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マーガレットの花のように  作者: 長岡更紗


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20/22

第20話 降臨と誕生と

 そうしてアクセルと今後の事を話し合っていた時である。いきなり破水をしたのは。

 生温かい羊水が下着を濡らす。レリアは思わず「あっ!」と声を上げた。


「どうした、レリア!?」

「破水、しました」

「何!?」

「まだお腹に痛みはありませんが、破水してはもう出てくるでしょう。すみませんが、ケビンさんを呼んできて頂けますか?」

「わかった、待っていろ!」


 アクセルは慌てて出ていったが、レリアは三度目のお産だ。破水から始まるのは初めてだが、大体のことは心得ている。慌てる必要はない。

 しばらくすると、アクセルがケビンと幾人かの経産婦を連れて戻ってきた。その中に医者はまだいない。


「大丈夫ですか!? どうしよう、今日は日曜でノルト村にも医者はいなくて……」

「落ち着いてください、ケビンさん。大丈夫ですわ。医者がいなくても子どもは産めます」

「ほら、ケビンちょっと避けて!」


 カナという経産婦がレリアの前に現れる。彼女はおもむろにレリアの腹を掴むと、眉を寄せた。


「あんた……もしかしてこの子、逆子じゃないかい?」

「……え?」


 逆子と言われて初めて気付く。そう言えば、先に産んだ二人とは胎動の位置がおかしかったことに。


「ほら、頭がここにある。……医者を呼んだ方がいいね。あたしらじゃあ手に負えなくなるかもしれない」


 その言葉にいち早く動いたのは、アクセルだ。


「医者を連れて来る! 心配するな! 飛ばせばトレインチェまで、往復で五時間以内に戻れる!」

「アクセル様……」

「それまで、頑張ってくれ!」


 そう言うとアクセルは一度レリアに触れると、そのまま口付けをする。ちゅ、と軽い音がして離れると、アクセルは風のようにその場を去っていった。

 残されたのは、口付けしていた二人を見て顔を赤く染めるケビンと、お産の準備を始めるカナら経産婦。そこに息子のクロードが飛び込んできた。


「お母様!! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫よ、落ち着いて。逆子で難産になるかもしれないけど、心配しないで。今、アクセル様が医者を呼びに行ってくれているわ」

「ええ、今そこですれ違いました。お母様は、アクセル様と……」

「結婚することにしたわ。ごめんなさいね、何の相談もなしに」

「いいえ、そうするのが一番だと僕も思いました。おめでとうございます、お母様」

「ありがとう、クロード」


 暫くすると、お腹がチクチクと痛み始めた。陣痛が始まったのだ。


「お母様……?」

「陣痛が始まったわ。クロード、手を握っててもらえる?」

「はい!」


 大丈夫、とは言いつつ、内心は不安だ。逆子など初めての経験である。母子ともに無事でいられる保証などないのだ。出産というものは命懸けなのだということを、改めて実感した。


「お母様、僕がついています!」

「ええ、力強いわ」


 震える手を、クロードが強く握ってくれた。それだけで安心感がまったく違う。

 やがて、何度か来ていた痛みの波が、大きなものへと変わった。アクセルが戻ってくるにはまだ何時間も掛かる。医者は間に合わないかもしれない。

 レリアは覚悟を決めた。


 カナらによる、出産が始まる。

 激しい痛みと共に息む。すると何度目かの息みの後に現れたのは……


「足が、出てきたよ!」


 やはり、逆子だった。片足しか出ていない状況で、もう片方が引っ掛かっているらしい。壮絶な痛みがレリアを襲い、歯を噛み締める。


「だめだ、引っ張っても出てこない……」


 カナが顔をしかめた。足が出てきても、今度は腕や頭で引っ掛かってしまうだろう。思った以上の難産である。


「レリア、頑張りな! 赤ちゃんも頑張ってるんだよ!!」

「うう、は、はいぃっ」

「お、お母様……っ」


 しかし、医者でない彼女らにできることは限られている。意識が飛びそうなほどの激痛なのに、産まれてくる気配がない。アクセルが戻ってくるには、まだまだ時間が掛かる……そう思った時。


「レリア!! 大丈夫か!?」


 アクセルが部屋に飛び込んできた。早い。まだ三時間も経ってはいない。街道は行かずに森を突っ切ったのだろうが、それにしても早かった。サニユリウスに多大な負担を掛けてしまったに違いない。


