第17話 二人だけじゃない
次の日の朝早くに、騎士団がクララック家に現れた。
雷の魔術師による、堕胎詐欺事件の重要参考人としてロベナーが連行されたのだ。私は何も知らない、と叫びながらロベナーは連れられたが、レリアとクロードはそんな彼をどこか冷たい目で見送った。動揺していたのは娘のレリアだけだ。
「お母様、どういうこと? どうしてお父様が? 一体何があったの? どうしてそんなに平然としていられるの?」
娘レリアが、不安そうにレリアを覗き込んでくる。
「……今日は、ヨハナ家と婚約だったわね」
「ええ。でもお父様がいなくては……」
「いない方がいいわ。聞いて、レリア。私はロベナーと離婚することに決めたの」
「……お母様、何を言っているの? 意味がわからないわ」
何も知らない娘に、レリアはロベナーの悪事を話して聞かせた。話が進むたび、娘の表情が悪夢を見ているかのような表情に変わっていく。
「私の結婚はどうなるの……?」
レリアがすべてを話し終えた時に、娘が最初に発した言葉はそれだった。
「こうなっては、ヨハナ家にすべてを伝えないわけにはいかないわ」
「そんな……じゃあ、この縁談は……」
「……なかったことになるかもしれない……」
「な……どうして……」
手で顔を覆い、うつむく娘をレリアは優しく抱き締める。
「ロベナーと縁を切ると言えば、何とかなるかもしれないわ。まだ諦めないで」
ぐすん、と鼻を鳴らす娘。何とかなるのだろうか。状況は厳しい。
やがてヨハナ家が来ると、レリアはラファエルらに、ロベナーが同席していない事情をきちんと話した。まだ騎士団からは何も言ってこないが、悪事に加担していて逮捕されるであろうということ。そんなロベナーとは離婚をして、クララックから除籍せしめるつもりだということ。それを踏まえた上で、娘レリアを嫁にもらってほしい旨を伝えた。
ヨハナ家は、思った通りいい顔をしなかった。いくらロベナーと縁を切ると言っても、半分は彼の血が混ざった娘だ。高貴な貴族が、犯罪者の娘を受け入れるという前例がないわけではない。しかし歓迎できる事柄でないのは事実である。
結局ヨハナ家は婚約はせずに、保留という形を取って帰っていった。すぐに断られなかっただけでよしとせねばなるまい。
だが、ロベナーが連行されて二日目の晩のことだった。ミハエル騎士団のアクセルとロレンツォが、クララック家にやって来たのは。
「ロベナーが自供しました。彼の罪は、堕胎できると嘘をついて金を巻き上げた詐欺罪。それとイースト地区での婦女暴行を指示したとしての、強姦教唆罪。婦女暴行を実行した者を捕らえて、ある女性に彼らを見てもらったところ、人身売買をしていた連中だということがわかりまして……ロベナーはその実行犯であることがわかりました。故に人身売買罪。この三つの罪から彼は逮捕されました。裁判はこれからですが、恐らくは一生、牢から出ることはないでしょう」
美麗の騎士、ロレンツォが淡々と説明する。その隣でアクセルが小難しい顔をしたままレリアを見ていた。
「そうですか、わかりました。わざわざお知らせ頂き、ありがとうございます」
「まだ話は終わりではないのです。レディクララック。その名を剥奪致します」
「……はい」
「え!? お母様!」
隣で聞いていた娘が、すがるようにレリアの腕を取った。
「クララックを剥奪って……貴族じゃなくなっちゃうの!?」
「……そういうことね」
「そんな、どうして……!!」
娘の疑問に、またもロレンツォが答える。
「ロベナーはあまりに多くの罪を犯し過ぎた。クララックという名が、貴族という格を落としめることに他ならない。中央官庁は以上の理由から、クララックの家督を剥奪することに決定した」
落胆する娘を前に、さらにロレンツォは続ける。
「それと、クララックに関するすべての財産を没収する。そのお金は、人身売買された者たちや強姦に遭った被害者への見舞金として使われ、詐欺に遭った者へも返還される。恐らくはこの家も、売りに出さねばならぬことでしょう」
「そんな! お、お母様!」
それだけ大きな罪を犯していたという事だ。もっと早くに離婚していればよかったかもしれない。しかしそれでも同じことだ。ロベナーと離婚するには家督を譲り、全財産を破棄しないと離婚できなかったに違いないのだから。
「わかりました。なるべく早くこの家を出ることに致します」
「ご理解頂けて助かります。その際、財産となり得る物の持ち出しはないようにお願いします」
