第13話 犯罪の匂い
その日、アクセルはレリアと共に、アルバンの街に来ていた。
ボートを漕いで湖畔を眺める。どこか寂しげな夕焼けが湖面を赤く染め、二人を静かに包んだ。
「……部屋に戻ろう」
部屋に戻ればすることはひとつだ。しかし、今日のアクセルは些か気乗りしなかった。
アクセルは、あれから地道にイースト地区の事件を捜査していた。すると、どうしても一人だけ怪しい人物が浮上する。そう、ロベナー・クララックである。
アクセルは、それをレリアに伝えようか迷った。まだ捜査段階で確証のないことだ。しかし、アクセルがトレインチェにいない時を狙うように犯罪が起きたり、イースト地区の各所に倉庫を持っていたり、雷の魔術師を仲介する酒場が彼の経営する店だったり、怪しい点が多い。それをレリアに問うべきだろうか。捜査とは言え、恋人を疑うように尋ねるのは嫌なものだ。
「どうしたのですか? アクセル様?」
部屋に入り、小難しい顔をしたままのアクセルを、レリアは不思議そうに見つめてきた。
アクセルは嘘が得意でない性格だということを、自覚している。もしロベナーが犯人だとしても、レリアが関わっていることはないはずだ。しかし彼女にも聞き取りを行う必要はある。
「……レリア、怒らずに聞いてほしいんだが」
「はい、何でしょう」
レリアの純真な顔を見ると、やはり言いづらくて躊躇してしまう。しかしそれでもアクセルは言葉を繋いだ。
「イースト地区で騒ぎになっている事件を知っていると思うが」
「ええ、存じております。それがどうかしましたの?」
「俺は、クララック卿を疑っている」
レリアはきょとんとした顔でアクセルを見ている。そんな考えなど、頭の片隅にもなかったのだろう。
「それでクララック卿が怪しい行動を取っていたりしてなかったか、教えてほしいのだが」
「……どうして、ロベ……父を疑うんですか? 父が何をしましたか?」
レリアに睨むように問われるのも仕方ないだろう。誰だって家族を疑われるのは嫌に決まっているのだから。
「すまない、疑って掛かるのが仕事のようなものなんだ。気を悪くしないでほしい。今はまだ何の確証もない。逆にレリアがクララック卿の身の潔白を証明してくれれば、もう疑わずに済む。協力してくれないか」
これは本心だ。アクセルも本当はレリアの家族を疑ったりはしたくない。こんなことでレリアとギクシャクするのも嫌だ。
「……わかりました。何なりとおっしゃってください」
レリアの了承を受けて、アクセルは首肯する。
「まず、俺たちがアルバンの街に泊まるというのを知らせているのは、クララック卿にだけか?」
「いえ、父と……あと、クロードに伝えています」
「クロードというと」
「息……弟です」
「二人か……クララック卿とクロードに、最近不審な動きはないか?」
「いえ、特には………あっ」
レリアは何かを思い出したかのように、手を口元に当てた。
「何かおかしなことが?」
「いえ、あの……」
関係ないかもしれませんが、と前置きしてからレリアは続けた。
「クロードが、最近何かを言いたそうにしているんですが、歯切れが悪くって」
「内容はわからないのか」
「ええ、でもお父様がどうと言っていたような……」
「もっと、詳しく」
「無理ですわ、聞いていませんもの。ただ、アルバンに行く振りをして、家で隠れていてほしい、という風に言われたことはあります」
怪しい。少なくともクロードは、ロベナーの何らかの秘密を知っているようだ。
「レリア、それを聞き出せるか?」
「何度も話すよう促してはいるんですが……」
「頼む、聞き出してくれ。身の危険を感じているようならば、我々が保護する」
「……わかりました。クロードから聞き出してみますわ」
レリアの強い表情を見て、取り敢えずはほっと胸を撫で下ろした。これで捜査が進展すればいいのだが、それはそれでクララック家から犯罪者を出すことになるかもしれないと思い、胸を痛める。
アクセルの両親は寛容な人物ではあるが、犯罪者が出た家の娘をもらい受けるとなると、さすがに難色を示すに違いない。
アクセルはそっと彼女を抱きしめた。あと二週間もすれば、例の囮捜査は始まるだろう。ロベナーは関係ないと思いたいが、もしも彼の犯罪が明るみに出た場合、レリアと結婚することは難しくなる。その前に、彼女と婚約だけでも済ませておきたい。
「結婚、してくれないか」
「え!?」
唐突のプロポーズだ。情緒も何もあったものではない。自分でもわかっていたが、止められなかった。プロポーズを受けたレリアは、ただただ慌てている。
「ええっと、その……私と、ですか?」
「もちろんだ」
「ど、どうしていきなり……」
「早く俺のものにしてしまいたい。誰かに取られたり、邪魔されたりするのはもうごめんだ」
アクセルは過去に二度も、愛した女性をロレンツォに奪われていた。それはトラウマだ。今回はロレンツォの横槍はなさそうなものの、何か得体の知れぬものに取られそうな恐怖が襲ってくる。
レリアは露骨に困っていた。どう返事をしていいのか、懊悩しているようでもある。
「レリア……」
「……あの、父のことがわかるまでは……」
「その前に結婚したい。無理ならば婚約だけでも」
「いきなり過ぎますわ」
「わかっている。だが、一刻も早くレリアと籍を入れたい」
レリアは喜ぶでもなく、悲しい瞳を寄越した。こんな時にこんなプロポーズをしたのは失敗だったのかもしれない。
「レリア」
「あの……私……」
長い沈黙の後、レリアは小さな声でごめんなさい、と呟いた。アクセルは何かが込み上げるのをグッと堪える。
「すまない……焦り過ぎていたようだ。もう少し状況が落ち着いてから、やり直させてくれ」
そう言い直したが、レリアは俯いたまま顔を上げようとはしなかった。アクセルはそんな彼女の顎をグイっと持ち上げ、その表情を見る間もなく己の唇をのせる。
レリアは拒むことなくアクセルを受け入れた。包み込むような彼女の抱擁が温かい。
(レリアだけは、俺を選んでくれる。そう約束してくれたじゃないか)
もしクララック家から犯罪者が出た場合、結婚が難しくなるのは確かだろう。けれども、レリア自身が罪を働いたわけではない。親を説得するのもどうにかなる。
そう思い直していたアクセルは、トレインチェに戻ってから、とある噂を耳にして絶望することとなる。
その噂とは、クララック家の娘レリアが、ヨハナ家に嫁ぐことが決まった……というものだった。




