10.舫い
では、なぜ今夜の新島は、さながらゴーストタウンと化していたのか?
麻衣の問いに、真砂はこう答えた。
古くから島のことに詳しい人間なら、島じゅうを練り歩いている海難法師役がいることを知っている。
いくら毎年、頭屋に選ばれた男たちに口外が禁止されているとはいっても、人の口には戸が立てられない。しゃべるなと禁止されると、よけいに……である。
まかりまちがって出くわせば懲罰をくだされるだろう。だからこそ知らぬ存ぜぬを通し、さっさと灯りを消して寝るにかぎるというのだ。屋外から誰かの悲鳴が聞こえようとも干渉しない。とばっちりを避けるために……。
「じゃあ、善明叔父さんが変になり、ずっと入院してる理由は? そしてお父さんが海に落ちて亡くなったのと、なにか関係あったの?」
麻衣は、さっきまでの恐怖はどこへやら、むしょうに腹立たしい気持ちに奮い立ち、真砂に食ってかかった。
老人は両手を広げ、降参だ、とばかりにその場にしゃがみ、あぐらをかいた。
そしてついに、過去になにがあったかを白状したのだった――。
あれは38年前。勝巳が奇しくもいまの麻衣と同じ年の25のときである。
勝巳ははじめて頭屋に選ばれた。それを周囲には伏せ、『親だまり』『子だまり』の夜、巡回に出かけた。
弟、善明がちょうど20歳の年であった。善明はその夜、言い付けを守らず、度胸試しで羽伏浦の海岸へ行った。
そのとき、まだ網元ではなく、一漁師にすぎなかった六十谷扮する海難法師に捕まり、暴行を受けたのだ。
勝巳が合流したとき、時すでに遅しの状態であった。六十谷は善明を棒で打ちすえたせいで、虫の息であった。のちに彼は後遺症のため、残りの半生を精神科病院ですごすことになる。
これを機に勝巳は、島のやり方に異議を唱えた。六十谷との間にもしこりを残した。
六十谷は当時32歳。血気盛んで、ましてやたらふく酒の入った状態で夜まわりに出ていたのだった。
「やりすぎちまったんだ、六十谷も。若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、あのころの善明も、やんちゃな若造で通っていてな。六十谷の嫁に手を出したとの噂が広まっていた。いまとなっては真実は藪の中だが」と言うと、真砂はどこからともなく取り出したタバコに火をつけた。深く吸い、煙を吐いた。「奴はそれを真に受けたにちげえねえ。鉢合わせしたとき、どんなやりとりがあったかまでは、おれも知らん。どうせ、ここぞとばかりに恨みを晴らしたってわけだろう。良くも悪くも海の男だ。やると決めたら、とことんやる」
「それが原因で、長年、お父さんは六十谷さんとの間に、わだかまりが続いたってこと?」
「それが嵩じて、漁師の世界で派閥も生まれた。勝巳率いる若手組と、六十谷ら古株のメンバーだな。キンメダイを狙って沖へ出かけりゃ、ケンカはしょっちゅうだったよ。だけどな、麻衣ちゃん。あいつが漁の最中に足を踏みはずして海へ落ちたのは事実だ。誰かに背中押されて――それこそ、豊島代官みたいに――殺されたわけじゃない。現場にはおれもいたんだ。これだけは断言できる。この業界は、板子一枚下は地獄。そんな形で命を落とす奴は、いままで何人も見てきたさ」
「せめて、遺体だけでも見つかって欲しかったのに……」
「すまん。おれがついていながら、役に立てなくて」
「なら、次の質問に答えて」麻衣はしゃがみ、真砂に詰め寄った。いまになって寒さがこたえ出し、我が身を抱いたまま言った。「さっきの真砂さんが言ったことの補足。新島に、まさかこんな裏の歴史があったなんて意外だった。さっき言ったじゃない。『離島で生きるにはなにが大切で、なにがいけないことか戒めてきた』って。その戒めのために、ずっと海難法師の見まわりを続けてきたのはわかった。でもルール違反したからって、こっぴどく殴られて、最悪命に係わるだなんて、法もなにもない。なぜそこまでして頭屋制を続けてきたのか、教えて」
