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その日聖女が舞い降りた

 ──その日、街に聖女が舞い降りた。


 銀色の髪を持つ美しい少女は上位魔法で魔物を薙ぎ払うと、姫君を守るように寄り添う赤髪の美青年に抱きかかえられ風のように去って行った。

 その噂は領都をあっという間に駆け巡り、人々の心を躍らせた。


「お前、聖女様を見たか?」

「ああ、本当にお美しかったな」

「側にローレンス卿が寄り添っていたな。お二方が並ぶと絵画のように美しかった」

「あの聖女はどこのどなたなのだろう」

「リアナお嬢様を『お姉様』と呼んでいたよな?」

「しかし、レッドグレイヴ公爵家にあんな方はいなかったはずだ」

「そうだな。あの家は一男三女しか……いや。『魔力なしのイーディス』を合わせれば一男四女か」

「あの方がレッドグレイヴ公爵家の一員のはずがない。あの家に、あんなふうに民のために必死に戦ってくれる人間なんて……」

「しっ! 滅多なことを言うんじゃない!」

「──ッ。す、すまない」

「なににしてもだ。ローレンス卿があの聖女についたのだ。きっと彼女は、国を正しき形に導いてくださるお方だ」

「ああ、そうだな! そうに違いない!」


 皆は少女のことを噂し、何者なのかと囁き合う。その声音には、隠しきれない喜びが宿っていた。

 獅子王陛下の崩御以来、この国は衰退に向かって進んでいる。誰もがそれを、肌で感じていた。

 享楽的な王、ノブレス・オブリージュを果たさない貴族たち、日々苦しくなっていく民の生活。

 たびたび他国に侵犯され、不甲斐なく奪われていく領土。

 人々の不安や鬱屈を感じ取り、増えていく魔物たち。

 今の国の状況は『未来が明るい』なんて言えるものではない。


 ──あの日舞い降りた聖女は、この国をよい方向に導いてくれる存在なのではないだろうか。


 他力本願ともいえる希望を、領都の民は銀髪の少女に重ねた。


「銀髪の少女……」


 とある魔法薬店の店主はたびたび魔物の肝などを持ち込んでくる少女の顔を思い浮かべたが、そんなはずはないと首を横に振る。


「どこかで聞いたような話しねぇ」


 とある古着店の店主も、以前衣類を買いに来た銀髪の少女を思い浮かべて眉を顰めた。

 

 *


 ディリアンが部屋を去ったあと。

 上位魔法を使った反動で熱を出してしまった俺は、ふたたび寝台の住人になっていた。


「へくちっ! うう……」

「ふふ、可愛いくしゃみですね。イーディス様」


 鼻の奥がむずむずとしてくしゃみをすれば、寝台の側に控えているローレンスが微笑ましいという顔で言う。


「べ、別に可愛くはないだろう!」

「いいえ、可愛いです」


 きっぱりと言い切られて、俺は困惑する。

 ……ローレンスは俺の一挙手一投足を褒めようとするなぁ。むず痒いからもう少し控えてほしい。

 ローレンスは手を伸ばすと、俺の額に手のひらで触れる。


「……熱が上がっていますね」


 そして、悲しそうに眉尻を下げた。

 リアナに魔法を使うところを目撃されてしまったのだ。今こそ、この屋敷を出る算段をすべきタイミングなのだろうが……。

 虚弱な『イーディス』の体が、それを許してくれない。なんだか、もどかしいな。


「……ディリアンは上手く報告してくれたかな」

「どうなのでしょうね。彼がどう報告しようと、リアナ・レッドグレイヴが大人しくしているとは思えませんが」


 なんだか様子がおかしくなってしまった兄のことを思い浮かべてつぶやく俺に、ローレンスがそんなふうに言う。


「ほんと、それなんだよなぁ」


 俺が魔法を使うところを直接見ているリアナは、ディリアンの報告に納得しないだろう。

 ディリアンが突っぱねてくれるといいんだけどな……。


「ま、なにを言われようとしらばっくれるしかないか……」


 疲労と熱のせいか、まぶたが重い。

 荒い息を吐きながら眠りに落ちていく俺の頭を、ローレンスの大きな手が優しく撫でた。

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