92 少年期の終わりに
杉の先物価格を吊り上げる作戦が失敗し、東部の洪水に端を発した帝国の作戦は全て終了した。クリプトメリア王国とイエロー帝国の連合軍を捕虜にした時から、カスケード王国はイエロー帝国との停戦交渉を模索してきたが、使者が到達するよりも早くスティーブが東部軍区を壊滅させ、帝国東部が大混乱となったため、停戦交渉は遅れていた。
正確には、東部軍区が壊滅した時に、帝国によって征服された被征服民の独立派を、オーロラが焚きつけたことで独立運動が活発になり、大混乱となったのであるが。
スティーブがイノに言ったのはこのことであった。独立運動はおとなしいものであるはずがなく、各地で帝国からの入植者への迫害が起きる。
東部軍区の司令部があった場所は15年前まではビーチ王国という国だった。そこが帝国に滅ぼされて併呑されたのである。被征服民であるビーチ王国民への弾圧は苛烈であり、不満が爆発寸前だったのである。度重なる反乱がおきるが、それをソード騎士団をはじめとする東部軍区が鎮圧してきたのである。司令部が置かれているのもそのためだった。
その重しが取れたので、復讐が始まったというわけだ。
帝国にしてもビーチ王国にしても、犠牲となるのは一般の平民が圧倒的に多い。スティーブはそうした作戦が効果的であるのは認めつつも、嫌悪感が先に立った。
旧ビーチ王国以外の地域でも反乱が頻発しており、帝国はその鎮圧に手を焼いていた。その影響でカスケード王国との停戦交渉が進まなかったのである。
帝国は停戦の条件として賠償金を支払うことを提示。カスケード王国もこれを受け入れる。領土にかんしては飛び地となるため、割譲は現実的ではなかった。それに、過度な要求は帝国も呑めないし、戦いを継続させるという選択肢も残るので、ここで手打ちとなったのである。
それと、もう一つの条件が作戦に参加した全ての関係者の罪を許すというものであった。このため、帝国軍の捕虜は全員が帰国しても罰せられないとなり、帝国に帰国することとなった。ギャレット将軍についても同様である。
イノやジョセフについて、帰国後に罰せられることのないようにという配慮だと、スティーブが強く主張したため、カスケード王国側から提示したのだ。
帝国も不利益は無いため承知する。
これにはスティーブがエースとキングに勝てたのはクィーンのおかげであり、単独では殺されていたと報告したため、カスケード王国も帝国と戦い続けるのは得策ではないと判断したのだ。
今回その合意に至った内容の調印式が、今回は中立であるフォレスト王国にて行われている。場所は王都ではなくて港町。帝国東部の反乱の鎮圧が終わっていないので、陸路が使えずに船での移動となったのと、王都は転移の魔法対策で場所を貸せないとフォレスト王国に断られてしまったためここに決定したのである。
カスケード王国からは王太子、帝国からは皇太子が調印式に参加し、ここに停戦となったのだった。
一方、クリプトメリア王国は帝国とは違い領土の割譲が要求される。国の首脳陣が全て捕虜となっていたため、反対することも出来ずに国土の1/3をカスケード王国に差し出すことになったのだった。賠償金も多額のものが請求され、スティーブに持ち去られた物資とあわせて莫大な損失を被ることとなった。
本来であれば大勝利に沸くはずのカスケード王国の王城であったが、毎度のことで大勝利に頭を悩ませていた。
国王ウィリアムは宰相に悩みを吐露する。
「またしてもアーチボルト卿の活躍で大勝利か」
「これで東西南北すべての方位で大貴族がアーチボルト閣下の影響下となりましたな」
「そうだな。国土は広がり民も喜んでおるが、王座はなおのこと危ういものとなったわけだ」
「アーチボルト閣下が陛下に反旗を翻せば、四方の辺境伯、侯爵、竜翼勲章、それにメルダ王国とパインベイ王国が同調することでしょう。とてもではありませんが、王都を防衛できませんな」