「ええ、わかっていますが……私が描いた絵も、持ち出しは禁止でしょうか」
「貴女の絵は、美術館のメインホールに飾られるほどの絵だと伺っています。充分に財産としての価値はありますので、完成品の持ち出しはなしでお願いします。未完成品や、絵の具ならばよろしいですよ」
「そうですか……」
アクセルのために描いた絵が持ち出せない、ということだけが残念だった。ようやく乾いて額に入れたばかりだというのに。しかし、不貞を働いていた女の絵など、もう彼は欲しくはないだろう。
これでよかったのだ、とレリアは自分に言い聞かせた。
「では、失礼します」
そう言うと、ロレンツォは家を出ていこうとする。しかしもう一人の騎士が止まっているのに気付いて、彼は振り返った。
「おい、アクセル?」
「先に行っててくれ」
「……わかった」
バタン、と音を立てて出て行くロレンツォ。レリアがアクセルを見つめると、彼は手に握っていた物をレリアの前へと差し出した。
「アクセル様?」
「……使ってくれ」
その手には、見覚えのある鍵。そう、アルバンで何度も見た、あの部屋の鍵だ。
「でも……」
「使ってくれ」
アクセルはもう一度、同じ台詞を吐いた。そっと手を出し、その鍵を受け取る。
「ありがとうございます……」
「……ヨハナ家にも、話は通してある。行ってみるといい」
下げた頭を上げると、そこにはもうアクセルの姿はなかった。音もなく、彼は扉の向こうに消えていた。
アクセルの言う通りヨハナ家に向かうと、娘のレリアは迎え入れられた。なんでもレリアを迎え入れれば、ユーバシャール家から潤沢な資金援助を受けられるということらしい。元々ラファエルは娘レリアを気に入ってくれていたのもあって、その日のうちに娘はヨハナ家に嫁ぐことが決まった。
「二人っきりになってしまいましたね」
クロードが、レリアを見て弱々しく笑う。
「そうね……でも……でもね、二人だけじゃないの」
「え?」
雷の魔術師が、簡単に堕胎できるという話が嘘だと知った今。すべての財産を失い、堕胎の手術を受けることもできない今。もう隠し通せることではない。
「ここに、もう一人いるの」
レリアは、正直に自身のお腹を撫でた。クロードはなんと言うだろうか。レリアは睫毛を下に向ける。
「相手は、アクセル様でしょう」
クロードの言葉に、レリアは目を丸めた。
「……ええ、知っていたの……?」
「近頃のお母様は、レリアと同じように恋をしている顔をなさっていましたから」
なんと、この息子はロベナーの悪事だけでなく、レリアの浮気をもわかっていたのだ。どれだけの心の負担を強いていたことか。レリアは申し訳なくて涙が溢れる。
「ごめんね、クロード……」
「いえ。それよりお母様、このことをアクセル様は……」
「知らないわ」
「知らせないおつもりですか?」
レリアは黙った。もしも子どもができていたら責任を取ると言ってくれていたアクセルだったが、それはレリアが独身と思っていたからに違いない。
「お母様が言いづらいのでしたら、僭越ですが僕の方から……」
「待って。あのね、私……生みたいの」
「だったら尚更……!」
「聞いて頂戴。今、アクセル様に子どもができたなんて言いたくないの。お金をせびるようせ嫌だし、もしも堕ろせって言われたら、困るわ」
ついこの間まで堕ろすつもりでいたのに、不思議な感情の変化だ。ロベナーと離縁することを、心に決めたせいだろうか。今はアクセルの子どもが欲しくてたまらない。
「だから、言うにしても子どもが生まれた後にしてほしいの。……お願い」
「お母様……」
クロードは眉を下げながらも、「わかりました」と頷いてくれた。
「あなたに負担を掛けてばかりで、ごめんなさいね。クロード……」
「いいえ。お母様が絵を描いて下されば、僕がそれを売ってみせます。それでどうにか生計を立てて行きましょう。大丈夫です。僕がお母様とその子を守ってみせます」
「ありがとう。でも、詐欺して売っちゃ駄目よ」
「わかってます」
クロードは苦笑い、レリアも己の冗談に笑った。
色々とあったが、なるようになるだろう。
娘のレリアの心配をしなくてよくなったのが大きい。彼は権力を振りかざすのが嫌いなはずなのに、それをしてくれたのだ。こんな黒い冗談に笑っていられるのは、アクセルのお陰だ。
こうしてレリアとクロードは、アクセルが借りているアルバンの街の一室へと、身を寄せることになったのだった。




