんだ」


クロッドはラビに寄り添いながら、周囲をそっと見回した。案内人と頭目らしき男、護送馬車のそばに3人。後は自分を抑えていた男が背後に2人。馬を連れているのは案内人と背後の2人だけだ。


枷の嵌った両手を上げて、優しく愛馬の鼻面を撫でる。


「ラビ、ラビ。今までありがとう。悲しんでくれそうな相手がひとりはいてうれしいよ」


自分の手がひどく震えているのに気付き、己の小心さに思わず苦笑する。


「元気でな」


愛馬の滑らかな首を抱き、さりげなく手綱を木からほどいた。素早く後ろに回って馬の尻を叩く。


「走れッ!」


ラビが走り出したと同時に、反対方向へ自分も走る。


ラビは道を覚えているし、馬具には紋章が刻まれている。きっと王宮まで帰れるだろう。自分が逃げれば馬ではなくこちらを追ってくるはずだ。


案の定後ろから怒号が聞こえ、追手がかかった。相手は騎馬だからすぐに追いつかれるのは分かっている。本気で逃げられるなんて考えていない。ほんのわずかでもラビから気をそらせれば十分だ。


獣道を外れ、できるだけ草の深い方へ走った。両手を腹側で縛められているため枷が重く動きにくい。すぐに息が切れ、木の枝にひっかかり、泥で滑りそうになる。


土を蹴る蹄の音がすぐ後ろまで迫った。


「銃は使うな!巡回兵がいるからな!」


ヒュンと風切音が聞こえ、間を置かず腿に焼け付くような痛みが走る。布地が裂け、鮮血が迸った。


「……ッ!」


足がもつれたところを突き飛ばされ、地面に突っ伏す。口内に鉄の味が広がり、唇の端から血が滴る。


「はあ、はあ……ッ」


なんとか手をついて起き上がったところを狙って、鳩尾に堅いブーツの爪先が蹴り込まれた。胃が痙攣し夕食の残骸が地面にぶちまけられる。激しくせき込むクロッドの背中に何度も容赦なく鞭が降ってきた。


「ふざけやがって!」

「おい縄よこせ。首にくくりつけてさっきの場所まで引きずってやる」

「いっそ足の健を切っておけよ。殺さなきゃ何したっていいだろ」

「逃げた馬はどうする?」

「王宮に戻らせるのはマズい。護送車の中にいる猟犬を放して――」


「ま、待ってくれ。言う通りにするから、あの子はこのまま帰してやってくれ!」


クロッドは四つん這いのまま、額を地面に擦り付けた。


「逃げてすまなかった!もうおとなしくする!監獄にだって入るし、一生外に出られなくていいから!最後の頼みだと思って、どうか……ッ!」


悪名高い王子が跪いて、涙声で懇願する様は滑稽だった。自分の吐瀉物にまみれ、鼻血まで出している。ただでさえ笑い者の道化なのに、こんな情けない姿を世間に見せて回れたらさぞ愉快だろう。ルナール殿下に後で報告するのが楽しみだ、と案内人はほくそ笑む。


別の男が泥だらけになった銀髪を掴んで、力づくで引きずり起こす。ぶちぶちと髪がちぎれる音。苦痛に歪む頬へ唾が吐きかけられた。


「うるせえ道化野郎!さっさと立て! 今度舐めた真似したら――」


一斉に松明が消えた。


暗闇のなか、獰猛な殺意を湛えた緑眼が浮かび上がる。





「わたくしの可愛いお人形をいじめているのはだあれ?」

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