第19話 沈黙の証人
暗殺未遂から三日が経った。
背中の傷は順調に塞がりつつある。痛みはあるが、動くのに支障はない。じっとしていられる性分でもなかった。
「お嬢様、続報が入りました」
朝、編集部屋にリディアが駆け込んできた。その手には数枚の書類がある。
「暗殺者の身元が判明しました」
「どこの誰」
「名前は分かりません。ですが——ハワード侯爵の領地出身だそうです」
私は書類を受け取った。アメリアが王都の情報網を使って調べ上げたものだ。暗殺者が身に着けていた服の仕立て、短剣の鍛造痕、靴底の泥に含まれる鉱物。全てがハワード領を指し示している。
「状況証拠だけでは弱い。けれど——」
「糸口にはなりますね」
リディアが頷いた。
昼過ぎ、私は王宮の目立たない一角にいた。
「お待たせしました」
現れたのは、軍服を着た青年だった。三十前後。真面目そうな顔立ち。レオナルドの紹介で、ハワード侯爵の動きに疑問を持つ将校の一人だ。
「危険を冒していただいて、感謝します」
「いえ。私も、このまま黙っているわけにはいきませんので」
青年——マルクスと名乗った——は周囲を警戒しながら、小さな包みを差し出した。
「軍の内部資料の写しです。ハワード侯爵が承認した人事異動の記録と、軍資金の流れを示す帳簿の一部」
「これを持ち出して、大丈夫なのですか」
「正式な写しではありません。私が個人的に書き写したものです。原本は金庫の中ですから、これがなくなっても気づかれることはない」
私は包みを受け取った。重い。紙の重さではなく、この情報が持つ意味の重さだ。
「なぜ、ここまで」
マルクスは少し間を置いて答えた。
「私の父は、三十年前の戦争でハワード侯爵の下で戦いました。帰ってきた時、父は変わっていた。侯爵のやり方に——人命を軽視するやり方に、心を病んだのです」
「……」
「侯爵は英雄と呼ばれています。けれど私は知っている。あの方の栄光の陰で、どれだけの兵士が無駄に死んだか」
青年の目に、静かな怒りが燃えていた。
「これ以上、あの方に王国を動かす力を与えてはならない。私はそう思っています」
午後、編集部屋で資料を精査した。
マルクスが持ち出した帳簿の写しを、リディアと二人で読み込んでいく。数字の羅列。一見すると正常に見える。けれど、注意深く見ていくと——
「ここ、おかしいわ」
私は一行を指さした。
「軍の訓練費として計上されているけれど、金額が大きすぎる。それに、支出先が曖昧」
「確かに。通常の訓練にこれほどの費用はかかりませんね」
「他にもある。武器の購入費、馬の飼料費——どれも水増しされている」
金の流れを追っていくと、ある場所に集約されていた。ハワード侯爵の領地内にある、名目上は「訓練所」とされている施設だ。
「私兵を育てているのではないですか」
リディアが言った。私も同じことを考えていた。
軍の正規部隊ではなく、侯爵個人に忠誠を誓う私兵。それを軍の資金で養っている。明確な横領であり、反逆の準備と見なされてもおかしくない。
「証拠は揃った。あとは——」
夜、セバスチャンの執務室を訪ねた。
資料を広げ、調査結果を報告する。彼は黙って聞いていた。表情は変わらないが、目の奥に光が宿っていく。
「これで告発できる」
私が言うと、セバスチャンは頷いた。
「御前会議に持ち込む。父上の前で、正式に」
「いつ」
「三日後。戴冠記念日の直前に臨時の会議が開かれる。そこで——」
彼は言葉を切り、窓の外を見た。
「……礼を言うべきだな」
「何のことですか」
「君がいなければ、ここまでの証拠は集められなかった。君の情報網と、君の執念がなければ」
私は首を振った。
「私一人の力ではありません。リディアも、アメリアも、マルクスも——」
「分かっている。だが、中心にいたのは君だ」
セバスチャンが振り返った。月明かりが、彼の横顔を照らしている。
「あの夜——君が俺を庇った夜から、考えていた」
「何を」
「なぜ君は、あんなことをしたのか」
私は答えられなかった。考えるより先に体が動いた、としか言いようがない。
「俺は——」
彼は一度言葉を切った。何かを飲み込むように、喉が動く。
「君を失いかけて、分かったことがある」
「……」
「君は、俺にとって——」
また言葉が途切れた。彼は苛立ったように髪をかき上げ、視線を逸らした。
「……いや、今はいい。戦いが終わってから話す」
「殿下」
「御前会議に集中しろ。俺たちの勝負は、これからだ」
はぐらかされた。けれど、彼が何を言おうとしたのか、少しだけ分かった気がした。
私は頷いた。
「ええ。終わらせましょう」
窓の外で、雲が流れていく。月が姿を現し、王宮を照らした。
三日後。御前会議。
そこで全てを明らかにする。ハワード侯爵の不正を。彼の背後にある陰謀を。
私たちの反撃が、ようやく始まる。