「さっき言ったろ。だからこそ、モヤイに行き着くわけさ。おまえさんの口からモヤイを出されたら形なしだ。おれもふりあげた拳をおろさねばならん。だから正体を明かした」
「どういうこと」
「モヤイ――舫い。そのとおりだ。島で生きるにゃ、結束の固さが試される。島が狭けりゃ狭いほど、なにかと不便な生活を強いられるからな。昔は電気どころか飲み水さえ確保できなかった。例えば10人の島民がいたとする。たった1人のはみ出し者のせいで、残る9人までが危険な目に遭うことだってあり得る。なにせ逃げ場がねえんだ。だからこそ結束の必要を知らせるため、ルール違反した者は罰を与えなくちゃいけない。日本人はとかく自己責任という言葉を使いたがるのは、おまえさんも知っていよう。自分だけが墓穴を掘って死ぬ分には知ったこっちゃないが、巻き添えを食らうのだけはごめんだ。かつて、大島の若い衆らが豊島 忠松を殺し、伊豆の島々にかくまってくれるようお願いしても、火の粉が降りかかるのを恐れたのもわかる。島で生きるっていうのは、つまりそういうことさ。これはなにも伊豆諸島にかぎったことだけではなかろう。内地にいたとしても、日本人である以上、大なり小なりこんな気持ちを抱えているはずだ」
「どうせ内地だって、大きな島だしね」
「そうだ。日本はでっかい島国さ。けど、人の心は小さい」と、真砂はタバコを揉み消し、にやりと唇をゆがめた。「誰かが海難法師の役をやらなくちゃならねえ。共同体の掟を守らせるための、確認の日なんだ。豊島 忠松の亡霊がどうのという問題じゃあない。すなわち海難法師の存在とは、島が島として機能させるための象徴であり、システムでしかない」
「島のシステム」
「もっとも、1年任期で頭屋は代わるが、その役割もいつまで続けられるかどうか心許ないがな。というのも、新島も過疎高齢化が進んでおり、遠からず頭屋制さえ維持できなくなっちまうだろう。観光客が島を気に入り、ここに移住してくれたとしても、価値観のちがいから、ぶつかることも少なくない。勝巳も生前、これを心配していた。だから声を大にして、六十谷らに反抗した。いまやあの網元が島を仕切っておるからな」
「なるほどね」
「4年前のことになるか。男鹿半島のナマハゲなどの民俗芸能は、ユネスコ世界遺産に登録された。おかげで世間の注目を浴びるようになったようだが、この伊豆諸島の海難法師だけは、興味本位に暴かれては困るのだ。外部の連中を引き寄せることがあってはならん。だから滅びるなら、いっそ潔く消えるのも悪くないと、おれは思うわけさ」
「結局、お父さんの望みどおりになるかもしれないね」
「ああ。いずれな」
麻衣はあまりの寒さに我慢できなくなった。
西ん風はさっきよりましになったとはいえ、カシミヤのセーター一枚では1月の寒さを防ぐことはできない。
麻衣が立ちあがり、つられて真砂も踏ん張ったときだった。
真砂の視線は麻衣の背後に釘付けになっていた。
うしろにあるのは不法投棄されたゴミの山である。
なにか、得体の知れぬ気配を感じた。無数のフナムシでも這い寄るような、ぞわぞわとした視線。思わずふり返らずにはいられない。
老人は眼を見開いたまま、
「麻衣、ふり向いちゃいかん!」
と、叫んだ。
信じられないものを目撃したかのような顔をして固まっている。あまりの突然の豹変ぶりに、麻衣は言葉を失った。ふり向きたい誘惑は打ち消された。
真砂は『い』を発音する口のまま、歯を食いしばり、身体を硬直させた。それこそメデューサに睨まれた直後のように――。
老人はやっとのことで、しゃがれた声を絞り出した。
「お、おれも……ついに寿命か。お、おまえさんと……かけっこして、どうも……心臓、無理したのがいけなかったのかも……」片手を鷹の鉤爪みたいに開き、胸を押さえた。じきに身体をくの字に曲げて、かきむしる。血走った眼で麻衣を見た。「……も、もしかしたら、奴を……。と、豊島代官を……み、見ちまったのは、おれの方だったのかもしれねえや……」
どさり。