「医者は!?」

「ロレンツォが乗せて来ている! あいつなら、すぐに到着するはずだ!」


 カナの問いにアクセルが答える。そして彼は、クロードが握っている手とは逆の手を握ってくれた。


「もう少しの辛抱だ! 頑張ってくれ、レリア!」

「は、い……!」


 アクセルの顔を見られただけでほっとした。

 彼の言った通り、すぐにロレンツォが医師を連れて現れる。その医師がレリアの状況を見て顔をしかめた。


「これは……腹を切って取り出すしかないな。時間が経ち過ぎては、母子共に危険だ」


 そう呟き、淡々と準備を始める医師。青ざめるレリアに、医師は何か薬を飲ませてきた。


「痺れ薬と痛み止めだ。効いてくるまで数分。だが、完全に痛みを取るものではないから、頑張って耐えてくれ」


 まさか、お腹を切られるなんて夢にも思わなかった。レリアは恐怖で震え始める。


「レリア……」

「アクセル様……怖い……」

「大丈夫だ、俺が付いている」

「怖いと思うと血圧が下がって痺れ薬が効かん。安心させてやってくれ」


 医師はそう言いながら、レリアの手足をベッドに縛り付け始めた。恐らくは切開時に動かれては困るからであろうが、より恐怖が増してしまう。


「アクセル様、アクセル様……!」

「落ち着け、レリア! ずっと傍にいる! ずっとだ!」


 カチャ、と何やら器具の音がして、レリアはアクセルとクロードの手をぎゅっと握った。

 そして鋭い痛みがレリアを襲う。出産とはまた別物の、激痛だ。


「いやあああああっ!!」

「体を押さえつけろ!!」


 医師の言葉に、レリアの肩はアクセルに押さえつけられた。飛び散る血を見て、ケビンが倒れそうになっている。そんなケビンにロレンツォが叫んだ。


「ケビン殿! 今一度、トレインチェに戻って治癒師を呼んで来たい! この街一番の早馬を貸してくれ! 俺のシラユキは疲れている!」


 倒れそうになっていたケビンは指示を与えられ、シャキッと眉を吊り上げる。


「こっちです!」


 二人は急いで部屋を出ていった。肩を押さえているアクセルが、レリアの顔を覗き込む。


「レリア、聞いているか!? 大丈夫だ! 子どもが生まれれば、すぐに治癒師が魔法で治してくれる!」


 レリアは頷くことでそれに答えた。生まれさえすれば、この痛みとはさよならできる。それまでの辛抱だ。

 レリアは痛みと戦った。先に飲んだ痺れ薬や痛み止めなど、まったく効いていない。もしかしたら少しは緩和されているのかもしれなかったが、なしと同意義に思えるほどの激痛だった。


「深く息を吸い込め! 酸素が欠乏すると、痛みが増すぞ!」

「レリア、深呼吸だ!」

「お母様!」


 医師とアクセルとクロードが口々に言うも、痛みでそれどころじゃない。痛みを我慢するために、息を止めてしまう。


「レリア、我慢しなくていい! 痛ければ、そう声に出せ!!」

「痛い……痛いいいいいっ!!」


 そう言ってすべての息を吐き出すと、自然と空気が肺に滑り込んできた。


「そうだ、そのまま息を吐け!」

「ふうううううううううっ」

「吸って! よし、そのまま続けるんだ!」


 上手く深呼吸ができ始めたところで、医師の手が再び動き始める。地獄だ。お腹の中は一体どうなっているのだろうか。赤ちゃんは無事なのだろうか。


「頭が見えた。取り出すぞ」


 冷静な医師の声が聞こえる。その瞬間、異物がお腹の中を駆け巡り、そして今まで以上の痛みがレリアを襲った。


「うううううううっ!! うううううう!!」


 最早、獣のような声でしか痛みを訴えることしかできず、この痛みから逃げ出すことしか考えられない。


「頑張れ、もう少しだ!」

「お母様! 頑張って!!」


 愛する者の声のお陰で、何とか耐え抜く。究極の痛みが過ぎると同時に、するりと何かがレリアの中から抜け出していった。そう、レリアの赤ん坊である。


「ふうう、ううう……」


 声にならない声を上げてレリアは息を吐いた。まだお腹の痛みは続いている。だが、姿は見えないものの、赤ん坊の泣き声が聞こえて、レリアは笑みをもらした。


「うま、れた……?」

「ああ、生まれた! ……生まれた!!」


 すぐにカナが赤ん坊を連れて来てくれた。顔の真横に小さな小さな体を置かれた我が子は、本当に愛らしい。


「可愛い……」


 その瞬間、レリアの体から痛みが消えた。勝手に歓喜の涙が溢れ出し、言葉を詰まらせる。感動などというちんけな言葉では、言い表せられないくらいの感情が、波のように次から次へと押し寄せてくる。


「おめでとう。女の子だよ」

「うわぁ……妹だ。僕に、妹ができたのか」


 目を細めて赤ん坊を見るクロードを、アクセルは上から見ていた。彼の、家族を。クロード以上に目を細めて。


「アクセル、様……」

「ありがとう、レリア。一度に娘と息子と妻ができるなんて、俺は幸せ者だ」


 その言葉を聞くと、またも勝手に涙が溢れてくる。その嗚咽と共に、徐々に痛みが戻ってきた。溢れる涙で視界がぼやける。


「レリア……レリア?」


 アクセルの声に、上手く反応できたのかどうか、わからない。血液が大量に失われているのを感じた。もうだめなのだな、と本能的に悟る。


(私は、こうやって死ぬ運命だったのね)


 瞳を閉じると、目の前が七色の光に包まれた気がした。

 先生、と叫ぶアクセルの声が聞こえる。お母様と叫ぶクロードの声が聞こえる。

 不思議と恐怖感はなかった。鈍い痛みと外界からの忙しない声。

 家族と一緒に過ごしてあげられない無念さが、少し頭をよぎっただけだ。

 もう死ぬのだろう。

 ロレンツォが治癒師を連れて戻って来るまで、体が持つとは思えなかった。

 しかし、気持ちは充実していた。

 レリアは絵を描き上げた時のような満足感のまま、深い眠りへと落ちていった。

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