四方を守護する大貴族のうち、竜翼勲章とはイヴリンのことである。正式な発表は戦勝式典となるが、クレーマン辺境伯は今回の責任をとって子爵に降爵となる。そして、新たに得た領土の一部を領地とし、今までの領地は竜翼勲章を受勲するイヴリンが統治することとなるのだ。
なお、イヴリンは兄のアルバートの幼い実子を養子に迎え、領主としての教育を施していくとしている。東部の貴族たちは今回の一件でイヴリンを慕っており、こうすることが最良だと国王は判断したのだった。
「今回東部の貴族は全員が新しい領地は子供にと言ってきた。アーチボルトを見習って、今の領地を立て直すと意気込んでおる。洪水が起こる前よりも発展させてみせるとな」
「領主の鑑ですな。民からもさぞ慕われることでしょう」
「慕われるのはアーチボルトだ。朕よりも崇拝されることであろうな。此度の杉の価格つり上げに対し、帝国の商人の先物買いに対し、アーチボルトのためならと平民までが喜んで杉を供出したではないか。朕が同じことをすれば、はたして心から賛同してくれたであろうか」
グリフィス子爵をはじめとする、災害の被害を受けた貴族は、みな新しい領地を拒否した。スティーブが助けてくれた今の領地を立て直して発展させるというのだ。しかし、子供が複数いるので、本来家を継げない次男や三男、場合によっては長男に新しい領地を統治させることで、血縁による領地の拡大を狙っていた。
復旧を助けてくれ、自分の領地も豊かでないところから発展させたスティーブに対して、貴族たちは崇拝に近い感情を持っていた。そして平民もである。
国王はそれを危惧したのである。
「それに加えて分断もありますな。アーチボルト閣下は男女、貴族平民に関係なく実力主義で人を使います。そして、西のソーウェル卿、南のメルダ王妃に加えて東の竜翼勲章ですから、伝統を重んじている男性貴族らは生きづらいでしょうな。それに、次期スチュアート公爵夫人もですか」
宰相が言うのは男尊女卑、選民思想の強い貴族の不満である。
西部のソーウェル辺境伯がその実権を生前にオーロラに譲渡しているのも、男尊女卑の思想を考慮して、自分の目の黒いうちに実績を作らせて、反対する者を排除してしまおうという考えからだ。本当に体調不良なのか知る者はいない。
東部のイヴリンとメルダ王国のシェリーは個人のカリスマ性があるので、地元ではそうした声も聞かないが、カスケード王国の王都では女が政治などという声はつよい。
きわめつけはダフニーである。女性が近衛騎士団長になりそうということで、反対の声が噴出している。もっとも、反対しているのはダフニー以下の実力しかない者たちだが。
そんな男尊女卑の思想に加えて、選民思想による不満もあった。領地貴族は人手不足から平民の登用も当然だと思っているが、王都の領地を持たぬ貴族は、自分の子供の就職先が無くなることや、純粋に貴族の方が優秀であるという考え方から、平民を役人として登用することに反対していた。
国王としても優秀な人材が欲しいので、そうした声は無視したかったが、完全に無視するとどこで爆発するかわからないので頭が痛かったのである。
「アーチボルトが活躍する前の方が政務が楽だった気がするな」
「左様でございますな」
国王と宰相はため息をついた。
その後、戦勝式典となる。ついに東部の貴族たちにもお鉢が回って来たので、雰囲気はとても良かった。賠償金は東部の復興のために使われることとなり、領地の加増がない貴族たちも、多額の資金を受け取ることとなったのである。
ただ、クレーマン辺境伯だけが厳しい処分となった。子爵に降爵されてミドルネームもはく奪。イヴリンだけがミスというミドルネームを名乗ることを許されたのだった。この大陸ではミドルネームはステータスであり、王家以外は特別な功績があった者だけに贈られている。