頭から倒れた。
麻衣は突然のことに動転し、どうしていいかわからない。
老人は両眼を見開いたまま、ピクリともしない。口から泡を吹いていた。
いつしか偏西風はおさまっている。
恐る恐る麻衣は、ゴミの山をふり返った。
なにもなかった。
街灯の光が届かぬ部分は、墨をこぼしたかのように暗いだけである。
はたして真砂が目撃したものはなんだったのか?――わからない。
麻衣はしゃがみ、老人の容態を調べた。
まばたきすらしない。口もとに手をかざしてみたが、息を感じられなかった。
すでに事切れているようだ。
……こうして、麻衣と死のストーカーとの攻防は、意外な形で終わりを告げたのである。
◆◆◆◆◆
あかれら早1カ月がすぎた。
麻衣は東京に戻り、世田谷区下北沢駅近くのファッション専門店で、販売員として働いている。
めくるめく日常の慌ただしさだった。新島で体験したことはつい忘れがちになる。
あの夜、てっきりうしろを追いかけてきたストーカーこそ、豊島 忠松の亡霊ではないかと早合点してしまった。逃げている最中、おぞましい視線を感じたものだが、しょせん麻衣が勝手に作り出した恐怖心の産物にすぎなかったのだ。
しかしいまでは、別の存在を感じるようになった。
忙しさと人間関係につまずき、時に心身がくたびれることも少なくなかった。
そんななか、温かい視線も感じることが増えた気がする。
きっと父にちがいない。勝巳ならきっと娘のことを静かに見守り、あらゆる災いをも払いのけてくれるはずだ。
結局、父の亡骸は見つからずじまいに終わった。
それでもかまわないと、麻衣は思えるようになった。
悲しんでばかりいたら、あの人は悲しむ。
だから、どんな辛いときも顔は下に向けないと誓ったのだった。
遠くへ行ってしまったとしても、舫い、つながっている。
今日も麻衣の笑顔見たさに、大勢の客が押し寄せるにちがいない。
了
★★★あとがき★★★
なんとか1月24日に終えることができて、一安心^^
海難法師や『親だまり』『子だまり』について調べているうちに、さまざまなことがわかった。
伊豆大島のケースである。昔だと、1月24日の日中は集落の入口に数人の男衆を番に立たせ、よその集落から人が入ってきたらボコボコにしたとか、物騒なこともあったようだ。
そのうち、「郵便屋さんだけは許してやろう」と協議で決まったらしく、局員は見逃してくれたとか。
それでも一応、懲らしめたという証拠を必要としたらしく、叩く真似だけをして、特別に通したという。
頭屋制で海難法師を演じ、外を出歩く人に懲罰をくだす云々は、作者による創作にすぎない。
本当は海難法師を迎える一族の行事があるらしいが、今回は脚色した。離島を貶めるつもりは毛頭ございません^^;
作中あるように真砂老人の扮装については、端的に言えば宮古島の『パーントゥ』を参考にした。まさに泥神。興味がおありなら『パーントゥ・プナハ』を画像検索されたし。我が国にはこんな奇祭があるのだ。日本の懐の深さを垣間見ることができるだろう。
ちなみに『海難法師』をYouTubeで検索すると、いくつかupされている。
なかでも、まさに新島出身者、植松 創さんが、ゲストとして登場した下記のコーナーは必見。
【ゲスト怪談】怪談師 植松創登場!海難法師にまつわる超貴重映像を初公開!【独占取材】
https://www.youtube.com/watch?v=t-G3XugR8mI
なんでも植松さん自身は、新島にて海難法師を祀り、鎮めている家系の親戚らしく、突撃取材を試みたのだ。
その家系の私有地に祠を祀っているため、ふだん第三者は足を踏み入れることができない。
小さな祠で海難法師の御霊を祀っているという。家系のおばさんとの会話では、オブラートに包んで詳細をボカした部分はあるものの、一般の学者でもここまで入り込めないのではないだろうか。
オカルトというよりも、民俗学的にたいへん貴重な映像である。
※14:35あたりから




