第16話 だから隠したかった
夕刻、アクセルがクララック家に訪ねてきた。
レリアがアクセルを案内し、室内に通す。そこで待っているのは、ロベナー、クロード、そして娘のレリアである。
「……な?」
アクセルは娘を見た瞬間、訝しげに首を捻らせ、レリアを振り返った。アクセルはレリアより若い娘を見て、理解できなかったに違いない。
もう、すべてがバレてしまう。アクセルにも、ロベナーにも、子どもたちにも。自分の不貞が暴かれてしまう。
「本日は娘レリアのためにわざわざお越し頂き、有難うございます。どうぞお座り下さいませ、すぐにお茶を淹れて参りますわ」
レリアがそう言うと、アクセルは勧められた椅子にペタンと座った。それを確認してからレリアはお茶を取りに行く。
すべてが終わる。何もかも。アクセルだけでなく、子どもたちにも蔑まれることを覚悟した。それが自分の犯した罪だ。快楽と保身を優先した結果がこれだ。自業自得というやつなのだと。
お茶を淹れて戻ると、四人の間に何も会話はなされていなかった。アクセルは小難しい顔をして、むっつりと黙ったままのようだ。ロベナーが何とか取り成そうとしていたが、何を言ってもアクセルの応答はない。
「それでアクセル様、娘のレリアと結婚を前提に両家のお付き合いを勧めても……」
「……」
「あの、アクセル様?」
「……」
始まった沈黙を破ったのは、娘の方のレリア。
「アクセル様、お申し出は大変光栄なのですが、お断りをさせていただきます。私、ヨハナ家のラファエル様と明日婚約をするんです」
「レリアッ!!」
青ざめるロベナーをよそに、娘のレリアは前を見据えている。アクセルはその真っ直ぐな視線を受け取ると、頷きを見せた。
「わかった。横恋慕をしてすまなかった。忘れてくれ」
そう言ってアクセルは立ち上がる。それをロベナーは必死に止めた。
「申し訳ございません、アクセル様! 娘にはちゃんと言って聞かせますので……」
「いや、もういい」
「そんなことをおっしゃらずに!」
「別に断られたからといって、クララックを不利な立場に追い込む気などない。安心していい」
「そ、そうですか?」
ロベナーは明らかにほっとしている。アクセルはそんな彼を嫌悪するように見てから、扉へと歩みを進めた。そしてレリアを通り過ぎると、おもむろに振り返ってロベナーに問う。
「クララック卿、奥方に話があるのだが、少しよろしいか」
そう言われたロベナーは、大仰に頭を垂れて答えた。
「もちろんでございます! おいレリア、アクセル様をお見送りしてこい!」
「……はい」
何を言われるのかはわかっている。子どもたちの前で、不貞を暴かれなかっただけでも有難い。そう思いながら家を後にした。
無言で歩を進めるアクセルについて行くと、騎士団本署の一室に通された。どうやら、聴取部屋というところらしい。
「こんなところですまない。レリアを連れてきても怪しまれず、誰にも聞かれない場所が、ここしか思い浮かばなかった」
「いいえ、構いませんわ。配慮をして頂いただけで有難く思います」
「……どうして嘘を付いた?」
アクセルは声色を変えて聞いてきた。その目は、今まで見て来たアクセルの表情とは当て嵌まらない。恐らくはここで聴取をする、騎士の顔と声になっているのだろう。
こんな時に何だが、そんなアクセルもいいなとすら思ってしまう。
「出会った時は、嘘を付く気などなかったんです。でも」
「でも?」
「……アクセル様を、好きになってしまっていたから。アクセル様が私をロベナーの娘だと勘違いしていることを、利用してしまいました」
レリアは正直に理由を告げた。今さら隠し事をする意味はない。
「バレなければ、それで済むと思っていたか?」
「……ごめんなさい」
「謝れと言っているんじゃない! 人の心を弄んで、俺にも、クララック卿にも、子どもらにも! 悪いと思わなかったのか!!」
やはりだ。やはり、彼は正義の人である。アクセルの言葉は常に正論で、糾弾されるのは仕方のないことだ。すべてはレリアが悪いのだから。
「申し訳ないと思っています。だから、隠したかったんですわ。みんなに知られてしまうのが怖かった。みんなに、嫌われたくなかった」
「そんなことは、浮気の言い訳にもならない」
