幕間/嘘つき狼の悲劇あるいは喜劇
ナイフで、古いパンをザクリザクリと細かく刻む。
一口大になったパンを大きなボウルに移し、自家製バター、塩、胡椒と混ぜ合わせたら、内臓を抜き香草を擦り込んだ丸鶏に詰めていく。平たい黒鉄鍋に鶏を入れ、周りには薄く切った野菜を並べる。暖炉の中にスタンドと鍋を置き、鍋に蓋をかぶせ、蓋の上には焼けた炭をどっさり乗せて、あとは待つだけ。
1時間くらいで本日の夕飯が出来上がる。
じっくり焼いた鶏は香ばしく、パンには鶏の脂や旨みが染み込み、火の通ったアオウリやティップポムはより鮮やかな緑や赤に色づいて、ほの甘く仕上がる。
残ったパンくずは丁寧にかき集めて、小さな陶器製の入れ物に保存しておく。
魚の香草焼きに使おうか、卵が手に入ったら揚げ物にしようか。
そんな独り言を言いながら調理場を片付ける後ろ姿を、ひとりの男がじっと眺めていた。
長い濃紺の髪は櫛を入れていないように跳ね、青灰色の瞳は気怠そうな半眼。胸元や耳に小さな輝石が雨粒のように連なった飾りを付け、ローブの襟元には純銀のバッジが光っている。宮廷魔術師補佐官の徽章だ。
彼の名は、ライ・ローシ。
偽名だが、この国にいる間はこの名で通すつもりである。
ライは、フォークを手に取った。
目の前には切り分けられたパイ――美食を気取る上流階級なぞは絶対に食べないだろう、イバライチゴのパイがある。
断面からは鮮やかな赤がとろりと零れ落ち、甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。ライはフォークをパイに突き刺し一口食べたかと思うと、皿を抱えるようにしてガツガツとパイを平らげた。紅茶に砂糖をザブザブ入れて一気に飲み干す。
「……これも報告した方がええんかな」
「なに?なにか言った?」
台所の片付けを終えた男が振り返った。
立ち襟のシャツに料理用の前掛け、少しけば立った毛織のズボン。均整のとれたがっしりとした体格で、日に焼けた肌とは対照的な透き通る銀色の髪が珍しい。
銀髪の男は、ライの前にある空っぽの皿に気付き、イバライチゴの実のように赤い瞳を和らげた。
「もう一切れ食べる?」
「……いただきます」
うららかな春の日差し。
外からは薪を割る音と、敷地内で飼っている鶏や馬の鳴き声が聞こえる。暖炉にある鍋からはイイ匂いが漂ってくるし、イバライチゴのパイはとても美味しい。
しかし、のどかなひとときを楽しんでいる場合ではなかった。今日もライは、彼のお友達としてしっかり務めを果たさねばならないのだ。
「それで、なんやっけ?仕事の話やっけ?」
自分のコーヒーを用意した銀髪の男は(代用品ではなく本物の豆を使ったコーヒーのようだ)、テーブルについたライの向かいに腰掛ける。
「そう。もうここにきて3カ月くらいたつし、そろそろ仕事をしたいんだけど……そういうときって教会とか広場とか集会所に行けばいいのかな。貴方に教えてほしくて」
「えームリに仕事せんでもええやん。今も他所の手伝いで生活できとるやろ」
「それはそうだけど、本当にただの手伝いだから……羊の移動とか牛舎の掃除とか作物の収穫に手を貸すとか。それで余ったのをもらってるだけだから、生活が成り立っているかと言われると……うーん、ずっとこのままというわけにもいかないよ。だから、ちゃんとお金を稼ぎに行こうかなって。この町は中継所として名が知れてるから、食べ物屋がたくさんあるし、皿洗いとか給仕で雇ってもらえないかな」
ライは飲み込んだパイが、喉に引っ掛かりそうになった。
皿洗い?給仕?こいつが?
しかし先入観を取り除けば正直できるだろうな、とは思う。ただこの料理の腕で皿洗いなんてもったいない。本人は独学だと謙遜しているが、町の食堂くらいなら即日ストーブ番になれそうだ。まあ、でも。
「あかんやろ。地方から王都への中継所なんやから、食堂なんて誰が立ち寄るか分からんやん。前職で会うたことあるヤツが絶対来るで」
「そっか、確かに……。でも、私のことなんて誰も気付かないんじゃないかな。髪を染めたらどこにでもいそうだと思うけど」
――マジか。
自分が目立たないと思っているから、皿洗いや給仕で雇われたいなどというとんでもない発想が出てくるわけか。
――どこの世界にお前みたいなキラキラしい庶民がおんねん!
ツッコミたいのを必死に耐える。
毎回教会の礼拝に行ったら知らんバアチャンが拝んでくるわ、アメくれるわで、アホみたいに目立っとるやん!酒場でちょっと目離した隙に辺境の魔獣退治に行く傭兵と間違われて、馬車乗り場で点呼させられとったやん!
つーか、今やって全然隠れてへんやん!町で「すんませーん、このへんに銀髪の」まで言うたら「ああ、丘の上に住んでる男前?」いうてみんな教えてくれるやん!「あの人って元貴族かなんかでしょ?」いうて子供まで知ってるやん!「いつも一緒にいるキレイな女の人はどうして『デンカ』って呼んでるの?名前?」
こんなガバガバで今までよう見つからんかったな!
いや、もう見つかってはいるのだろう。なにか仕掛けをしているから漏洩していないだけで。
ツッコミできないストレスをぶつけるように二切れ目のパイも食べ終え、さらにおかわりを要求した。
話を戻そう。こいつの仕事の話だ。




