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幕間2/優しい暗闇 ※過去のおはなし

――ああ、いつもの夢だ。


気が付くと、長い廊下の真ん中に立っていた。


さっきまで長椅子で本を――やっとの思いで書庫からとってきた詩集を読んでいたはずなのに、眠ってしまったらしい。


目の前には、様々な形の石を敷き詰めた廊下が、ずっと先まで続いている。

両側には小春日和の庭が広がっているが、明るく陽気な雰囲気はない。日差しは薄ら寒く、柱の影は濃く、鳥の声も聞こえない。立ち入る者を拒絶するようなよそよそしさが感じられた。


目線が低いのは、自分がまだ子供だからだ。身体を見下ろすと案の定、つんだばかりの花を右手に握り締めている。


――あっちに行きたくない。


現実ではそう思っているのに、夢の中の幼いクロッドは廊下の先へ進み出した。


大きな植え込みを曲がり、アーチ形の入り口を抜ければ、目的の扉が見えてきた。近付くにつれ女性の声が聞こえる。


どうしてなの?どうして私なの?なぜこんな目にあうの?


薬液の匂いに満ちた離宮の一室。

真っ白な寝台の上で、ひとりの女の人が泣いていた。

痩せた肩、静脈の浮いた細い手首、光の加減で金にも銀にも見える白金の髪はほつれて痛々しい。海色の瞳が涙で溶け落ちそうなほど潤んでいる。濡れた視線が、ゆっくりとこちらを向いた。


――ははうえ


途端、母は(まなじり)が裂けそうなほど目を見開いた。濁った白目に血が走る。




アレがいる!早く殺してッ!!




母は、獣のように吠えた。


早く!早く殺してッ!!死ねッ!!いなくなれ!!

お前が呪われてるのに!お前が死ねばよかったのにッ!!

お前さえ!お前さえいなければあああああ――――ッ!!!


飛んできた花瓶が、扉に当たって砕け散る。ほんの少しずれていたらクロッドの眼球に欠片が入るくらい近くだった。大人たちが暴れる母を抑えている間に、クロッドはその場から逃げた。黄色い野花を散らしながら逃げた。行けども行けども廊下は終わらず、母の呪詛が追いかけてくる。ついには転んで、その場に倒れ込んでしまった。


――私は、夢でも現実でも逃げてばっかりだ。


母は、クロッドをひどく嫌っていた。特に、この()()()()()()()()容姿を。

大人になったら髪の毛を染めよう、眼の色を変える方法を考えよう。この頃は本気でそう思っていた。そうすればきっと物を投げられなくて済む。怖がられないで済む。贈り物の花も手渡せるだろう。でもそれは叶わなかった。結局クロッドが大人になる前に母は亡くなってしまった。かわいそうな母上。


――私が代わりに死ねばよかった。故国にいる母の想い人の代わりに。


嗚咽を漏らしながら、誰に対してか分からず「ごめんなさい」と繰り返した。


いつもなら、このあたりで目が覚める。そのあとは眠れない夜を過ごすのが常だ。


しかし、なぜか夢はまだ続いていた。


見れば、明るかった庭がぼんやりと霞んでいる。廊下の天井や、わずかに見える空や、モザイク模様の床に、紙に染みるインクのような薄闇が広がっていくのが見えた。闇は重なり合って、より深い闇になった。クロッドごと夢を侵食し、全てを覆い隠していく。


不思議と恐ろしくなかった。それどころか懐かしく、まるで自分を守ってくれているような気がした。ここにいれば肌の色も、髪の色も、瞳の色も分からない。真っ暗だから。


ここにいれば安全だ。クロッドは呟いた。


『ええ、ここは安全です』


暗闇がそう答えた。淡々とした、けれど優しい声だと思った。


『わたくしがいる間は、誰もここに立ち入らせません』


夢なのか、現実なのか。確かめたいのに、どうしても眠くて目を開けられない。

冷たい指先が、クロッドの隈の浮いた目元に触れた。


「おやすみなさい、殿下」


クロッドの思う『クロッドのこと嫌いな人ランキング』1位は実母でした。

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