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死竜の面倒なところは、その耐久力だ。根比べになると魔力と体力が少しずつ削られ、こちらがどんどんジリ貧になってしまう。やつが吐き出す紫紺のブレスも実に面倒で、高濃度の毒素を含むそれを浴びれば人間なんてひとたまりもない。
以前の俺は高火力でどんどん叩いて力技で終わらせていたのだが、今の体ではそうもいかないので違う戦略が必要だな。
高位魔法なんて連発したら、イーディスの体では冗談ではなく四肢が弾け飛びかねない。
──さて、どう攻めるかな。
やつが苦手な火魔法で攻めるのが定石ではあるが……。
「ローレンス、今の体でどの程度の火力が出るか試したい。俺ひとりでやらせてくれないか?」
「承知しました、我が君。危ない時のフォローは入れてもよいですか?」
「ああ、頼む」
頷いてから、風魔法を足に纏わせ死竜に向けて俺は駆けた。
そして中位の火魔法を放つべく、手のひらに魔力を漲らせる。
『イーディス』の体では、前世のような魔法の出力は現状不可能だ。ならば敵との距離をできる限り縮め、近距離で魔法を叩き込むしかない。
当然危険度は上がってしまうが、風魔法で機動力を上げているのでデカブツの攻撃を避けるくらいのことはできるだろう。
…………できるよな!?
いざとなったらローレンスが助けてくれると信じよう。
死竜は俺が向かってくるのを見ると、苛立ったように尻尾を地面に叩きつける。
そして、ブレスを吐き出すべく大きく口を開いた。竜の喉奥が淡い紫の光で満たされ、あと数秒もすればブレスが吐き出されることが想像できる。
ブレスは防護魔法を張れば防げるが、今の俺では複数の魔法を完全な状態で維持できるかわからない。
ならば──。
風魔法の出力を高めて、俺は高く跳躍した。獲物が突然消えたことに驚いたのか、死竜はブレスを吐くのをやめてきょろきょろと周囲を見回す。
そんな死竜の背に、俺はひらりと飛び乗った。獲物が自身の上にいると理解した死竜は、俺を振り落とすべく身じろぎをはじめたが……。
「──炎獄!」
やつが激しい動きをする前に、威力を増すために凝固させた炎を手に宿らせ硬い鱗に覆われた背に直接叩き込む。じんと痺れる感触が手に伝わったが、俺はそれに構わず炎を死竜に炎を押し込んだ。
鱗がボコッ! と音を立てて凹み赤い肉が露出する。
イーディスの体でも、至近距離の魔法であれば死竜にじゅうぶんなダメージを与えられるようだ。その事実は、俺に久方ぶりの戦の高揚をもたらした。
──このまま内側から焼き切ってやる……!
そう腹を決めた俺は、二発、三発と炎の拳を死竜に叩き込み続けた。肉が焼かれる嫌な匂いが鼻をついて不快だったが、それは死竜にダメージを与えている証左だ。
イーディスの体はやっぱり脆弱で、息は切れるし拳の勢いも弱い。それをもどかしく思いつつ、炎の魔法を死竜の体内に流し込むようにしながらさらに拳を叩き込む。
『ギャァアゥ!』
死竜は苦痛に満ちた声を上げながら、必死に身を捩る。振り落とされまいと必死にバランスを取りながら、渾身の拳を振り下ろすと──。
『ギャアアアァアゥ!』
死竜の体が一気に燃え上がった。
「わ、わわっ!」
焦りながら死竜の体から飛び退ったのはいいが、空中でバランスを崩してしまう。
風魔法で地面に叩きつけられるダメージを減らそう……などと考えている間にもどんどん地面は近づいていく。
これはやらかしたなぁ、骨折くらいで済めばいいけど、なんて諦めかけていた時。
「我が君!」
そんな声とともに、俺の体は優しい風に受け止められた。
ローレンスが風魔法で受け止めてくれたのだ。
ほっと胸を撫で下ろしている間に、俺の体はそっと地面に下ろされた。
死竜に視線をやれば、やつはその体を焦がしながら断末魔の絶叫を上げているところだった。
あの様子なら、しばらくすれば燃え尽きるだろう。
「我が君、大丈夫ですか!?」
ローレンスが焦った表情でこちらに駆け寄ってくる。
「ローレンス、ありがとう。お前のおかげで平気だ」
彼に微笑みかけながらひらひらと手を振ると、急に手の甲側がずきりと痛んだ。
よくよく見れば、死竜を殴りつけていた俺の両手はぼろぼろで肉が抉れてしまっている。
「やっぱりイーディスの体で無茶はできないな……」
「そんな呑気なことを言っている場合ですか!」
ローレンスはめずらしく責めるような口調で言うと、俺の両手をそっと取る。
そして、治癒魔法を行使した。
温かな光が両手を包み、傷がみるみるうちに治っていく。
「やはり、おひとりで戦わせるべきではなかったですね」
ローレンスはそう言いながら、眉尻をぐっと下げた。
「……幻滅したか? 以前の俺のように、今の俺は戦えない」
失望されたように感じて、ついつい弱音が溢れてしまう。
今の俺は弱い。体はすぐに傷つくし、昔のように魔法も操れない。
……皆が期待し憧れた、『獅子王』ではないのだ。
「するわけがないでしょう。貴女が『魔力なし』だったとしても、私は以前のようにお仕えしていましたよ。どんな貴女でも、我が君であることには変わりないんですから」
彼は俺をしっかりと見つめて、きっぱりそう言い切った。
その言葉を聞いて、鼻の奥がつんと痛くなり目頭が熱くなる。
「変わってるなぁ、お前は」
泣き笑いのようになっているだろう顔で俺が言えば、ローレンスはふっと微笑む。
そしてなぜか、俺の額にキスをした。
──なぜ、キスをするのかな!?
「お前、どうしてキスをした?」
「いえ、したかったもので。唇にしたかったのを我慢しただけ、褒めてほしいです」
「いやいやいや。主人にすることじゃないだろ、それは」
ローレンスのことが、時々わからない。
呆れ顔をしていると、ローレンスは楽しそうに笑い声を立てた。
その時……。
『ギャアッ! ギャアッ!』
死竜の不気味な声がその場に響いた。
まだ動けるのかと死竜の方を見れば、やつは燃え尽きかけており声を出せるような状態ではない。
じゃあ、今の声はなんなんだ?
そう訝しがっていると、上空を大きな影が横切った。
「死竜が……もう一匹!?」
死竜は……一匹だけではなかったらしい。
しまったと思ったが天高く舞い上がった死竜に攻撃する暇はなく、やつはこちらを一瞥してから飛び去っていく。
その方向は──領都の方角だった。




