道化王子の三文芝居
「……本当に大丈夫かな」
自室の扉の前で、クロッド王子は小さくひとりごちた。
普段の威圧感はどこへやら広い背は丸まり、意志の強そうな太い眉はしょんぼりと垂れ下がっている。
クロッドの処遇について、たった今別室で話し合いが行われている。侍従経由で謹慎を告げられて自室で待機しているクロッドは不安でたまらなかった。
「……これで、ちゃんと廃嫡されるかなあ」
うっかり口に出してしまい、慌てて左右を見回す。謹慎中だから侍女も護衛も外なんだった、と胸を撫でおろした。
「いや、大丈夫。これだけ迷惑かけたら今度こそ廃嫡なはず。議会長の家に押しかけたのは計画外だったけど、まさかドロシー嬢があんなこと言うとは思わなかったから……」
戸惑いの表情を浮かべるドロシー嬢を思い出せば、胃がキリキリと痛んだ。その場にしゃがみ込んで顔を覆う。
「…………………………どうしよう。婚約破棄、喜んでなかった」
「人形らしく黙ってろ」だの「真実愛する相手がどう」だの。あんな馬鹿みたいな演説する相手なんて婚約者どころか人として最悪だ。最低だ。婚約破棄されたら、逆に大歓迎のはずだ。
――そのはずだったのに、どうして拒否したんだろう。
会場の空気は完全に彼女の味方だった。あの場で破棄を了承しても誰からも文句は出なかっただろう。むしろ『道化の世話おつかれさまでした』と拍手してくれそうな雰囲気だった。
「……まあ、こんなに長い間、道化の婚約者を耐えてくれた聖人みたいな女性だから……情けをかけてくれたんだろうな」
おそらく思慮深いドロシー嬢は王家の立場を考えて、あえて拒否してくれたんだろう。
そう思うと、これまでの所業もひっくるめて、あまりの申し訳なさに気が遠くなりそうだった。自分の力不足で婚約解消に出来なかったのが心底悔やまれる。クロッドとしては婚約破棄をすぐに了承されて、平手打ちのひとつでも食らう予定だったのだ。
「どうしよう……謝罪……土下座……ワンパターンだけど贈り物……他になにか……ダメだ、思いつかない」
ぐるぐる考え込んでいると、扉の向こうから護衛騎士の声が聞こえてきた。しばらく親しげな会話が続き、部屋に入ってきたのは異母弟のルナールだった。
「ごめん兄上、遅くなった。ちょっと流れがおかしくなってきちゃって」
ルナールがめずらしく挨拶もなく長椅子に座る。暖炉の炎に照らされた少女めいた顔立ちには疲れが滲んでいた。クロッドはルナールの正面におずおずと腰掛ける。
「な、なに?流れって?もう私の立太子は完全に除外されるだろう?」
ルナールは肩で切り揃えた金髪をかきあげ、うーんと唸る。
「それが微妙なんだよね。またセルペンス叔父上が横槍を入れてきた。亡き正妃のためにも兄上の王位継承権は剥奪すべきでない、教会も剥奪を許さないだろうと主張してる」
「えー……」と、思わず情けない声が漏れる。
「それから王弟派について完全否定したよ。『自分はそんな派閥を率いているつもりはないし、兄上を支持する姿勢は変わらない』ってさ。逆に曖昧だった兄上の陣営を後押しするような宣言をされてしまったってわけ。叔父上は兄上の立太子を絶対諦めないつもりだよ。このまま王太子選定が泥沼になったら、ボクと隣国公女の婚約が先にまとまっちゃうかもしれない」
「そんな……」
「あーあ」と、ルナールは乱暴に背もたれへ身を預ける。
「兄上がいなければ全部解決するんだけどなー」
クロッドは言葉に詰まった。
ルナールは時折こういうことを口に出す。もちろん兄弟間の親しい軽口で悪意はないのだろう。こちらが気にしすぎだと分かってはいるけれど少し傷つく。
「そ、それはそうだけど……そんな言い方しなくても」
「やだなあ!兄上はすぐそうやって本気にする!冗談だよ冗談!でも、せめてドロシー嬢があの場だけでもいいから破棄に了承してくれてたらよかったのにね。建国以来の忠臣、王家も道を譲る大資産家ドロフォノス――この一族の影響力は絶大だからドロフォノスが離れたと知れば、日和見連中はボクの陣営についたのに」
「うん……その、ドロシー嬢は気を遣ってくれただけで、私の伝え方が悪かったんだ。うまくできなくてごめん」
悲しげな深緑の瞳が脳裏によみがえる。彼女は今頃どうしているだろう。
「ドロシー嬢は大丈夫かな。叔父上が婚約を継続するよう圧力をかけたりしないかな」
「ドロフォノスにはさすがに手を出せないでしょ。それより兄上の方がヤバいんじゃない?また謹慎じゃん」
今回は自業自得だが、もはや何度目か分からない謹慎だ。
父はクロッドがなにかするたび謹慎措置をとる。前回は遊興費を救貧院へ寄付したら謹慎になったし、その前は騎士団に出入りして謹慎になった。ちょっと上等な夜会のときも大体自室待機。
父王はクロッドが良くも悪くも目立つことをよしとしないのだ。
理由はもちろん、ルナールを王太子にしたいから。