なお、スティーブも贈られるだけの功績はあるが、まだ最終決定には至ってなかった。
そして、今回も最も功績のあったスティーブに対しては領地加増も無かったが、アーチボルト領で作られている製品に対して、一つ売れるごとに国から東部の復興資金が出るということになった。アーチボルト領の製品を買って、東部の復興を応援しようというキャンペーンが国内で行われることが約束されたのである。
お金の流れは売上金額を国に申告して、その売上金額に応じた復興資金を出すのは国、東部に復興資金を渡すのはアーチボルト家であり、利益と名声はアーチボルト領に入る美味しい仕組みである。
それでも、国王としてはアーチボルト家が過度に力をつけないからと承諾したのだった。
戦勝式典からしばらくして、スティーブはイヴリンの領地を訪れていた。場所はエースとキングと戦った戦場。そこには戦闘を記録する記念碑が建てられており、その場で戦死した三人のスートナイツの名前が刻んであった。
記念碑の前には多くの花が手向けられており、スティーブもそこに百合の花を加える。
花はみな、スティーブを助けたクィーン・オブ・ソード、ナンシーのためのものである。スティーブを助けたうえで、帝国への忠誠も示した悲劇のヒロインとなっている。
「自分のお墓を見ているようで違和感がありますね」
と、ナンシーがスティーブに話した。
「まあ、ナンシーは公式には死亡したことになっているからね」
「あの場にいた全員が私が死んだ幻を見ましたからね」
スティーブがナンシーを殺したのは魔法で作り出した幻であった。戦う前にナンシーからエースの魔法を聞いて、スティーブは戦闘中に魅了の魔法が解ける可能性を考慮した。魔法が解けて敵に回るくらいなら、連れて行かない方がよいということで、事前に魅了の魔法を解いてナンシーの気持ちを確認したのだった。
その結果、ナンシーは帝国には戻るつもりもないし、スティーブと一緒に戦うと言ってくれたのである。そこでスティーブはナンシーを死亡したように見せかけることを思い付いた。
停戦協定に全ての関係者の罪を許すというのは、表向きはイノとジョセフのことだが、ナンシーについても間諜網の情報を漏らしたり、スティーブと一緒に戦ったことへの追及をさせないためであった。もちろん、カスケード王国側もナンシーについて何も追及することは出来なくなった。
公式記録の死亡とあわせて、ナンシーを自由にするためのものである。今日、停戦協定が正式に結ばれたことで、はれて表に出てきたのだ。
スティーブとナンシーにベラが不満そうな表情を見せる。
「私の涙を返してほしい」
あの日、ナンシーが死んだことでベラは泣いたのだった。スティーブはベラにも幻惑の魔法を使って幻を見せていた。ベラがナンシーが生きているのを知ったのは、つい最近なのである。
「ほら、敵を騙すにはまず味方からって言うじゃない」
「聞いたことない」
スティーブが言い訳をするが、ベラの口吻はとがったままである。
そして、もう一人不満を抱えているのはクリスティーナだった。
「救国の英雄と女騎士の物語の演劇は王都と東部で大人気ですが、救国の英雄に婚約者がいないのはどうかと思います。東部で上演されている劇のストーリーはもっとひどくて、傷心の英雄が女領主と結婚するなんて駄作だと思います」
「女領主に意地悪する侯爵令嬢として、クリスティーナが登場している」
ベラのつっこみにクリスティーナの不満が怒りに変わる。
「登場しないより余計に悪いです。絶対にあの女が脚本をいじってます」
と鼻息荒くまくしたてた。
スティーブとナンシーの話は悲劇として脚本が作られて上演されている。王都の脚本はほぼ事実に基づいており、英雄が攻めてきた敵と戦う中で、恋人である女騎士と悩みながらも戦う。英雄の剣が女騎士を貫き、別れの言葉をかわすところがクライマックスだ。実話と思われているだけに涙を誘い大人気となっている。
