第20話 月下の告白
御前会議前夜。
編集部屋で、私は最後の確認をしていた。
証拠書類の束。軍資金の不正な流れを示す帳簿の写し。暗殺者とハワード領を結ぶ状況証拠。そして、軍内部からの証言を記した文書。
「揃っていますね」
リディアが言った。私は頷いた。
「これで十分なはずよ。言い逃れできない量の証拠がある」
「お嬢様」
リディアが私の手を取った。
「明日は、どうかお気をつけて。御前会議は——戦場と同じです」
「分かっているわ」
窓の外を見た。日が沈みかけている。空が茜色に染まり、やがて藍色に変わっていく。
明日が来れば、全てが動き出す。
夜になって、セバスチャンから誘いがあった。
「庭園を歩かないか」
また夜の散歩だ。暗殺未遂があったばかりなのに、危機感がないのだろうか。けれど彼の目を見て、その考えを訂正した。
危機感がないのではない。だからこそ、今夜なのだ。
「護衛は」
「増やしてある。心配するな」
私たちは並んで庭園に出た。月が明るい。満月に近い丸い月が、王宮の庭を銀色に照らしている。
しばらく無言で歩いた。噴水の傍を通り、バラの茂みを抜け、東屋のある小道に入る。
「……俺の話を聞いてくれるか」
セバスチャンが唐突に言った。
「話、ですか」
「ああ。君には——話しておきたいことがある」
東屋のベンチに腰を下ろした。彼は私の隣に座り、月を見上げた。
「俺は、ずっと『予備』だった」
「予備?」
「兄上が王になる。それが決まっていた。俺は万が一のための予備。だから、完璧でなければならなかった」
彼の声は淡々としていた。感情を押し殺しているのだと分かった。
「剣術、学問、礼儀作法、政治——全てにおいて、兄上より優れていなければならない。けれど、決して目立ってはならない。予備は、必要な時まで影に徹するものだから」
「……」
「父上も母上も、俺に期待していた。予備として完璧であることを。俺はその期待に応え続けた。弱音を吐かず、弱さを見せず、常に完璧な王子を演じてきた」
私は黙って聞いていた。
「兄上が失脚した時——正直に言えば、解放感があった。ようやく表に出られる、と。けれど同時に、恐怖もあった」
「恐怖」
「俺は影でいることに慣れすぎていた。表に立つことが、怖かった」
セバスチャンは自嘲気味に笑った。
「情けない話だろう。これから御前会議で戦おうという男が、こんな弱音を吐いている」
私は首を振った。
「情けなくなんかありません」
「慰めはいい」
「慰めではありません」
私は彼の方を向いた。月明かりが、彼の横顔を照らしている。
「弱さを見せてくれて、ありがとうございます」
「……何?」
「殿下はいつも強くて、余裕があって、何でもできる人に見えました。正直、少し怖かったくらいです」
彼が目を丸くした。
「俺が、怖い?」
「完璧すぎて。私なんかが隣にいていいのかと、ずっと思っていました」
私は少し笑った。
「でも今——殿下にも弱さがあると知って、少し安心しました。対等に近づけた気がします」
「対等」
セバスチャンは呟くように繰り返した。
「俺たちは最初から対等だったはずだ」
「いいえ。殿下は完璧で、私は悪役令嬢上がりの成り上がりです。立場も、能力も、全然違う」
「そんなこと——」
「でも」
私は彼の言葉を遮った。
「弱さを見せ合える関係なら——本当の意味で対等になれる気がします」
沈黙が落ちた。けれど、重い沈黙ではなかった。
セバスチャンが、ゆっくりと手を伸ばした。私の手に触れる。握る。
「……君は、本当に」
言葉が途切れた。彼は首を振り、小さく笑った。
「いや、やはり戦いが終わってからにする」
「何をですか」
「言いたいことがある。けれど今言えば、格好がつかない」
彼は立ち上がり、私の手を引いた。
「行こう。明日に備えて休まなければ」
私も立ち上がった。繋いだ手は、離れなかった。
「殿下」
「何だ」
「明日——勝ちましょう」
セバスチャンは私を見下ろした。月明かりの中で、彼の目が柔らかく光っている。
「ああ。明日、終わらせる」
私たちは手を繋いだまま、庭園を後にした。
月は変わらず明るく輝いている。明日が来れば、戦いが始まる。けれど今は——この静けさを、噛みしめていたかった。




