人魚の呪い《其の弐》
軒車に揺られること半日、目的地である徳妃様の生家は小さな宮殿のようだった。後宮程とまでは言わないが敷地も広大らしく、下女に案内され部屋にたどり着くまでかなりの時間を歩くこととなった。
「す、凄いですね……。王族か何か何ですかね」
林杏の驚きの声に私も依依も無言で頷き同意する。后妃になるだけならば、宮女あがりの平民でも可能だが従一品の后妃となると、後ろ盾となる貴族や実家が必要だ。ただ普段は後宮で横並びになっている徳妃様しか知らないので、今回改めてその権力の偉大さについて知ることとなった。
「この地に数千年前から存在する神殿のご令嬢ですからね……」
国の各地に神殿が存在するが、その中でも歴史があり数多くの信者を抱えるこの神殿が徳妃様の生家なのだ。一年を通じて参拝のために多くの国民が訪れることでも知られており、周辺の領主よりも権力や財力があることでも知られている。
「でも、これだけ部屋があるなら私達にも一部屋ずつ割り当てて欲しいですよね」
林杏の言うようにこの宮殿には数えきれないほどの部屋が存在している。遠方から訪れる信者などを宿泊させる施設としての役目も担っているらしい。
「それでも徳妃様付きの宮女だって、下っ端の子達は三人部屋と聞きましたよ」
依依いわく宮女頭は個室であるものの基本は二人部屋、新米の宮女三人は同室という。
「蓮香殿は賓客という扱いでございますからね」
突然、そう声をかけてきたのは徳妃様の宮女頭・秋実様だ。
「もうすぐ徳妃様と巫女様がご挨拶にいらっしゃいます」
「私共からご挨拶に参るのが筋では……」
私は慌てて立ち上がり今からでも遅くないと部屋を出ようと林杏らに手で合図したが、かすかに廊下の先から複数の衣擦れの音が聞こえてくる。言葉の通り本当に『もうすぐ』徳妃様達は訪れてくださるのだろう。
「この度はお招きいただき、ありがとうございます」
挨拶に行けなかった代わりに最大限の敬意を示そうと膝をつき礼の姿勢をとりながら徳妃様を迎えた。しかし意外にも徳妃様は慌てて私へ駆け寄られる。
「止めて頂戴。秋実が言っておったろ?ここでは蓮香は陛下の次に大切な来賓と考えておる。さ、面をあげておくれ」
そう言って近くにあった椅子に座らされると、後ろからやはり厳かな雰囲気をまとった女性が私の前に現れた。
「妹の慧です。昨年亡くなった母に代わりまして巫女を務めております」
「姉が何時もお世話になっております。慧と申します。本日は我が神殿の名誉のため、遠くからお越しくださいました」
薄い絹の衣擦れと小さな金属音がし慧様が頭を下げてくださったのが分かり、私も慌てて頭を下げる。
「とんでもございません。この度はお招きいただきありがとうございます。聞きしに勝る素晴らしい場所で感動していたところでございます」
「ありがとうございます」
「それで……早速ではありますが、事件について相談させてくださいませ」
慧様は少し声を落として、事件のあらましを話し始めた。事の始まりは昨年の春だったという。
「地元の領主の息子が人魚に襲われたという事件が起きました。夜中にこっそり漁に出ていたところを襲われたらしく隠していたようです」
この村では漁獲量を管理するという目的のため、決まった時間にしか漁をしてはいけないという掟があるようだ。その掟を領主の息子が破っては示しがつかないため、襲われていたことを黙っていたのだろう。
「何者かによって海に引きずり込まれ、岩場に背中を打っただけ――と怪我自体は大したことがなかったようなのですが、引きずり込まれる際に足首についた手形が消えないというのです。一年経っても消えなかったことからようやく神殿へ相談に来たのでございます」
「それで何故人魚の仕業ということになるのでしょう?」
夜間、領主の息子が海に出ることを知っている人間ならば、人魚でなくても海に彼を引きずりこむことはできただろう。
「領主の息子の足についた手形でございます。人の指とは異なり水かきのような膜が指と指の間にある……そんな手形なのです」
「なるほど……」
非常に『人魚の仕業』と分かりやすい証拠である。
「そこから領主が隠していた裏伝説が発覚したのでございます。我が神殿は人魚に祝福された場所……として長らく語り継がれておりましたので……」
慧様がそう口ごもり、ようやく彼女達の意図するところが分かってきた。どうやら裏伝説によって神殿の看板が傷つくと心配しているのだろう。
「徳妃様は領主様の一族に害が及んでいる……と仰ってましたが、他にも領主のご家族が亡くなられているのですか?」
「実は……」
慧様に代わり徳妃様がゆっくりと口を開く。
「五年前、妾が後宮へ入る際、領主の娘も宮女として一緒に入宮したが、亡くなっておるのじゃ」
「五年前……」
ちょうど現皇帝が即位された時期でもある。
「その宮女は全身が濡れた状態で間違って部屋から閉め出されてしまったため凍死してもうた」
「間違ってですか?」
水が氷ることもある冬場に外で一晩過ごせば、死なないにしても体調を崩すに違いない。
「同室の宮女らは『締め出していない』『気づいたら朝外で死んでいた』と証言していての……。あまりにも不思議な出来事だった故、事故として片付けたのじゃが、今考えるとあれもやはり『人魚の呪い』なのかもしれぬ」
そこまで聞いて私は小さく唸る。
「『人魚の呪い』は存在しないと思いますが……」
おそらく一連の事件を引き起こしたのは人魚ではなく人によるものだろう。そして犯人も目星は付いているが、断定できるだけの材料が揃っていない。
「もしお時間がいただけるようでしたら、宮女の皆さまに当時について伺わせていただきたいのですが」
「勿論じゃ。明日、式典が終わり次第、蓮香の部屋へ宮女らを行かせる故。ぜひ解決しておくれ」
「かしこまりました。それまで皆様には戸締りにはご注意くださいますようお伝えくださいませ」
「戸締り?」
そんな私の言葉を鼻で笑ったのは宮女頭の秋実様だった。
「領主の一族が襲われているのですよ?私達が注意しなければいけない理由なんてあるのですか?」
その言葉の端々に棘が感じられたのは、おそらく本来は身分が低い私が徳妃様だけではなく巫女様にも来賓として扱われているからだろう。
「出すぎた真似を……。失礼いたしました」
注意はしたからな……と私は心の中で思いながら、膝を床につき宮女頭が部屋を去っていくのを見送ることにした。
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