表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/34

幕間2/おやすみなさいと初めて言われた日

昨夜、父にうっかり首の後ろをトンされて失神したクロッドは、元気そうだった。


ドロシーは白目をむいた兄を部屋から引きずり出しながら安堵する。

今日もクロッドは顔色が良く、脈や呼吸も落ち着いていて、口調もしっかりしているし、なによりきちんとドロフォノス家に存在していた。あんなに大きな身体で、あんなに目立つ外見のわりに、目を離せばクロッドが影も形もなく消えそうでドロシーは気が気でなかった。


――おそらく王宮での印象が強いのでしょうね。


まるで随分昔のことのよう。ドロシーが王子妃教育でまだ王宮を出入りしていた頃。傲慢で自分勝手で嫌われ者の道化王子は、臆病で穏やかな本質をひた隠し、王宮で息を潜めて暮らしていた。


ドロシーはそれをずっと前から知っていたが、庇ったり、踏み込んだりはしなかった。彼の身辺をはっきり気にし始めたのは――あれはいつだったか。

霧雨が降る春先だった。




※※※




ドロシーは、側妃ラースカに招かれたお茶会に付き合ったのち、語学の指導を受けるため勉強室に向かっていた。


その日、王宮のサロンで行われたお茶会は、はっきり言って時間の無駄だった。

ラースカの取り巻きとする会話は不愉快で、ありきたりで、全員の舌を切り落としてやりたいくらい退屈だった。彼女らは他にやることはないのだろうか。人間にとって若く健康な時間は有限だというのに。


そして、行きにも通った広間まで戻ってきたところで、自然と足が止まった。ドロシーは二階を見上げ、そのままじっと考え込み、やがて傍らの侍女に命じた。


「トリア、先生にお伝えして。『今日のお勉強は結構』だと」


侍女のひとりが頭を下げ、勉強室へ去っていく。


王子妃教育などドロシーには程度の低い暗記作業でしかなかった。ドロシーが知らない言語などないし、そもそもドロシーよりも誕生が若い国の方が多いくらいだった。ほんの少し世界の情報を更新するだけで十分だった。


それよりも、今気になるのは――


「キャトル、わたくしは用があります。先に馬車に戻りなさい」


もうひとりの侍女も静かにドロシーの傍を離れていく。その背を見送り、ドロシーは再び階上を見上げた。


――彼は、さっきあそこにいた。


ドロシーの暗殺する標的、クロッド・イグルーシカ。


クロッドは遠目に見ても、ひどく疲れているように見えた。顔色が優れず、目の下にはうっすら隈が浮いているようで、あまり眠れていないのかもしれなかった。それに、いくら距離が離れていたとはいえ、普段あんなに一生懸命ドロシーを避けている彼が、今日に限ってこっそり後を追ってくるなんて妙だ。注意力が落ちているのか。あるいは我慢できないくらい人恋しかったのか。


ドロシーは、ドレスの端をつまんで二階の手すりへと軽やかに飛んだ。階段を一段ずつ上がるのが煩わしかった。無駄に長い廊下を滑るように進み、王族の居室や執務室が並ぶ前を通り過ぎ、やけに静かな一角に辿り着いた。この区画はすべてクロッドの部屋のはずだ。


ドロシーは生きている人間の気配を探った。一番奥の部屋に誰かいる。深く規則正しい呼吸音。どうやら探している相手は眠っているようだ。様子を見たかっただけなのでちょうどいい。不用心なことに近辺には侍女も護衛もいない。ドロシーはするりと部屋に入り込んだ。


はたして、お目当ての人物は長椅子に座ったまま、眠り込んでいた。


――何故、こんなに寒い部屋で眠っているのかしら。


ドロシーは火の入っていない暖炉を一瞥した。

王宮内にはドロフォノス家の手下が多く隠れている。だが、私室の中までは見張らせていない。人の出入りはドロフォノス家の写像機に自動転写しているし、届く手紙も出て行く手紙もすべて内容を(あらた)めている。

でも今後はもう少し近くで監視した方がいいかもしれない、とドロシーは思った。王宮付の侍女ときたら、外では雨が(みぞれ)に変わろうかというほど寒い日なのに、指示がなければ火の用意もしないのか。幣家の者をクロッドの部屋付きにした方がよさそうだ。


――わたくしが殺すまでは、元気に生きていてもらわないと困りますもの。


言い訳のように胸中で呟き、ドロシーは改めて部屋の主を眺めた。


クロッドは背もたれに身体を預け、今にも椅子から崩れ落ちそうな恰好で眠っている。厚い胸がゆっくり上下し、そのたびに白く色づいた呼気が吐き出され、見るからに寒そうだった。

ドロシーはクロッドが膝にのせている詩集をちらりと覗き、ここにいる間だけでも貸してやろうと自分の肩掛けを首元に巻いてやる。頬に触れればやはり随分冷えていた。夢見が悪いのか眉間に皺が寄っている。


さて火を熾そう。ドロシーが離れようとしたところで、小さな寝言が聞こえた。




ここにいればあんぜんだ。




ドロシーは未だ眠り込んだままのクロッドを――いつか殺す獲物を見下ろした。気が付けば、寝言に答えてやっていた。


「ええ、ここは安全です」


指を擦り合わせ火種を生み出し、薪と一緒に暖炉に放り込む。小さな火は、緩やかに大きな炎となった。


「わたくしがいる間は、誰もここに立ち入らせません」


深い吐息とともに、クロッドの眉間の皺がほどけていく。ドロシーは奇妙な気持ちでそれを眺めた。

それからクロッドの部屋――重厚な星時計と燭台があるだけのマントルピースや曇った鏡、何十年も前から変えてなさそうなザルック織のカーテン、季節柄とはいえなにも入っていない花瓶、ほとんど空っぽで古い聖典だけがぽつんと残された本棚――をぐるりと見渡した。なぜか窓際に古い木剣が一本立てかけてあったが、王家の肖像画も正妃の写真一枚さえ飾られていなかった。


例えば、楽器や盤上遊戯や絵を描く道具。骨董品や絵画や本。そういうものがあれば、そこに暮らす人間は想像できる。しかしクロッドの部屋からは何も分からない。一見行き届いているようだが、ほとんど何もない部屋だといってよかった。こんな部屋で、彼はいつもひとりで何をしているのだろう。


ドロシーは無意識に唇を噛んだ。何故かは自分でも分からなかった。


部屋は暖炉の炎に照らされ、暖かい琥珀色に満たされている。十分に部屋の温度が上がったところで、ドロシーはクロッドから肩掛けをそろりと外した。

その一瞬、大切なものに触れるように、指先でクロッドの目元を撫でる。


「……おやすみなさい、殿下」




ドロシーが、クロッドへの恋心を自覚する1年前の話である。






幕間2 おしまい


あちゃ~拙作コンテスト落選しちゃった~惜しかったな~あとちょっとだったな~!(←かすってもない)


でもせっかく書いたので、この話ももっとブラッシュアップしたいな~って思います!例えば主役ふたりの婚約時代を最初からしっかり書いて、クロッドへのヘイトを溜めてから「実は演技でした!」、虐げられていたドロシー側は「実は暗殺者でした!」とネタバラシする展開もいいかも?(*´ω`*)ドッドッドロドロドロフォノス~!


これからも不定期更新ですが、お気に召した方はまた見に来てね~!(・∀・)ノ


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