幕間/嘘つき狼の悲劇あるいは喜劇3
そもそもの始まりは、この仕事を引き受けた2年前のことになる。
恐ろしく楽な仕事だった。
とある人間を監視し、見聞きしたアレコレを上層部に報告するだけ。
新しい名前、新しい身分を手に入れ、観光気分で監視対象の生活圏内に潜り込んだものの、特段監視の必要性が高い相手とは思えなかった。監視の対象は(もはや言うまでもなく)とある王族のひとりだったが、側近も寄せ付けず、式典にも参加せず、くだらない衝突や女遊びなど問題行動を起こすばかり。
対象の言動には矛盾が多く裏がありそうだったが、受動的な観察以上のことを命じられないので、ライはただ見守るだけに務めていた。そろそろこの任務下りたいなあと思い始めた頃、やっと事態は動き(しかも嫌な方向に動き)、対象を追う途中で――
――あの女を見た。
当時「何故自分にこんな平和な監視任務を与えるのか」と不思議だったが、その理由が分かった。
監視対象のそばに不死の一族が関係していたからだ。
その場はなんとか切り抜け、最も近いねぐらに戻り、今頃ベッドにいるであろう上層部に指示を仰ぐべく連絡線を引き、交換手の受信を待っていたそのとき。
突如意識は暗転した。
しばらくの間、気を失っていたらしい。
しかし目を開いても真っ暗闇だった。埃っぽい臭いから察するに、頭に麻袋かなにか被せられている。目の粗い縫い目の隙間から、かすかに明かりが見えた。身動きはとれない。椅子に座った状態で手足を縛り付けられている。
油断した――わけではなかったのに。
抜け出すか。様子を見るか。考えを巡らせていると何者かが正面に立つ気配がした。勢いよく頭に被せられていた麻袋が取り払われる。
その先には、世にも美しい女が立っていた。
――ドロシー・ドロフォノス。
侯爵家の人形令嬢。お淑やかで従順で、婚約者に捨てられた女。
そして――ライの見る前で7人の暴漢を一瞬で皆殺しにした、魔性の女。
「お初にお目にかかります、ローシ魔術補佐官様。少々手荒なお迎えとなってしまってお詫び致します」
ドロシー・ドロフォノスは優雅に、まるで精巧な機械人形が歯車通りに動くように、艶やかな黒いレースドレスの裾を広げ見事な淑女の礼をした。
「お迎え、どうも」
ライは乱れた長い前髪の間から、用心深く人形令嬢を見つめる。
今いる部屋はどうやら地下室のようだ。せいぜい寝室程度の広さで、天井は高く曲線を描き、錆びた鉄格子の嵌った出入口は人形の後ろにひとつだけ。心細げに揺らめくランプが古びたテーブルに置かれている。窓はひとつもなく、湿った石壁が迫ってくるような圧迫感があった。
「評価でいうと星ひとつやな。全然くつろげそうな部屋ちゃうし、もてなしの果物も酒もないし――べっぴんさんはおるけど人間とちゃうかもしれんし」
飄々としたライの言い草に、ドロシー・ドロフォノスは小さく肩を竦めた。
「ご満足頂けなくて残念です。お帰りの際はお酒と果物くらいご用意致しますわ。本日は折り入ってご相談があっておいで頂きましたの」
おいで頂いたっていうか拉致やけど?お帰りの際?ということは帰らしてもらえるん?『人間と違う』って部分は無視?興味なし?いやいや待って、今なんか不吉なこと言うてたで?
「ご相談?オレに?」
「ええ、でもその前に。アーヘラ・トルトゥーラという名に聞き覚えは?」
ライは眉をひそめた。何者かの偽名だろうか。
鈍い反応を一瞥し、ドロシーは無表情のままひとつ頷いた。
「結構ですわ。ありがとうございます。では、あの方はやはり側妃殿下のオトモダチですわね。そして貴方は別の方のオトモダチ。始末を命じられているわけではない。でも守るようにも言われていない。任務は情報収集と監視。そして、わたくしのことを――ドロフォノス家の影の部分を当初ご存知ではなかった。そこまで分かれば、飼い主はひとつしか思い当たりませんわ」
意識せずぴくりと指先に力がこもる。
ひとりではなく、ひとつ。
「オレのトモダチが気になる?詳しく説明しよか?オレ痛いんも怖いんも無理やから、安心安全安住安眠さえ約束してもろたらなんでも話すで?」
「必要ありません」と、切り捨てられる。
「ご相談というのは、今のオトモダチのことではなく新しいオトモダチのことですの。ローシ魔術補佐官様、わたくしの殿下のお友達になってくださいませんか?」
「いいね」ありがとうございます!ハッピー!(*´ω`*)