「ええ、そうですわね……」
アクセルはずっと怖い顔を向けていて、レリアから目を外そうとはしなかった。彼の瞳を見る癖は、こういう場面では恐怖でしかない。
「……クララック卿は、近く失脚する」
「……」
アクセルは、唐突にそう言った。
「今晩、捜査される。悪事が暴かれるのも時間の問題だろう。……だから俺はその前に、レリアと結婚の約束を取り付けたかった! レリアを救うためにも!」
なのに、とアクセルは拳を机に打った。
「なのに! レリアがクララック卿の妻だったとは!!」
ドンッと音がして、レリアは身を震わせた。音が怖かったわけではない。その蔑みの視線が、レリアを見下ろしていた。何よりも恐れていたその瞳を眼前に、レリアは震えたのだ。
それでも、とレリアは言葉を発する。すべては、娘レリアのために。
「アクセル様、ロベナーを摘発するのは、娘が結婚するまで待って頂けませんか……?」
「無理だ。それは俺が決められることじゃない」
「お願いします、どうか……娘は何も知らないんです!」
「そうしてヨハナ家も騙すのか!? 三年は簡単に離婚できない制度を利用して、犯罪者が出るとわかっている家の娘を、嫁に出すのか!」
「娘の幸せを願えばこそなんです!」
「レリア! 貴女はそこまで不誠実なのか!! 幻滅したぞ!!」
彼の義憤が最高値に達する。レリアへの見下し加減も半端じゃない。彼は少しの悪も許してはくれない。これくらいはいいじゃないか、と言いたくなってしまう。その気持ちを読んだのか、アクセルは続けた。
「レリアは間違っている! そんな風に嫁がせても、つらい目に合わせるだけだ! 本当の幸せは、真実を告げた先にある! ヨハナ家に真実を伝え、その上で受け入れられた場合にのみ、彼女は幸せになれるんだ!」
まったくもってその通りである。しかしこの前向きな男は、受け入れられなかった場合を想定してはくれない。
どこまでも真っ直ぐで純真な男。それがアクセルという男で、そしてレリアはそんなところを好いてしまっているのだ。
厳しい叱責を食らってなお、そんな彼を熱い目で見てしまう。激情する彼を愛おしく感じる。
「俺だって、もしレリアが真実を打ち明けてさえくれていれたならば……!」
もし、打ち明けていたならどうなったというのだろうか。この潔癖な男はきっと、別れるという選択肢しかとらない。だからこそ、レリアは必死になって隠してきたのだ。
「……もういい。聴取は終わりだ。好きにするといい」
しかしその先の言葉は紡がれず、拳を強く握り締めてそう言った。
「……アクセル様は、どうなさるんですの……」
「どうするもこうするもない。……元の生活に、戻るだけだ」
「……」
レリアに出会う前の生活に、ということだろう。アクセルは自分が不義を働いたことを、なかったことにしたいのだ。レリアとは何の関係もない。それを突き通すつもりに違いない。そうでなければレリアの家族が揃っている場面で、何もかも暴露しているはずなのだから。
(私とアクセル様は、何の関係もなかった。そうしなければ、アクセル様のお立場がないわ)
レリアはゆっくりと首を縦に振った。アクセルと出会う前の生活に戻る。
一時は、子どもたちとの関係も壊れると覚悟していたレリアにとって、これは好条件のはずだと言い聞かせて。
「本当にごめんなさい、アクセル様……この数ヶ月、とても幸せでした。ありがとうございました……さようなら」
そう言って、レリアは聴取部屋を後にした。外に出て、隣の厩舎にふと入ってみる。サニユリウスが、レリアを見つけて嬉しそうに鳴いた。
「もう、あなたとお出掛けもできないわね……ごめんね、サニちゃん……」
元の生活に戻るだけなのだ。アクセルと知り合う前に。乗馬など知らない頃に。ただ、それだけだ。
「……う、うう……アクセル様……」
レリアにはわかっていた。あの頃に戻れるはずがないということを。
この燃えるような恋心を知らない頃になど、戻れない。
これからレリアは一生アクセルを想って生きていくしかない。
もう二度と、結ばれることがないとわかっていながら。
サニユリウスはレリアの気持ちを察したかのように、切なげな瞳をたたえて彼女の傍に寄り添っていた。




