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「イーディス様相手に、劣情を催すのはやめていただきたい」
ローレンスが言いながらひょいと俺を抱え上げ、ディリアンを睨みつける。
「そちらこそ、陛下に気安く触れるのをやめてくれないか?」
……これは、ディリアンに同意かもしれない。
今ローレンスが俺を抱き上げた理由が、まったくわからない。
そしてディリアンは仮にも実妹に対して『劣情』を抱いたことを否定してくれないか!?
『イーディス』には変な男を吸い寄せる特性でもあるのだろうか。そんなことを思いつつ、俺は内心ため息をつく。
いや。エドゥアール殿下は純粋に恋心を抱いてくれているのだから、変だなんて言ったら失礼だな。
……さて、どうしたものかな。
「お兄様は、これからどうするおつもりなのです?」
「どうする、とは」
俺の問いを聞いて、ディリアンは首を傾げる。
「私の正体を家族にバラすおつもりですか?」
「漏らすはずがない。父に知られれば、『貴女を王位に』などと面倒なことを言い出すのは目に見えている。それは陛下の本位ではないのだろう? だから今まで隠していたのでは?」
なるほど、それくらいの機微は読めるのだな。俺はほんのちょっぴり、ディリアンを見直す。
「私の希望は、陛下にお仕えすることだけだ。なので貴女の不利になるようなことはしない」
ディリアンはそう言うと、真剣な表情で俺を見つめた。
──過去を許す、許さないは置いておいて。
ディリアンを味方につけておいた方が、今後上手く立ち回ることができるだろう。
彼はレッドグレイヴ公爵家の長男だ。こんなだけれど、この国で最高峰の権威を持つひとりだと言っても差し支えない。
ディリアンはイーディスの悪環境を放置はしていたが、暴力に関しては頬を張られる程度の軽いものしか振るわれたことがない。この家では、彼は『無害』な方ではあるのだ。
過去にされたことと未来の利益を天秤にかけ、冷静に考えると……。
ディリアンを味方につけた方がよいことは明白だ。
……しかし、これ以上『濃い』部下が増えるのはなぁ。
胃のあたりがきゅっと痛みを訴え、俺は顔を顰めた。
うん、やっぱり濃い部下はローレンスだけでお腹いっぱいだ。
「やっぱり、お兄様を部下にするわけにはいきません」
「そんな……!」
俺の言葉に、ディリアンは絶望という表情になる。
ローレンスは赤子にするように俺を揺すりながら、とても上機嫌な様子だ。
俺はふうとため息をついてひと呼吸置くと、また口を開いた。
「部下にはできませんが……。私の『兄』としてこちらの望みのために動いていただくことは可能でしょうか?」
ディリアンに部下のようにいつでも側にいられるのは、正直鬱陶しい。
しかしここで突き放した結果、俺に不利益な行動を取られるのも困る。
過剰な憧れは、憧れが持つ者が『裏切られた』と感じた時に反転して強い敵意に変わる場合もあるしな。
ならばこのあたりが、落とし所なのではないだろうか。
「……! いくらでも! そう、私は陛下のお兄様だからな」
ディリアンはそう言うと、立ち上がって胸を大きく張る。
それを目にしたローレンスが「私も兄のようなものです」などと悔しそうにつぶやいているが、残念ながらそれはないぞ。
「それと。『前』はどうであれ、今の私は『イーディス』です。『陛下』と呼ぶのはやめてください」
「では、イーディスと」
眉を顰めつつ釘を刺せば、ディリアンは素直に了承する。
「ところで、貴女の望むこととはなんだ?」
「前とは違う平穏な生活。それだけです」
ディリアンに問われ、俺は簡潔に返す。
「……なるほど、承知した」
ディリアンはそう言ってから、優美な一礼をした。
「お兄様、街での出来事はどう報告するおつもりで?」
「上位魔法はローレンス卿が使った。それをリアナが見間違えたとようだと報告しておく。イーディスに上位魔法が使えるほどの魔力があることを皆認めたくないだろうからな。案外、素直に納得するかもしれん。現場を見ているリアナはごまかせないだろうがな」
「……ありがとうございます。お兄様」
「いや、可愛い妹のためだからな」
ディリアンはそう言いつつ、ブリッジに指をかけカチャリと眼鏡を動かす。
頬がちょっと赤くて、気持ち悪いですお兄様。




