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「……すごい匂いだな」


 むせ返る血の匂いを嗅いで、俺は鼻を手のひらで覆いつつ眉を顰めた。

 こんな血の匂い……何体の生き物を殺したら発生する? そして『なに』の血なんだ。


「いったん引き返して策を練りますか? 我が君」


 ローレンスが気遣うような口調で訊ねてくる。


「ふむ」


 なにが起きているのかわからないところに無策で突っ込んでいくのは、少々怖い気もするが……。

 俺たちが引き返したことにより対処が遅れ、街に被害が出るようなことがあれば絶対に後悔する。だからこのまま行くしかない。


「行くぞ、ローレンス」

「我が君なら、そう言うと思っておりました」


 俺の言葉を聞いて、ローレンスはふっと笑う。そして優美な仕草で俺の手を引いた。

 ローレンスになんとも場違いなエスコートをされつつ森を進む。足を進めるごとに血臭は強くなり、それは前世での戦場の記憶を呼び覚ました。


 ──前世では『獅子王』としてさまざまな戦場で先陣を切り、圧倒的な力で『敵』を制した。


 俺は好戦的な人間ではないと自負している。できる限り争いごとは避けたかったが、大国であるウィンウッド王国には敵が多かった。だからウィンウッド王国の獅子王に歯向かってもよいことがないと示すため、大げさなくらいに武を誇示する必要があったのだ。

 ……兄上の治世下での、他国との関係はどうなっているんだろうな。

 そもそも、以前の領土は保てているのか?

 イーディスは、必要最低限の学しか修めていない。その上、劣悪な環境のせいで世間知らずである。

 獅子王が没したあとのウィンウッド王国の現状のことなど、なにも知らないのだ。

 知る必要があるかと問われれば微妙なところなんだがな。俺はもう治世に関わるつもりはないのだし。

 いや。旅をするのにも国際情勢の知識は必要だし、ちゃんと知るべきか?

 そのうちローレンスに習おう、うん。

 そんなことを思いながら足を進めていると、木立が途切れ開けた場所に出る。


「──!」


 目の前に広がった光景に、俺は息を呑んだ。

 驚いたのはローレンスも同じだったようで、触れ合った手から動揺の気配が伝わってくる。


 俺たちの視線の先に転がっていたのは、小山のように積み上がったオークたちの無惨な死体だった。


 さらに言えば、その小山に覆い被さりその死肉を食んでいる存在もいる。

 黒い鱗に覆われた巨体。背中から生えた大きな翼。禍々しく光る赤の瞳。

 死肉を貪るその存在は、満足げに目を細めながら『グルル』と喉を鳴らした。


「──死竜」


 ぽつりと俺がつぶやけば、死竜の視線がこちらに向く。

 新たな獲物の登場に喜ぶように、竜は大口を開けて咆哮を上げた。その拍子に、やつの口からはぼとぼとと肉片が垂れる。その忌まわしい光景と耳をつんざくような声に、俺は顔を顰めた。


 ──死竜とは。


 その名のとおり、死肉を喰らう食性の竜のことだ。

 過去にいくつもの街や村を滅ぼした、弔う体も残さず喰らい尽くす恐ろしい存在。

 その強さはオークの比ではなく、前世の俺も少々手を焼くほどだった。

 それが、この森に生まれてしまった。


「あれを街に向かわせるわけにはいかない。ここで止めるぞ、ローレンス」


 イーディスの体でどこまでやれるのか。不安はあるが、あれを野に放つわけにはいかない。


「もちろんそのつもりです、我が君」


 俺の言葉を聞いて、ローレンスもこくりと頷く。その横顔には緊張の色が滲んでいた。

 体に魔力を巡らせれば、獲物が歯向かうつもりだと気づいた死竜が威嚇するように俺たちを睨みつける。


「すまんが、大人しく狩られてくれ」


 俺はそう言いながら、一歩足を踏み出した。

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