それが東部で上演されている方の脚本は、女騎士が死んだあとに英雄を慕う女領主が傷心の英雄を慰め、やがて結婚して幸せに暮らすというものだった。
その女領主の結婚を邪魔するのが侯爵令嬢なのだが、モデルは言わずもがなクリスティーナである。
スティーブに振られたイヴリンの意趣返しではあるが、東部ではスティーブとイヴリンの人気が高く、二人の結婚を望む声も大きいことから、こちらの脚本が受けている。
自分のことが演劇になったスティーブは、恥ずかしいから観たくないと言ったのだが、ナンシーが自分のことがどう描かれているのか観てみたいというので、両方の演劇を変装して観劇してきたのだった。
そこでクリスティーナが自分の描写を知ったのだった。
そんなクリスティーナに後ろから声がかかる。
「あの女とは誰のことでしょうか?マッキントッシュ侯爵令嬢」
イヴリンがやって来たのだった。
彼女はスカーレットともう一人の若い女性を連れていた。
突然の出現に、一同は驚く。
「約束はしておりましたが、いきなりの登場に驚かされました。そちらの女性の魔法ですか?」
「そうですわ、アーチボルト閣下。クリプトメリア王国で雇われていた魔法使いでしたが、私のところに転職していただきましたの。閣下の魔法を見て便利だと思いましたので」
本日ここを訪れることはイヴリンに通知していた。貴族が他人の領地に行くには許可を得る必要があるため、それに従い通知を出したところ、イヴリンから会いたいと言われたので記念碑の前でと約束していたのだ。
「晴れて自由の身、おめでとうナンシー」
「ありがとうございます。クレーマン閣下」
「私は貴女の死亡の噂を広めたくらいしかやってないけどね。全てはアーチボルト閣下のおかげよ」
そう言ってスティーブに微笑みかける。
「僕も杉を返し終わって肩の荷がおりました。一部現引きされたものは、婚約者のクリスティーナの実家から取り寄せて数をそろえたのですよ」
「北部の杉は品質が良くて羨ましいですわね。植物は育ちが良いみたいで」
スティーブは借りていた杉を全て返済していた。一部現引きされたものについては、予定通りマッキントッシュ侯爵からもらい受けて、数をそろえたのだった。
イヴリンは「植物は」と強調して、クリスティーナを見る。
貴族令嬢であるクリスティーナも、この状況で感情をあらわにはしないが、笑顔が引きつっていた。
そんなクリスティーナを見てスティーブが人差し指で自分の頬を掻く。そして大きく深呼吸をした。
「クリス、ここで言うのもどうかと思うけど、結婚しよう。僕も来月成人だから。ずっと待たせてたね」
スティーブに結婚しようと言われてクリスティーナは顔を真っ赤にして焦った。不意打ちされたことで、貴族令嬢としての教育すらも消し去られたのである。
「はい」
とだけこたえるのがやっとであった。
「それと、ナンシーも」
「喜んで」
ナンシーは笑顔でこたえる。
イヴリンはため息をついた。そして、苦笑まじりにスティーブを見る。
「少しは私の気持ちも察してほしいものですが」
「あんまり婚約者をいじめるからね。ちょっとだけ意地悪をしたくなったの」
「私もずっとお待ちしておりますので、順番が来たら教えてください」
「それはちょっと重たいんだけど」
「私も仕返しです」
イヴリンはそう言うとクスクスと笑った。
翌月、スティーブとクリスティーナは盛大な結婚式を挙げる。その後、関係者だけでナンシーとの結婚式を挙げた。
当初の予定だとナンシーは死ぬ予定でしたが、暗い展開もどうなのかなあということで、今後の予定も全て考え直す形で生存ということにしました。なので、どこか辻褄があってないかもしれませんが、ご容赦ください。でも、ナンシーは殺したかったなあ




