73 メルダ王国
レミントン辺境伯は改めてスティーブの能力に驚愕していた。
キャメロン親子を捕まえてから一日で、国内に入り込んでいた工作員を排除してしまったのだ。しかも、全員を生け捕りにして。
「さて、この後はどうしましょうか?」
スティーブはレミントン辺境伯に訊ねた。
「これだけのことをしたからには、メルダ王国には相応の対価を支払ってもらいましょう」
「わかりました。それでは船を一隻お借りできますか」
「船ですか?」
レミントン辺境伯はスティーブが船を借りたいという意図がわからなかった。
「これからメルダ王国に乗り込んでみようかと思いましてね。対価を払ってもらうのですよね」
「そうですが……」
レミントン辺境伯が言った対価とは、賠償金のことであった。メルダ王国に使者を送って抗議し、相応の賠償金をせしめてやろうと思っていたのである。もっとも、外交は国家の案件であり、レミントン辺境伯はその提案までしか関われないのだが。
しかし、これが戦争となれば辺境伯の権限でできる。
スティーブはそのつもりで対価と言ったのだった。
お互いの勘違いに気づいたレミントン辺境伯は、ついに自分のところも西部や北部と同じ境遇がめぐってきたと歓喜する。
「それならば奴隷商の使っていた船がよいでしょう。あれなら敵も入港までは警戒しないはず」
レミントン辺境伯はそう提案し、スティーブもそれを受け入れた。
すぐに船員も選ぶように指示を出し、あっという間に出航がきまる。船員は全員がレミントン辺境伯領軍の海兵だ。彼らと一緒にメルダ王国に乗り込むのはスティーブとナンシーとベラ。
船長は水も食料も積み込まずに慌てて出航することに不安を抱いた。すでに船に乗って出航を待つスティーブに船長が話しかける。
「水も食料も無しでどうしようっていうんですか。日帰りじゃないんですよ」
「それは今レミントン卿が準備してくれているから、僕がとりに行くよ」
「海の上からですか?」
「そうだよ」
船長にはスティーブの転移の魔法の話はしてあったが、実物のスティーブを見るとまだ子供という外見に不安を覚えた。陸上では凄い魔法使いかもしれないけれど、船の上では実績がない。ましてや子供。レミントン辺境伯の命令でもなければ、なんの冗談かと笑い飛ばすような航海であった。
スティーブも船長が自分のことを信じていないのを感じ取り、論より証拠とばかりに目の前で転移の魔法を使い、準備途中の物資の一部を持ち帰ってくる。
「ほらね。こうして物資はいつでも調達可能なんだ。今は時間が惜しい。敵が作戦が失敗したと気づく前に乗り込んで、態勢の整う前にやっつけてしまいたいんだよ」
「疑って申し訳ございません。これなら安心だ。船員には俺から言っておきます」
「よろしくね。こちらの実力を見せようとすると怪我人が出るから」
そういってナンシーの方を見た。彼女はいつでもやれるとアピールする。乗船の時から美人で体つきの良いナンシーには船員たちの好奇の視線が寄せられていた。彼女はそれをとても不快に思っており、スティーブに二、三人殴らせてほしいとお願いしてきたのである。
もちろん、スティーブは止めた。
一方まだ幼さの残るベラの人気は無い。なので、船員たちの視線はナンシーが独り占めしていたのである。
出航してからしばらくして、他の船が見えなくなった辺りで、スティーブは魔法を使って船ごと転移することにした。時間短縮のためである。
途中で使い魔にした海鳥の視点をつかって、可能な限り遠くへと転移して、その日のうちにメルダ王国の港の近くまでたどり着いた。
船長が呆れた表情でスティーブに話す。
「これなら物資もいらなかったですね」
船の転移が終わったので、スティーブはレミントン辺境伯領から物資を船に持ってきたのだった。
「でも、流石に疲れたよ。今日はここに停泊して、明日上陸する。船はこのままここにいて」
「そりゃ構いませんが、私らは明日はどうすればいいんで?」
「僕が上陸して港町を制圧したら、レミントン辺境伯の軍隊を転移させてくる。万が一僕に何かあって彼らが撤退するときは、この船で送ってほしい。それが無ければ安全になってから入港してくれたらいいよ。レミントン辺境伯に借りたのは行きの船だから、帰りは契約していないんだ」
それを聞いた船長が頭を掻いた。
「行きにあんな航海を経験しちゃあ、帰りは不平不満だらけですよ」
「帰りも送ろうか?」
「閣下にはそうしていただきたいところですが、往復でそうなったら奴らが怠け者になっちまいますね。けつを蹴り上げてでも船を自力で動かしますよ」
船乗りが乗客のような扱いで別の国まで航海してきたので、怠け癖がつきそうだと船長はぼやいた。
「船旅って快適」
「ベラ、普通はもっと波に揺られるもんだよ」
船旅の大変さを経験しなかったベラが勘違いする。それを訂正するスティーブに船長が同意した。
「初めてはたいがい船酔いするもんなんですがね。まあ、機会があったらゆっくりと海の上をご案内しますよ」
「とりたての新鮮な魚を食べてみたいもんだね」
「閣下、実際には新鮮さと味は一緒じゃないんですよ。船の上よりも陸に帰って食べたほうが魚の肉が美味くなるんです」
「へえ、獣の肉が熟成されて美味しくなるようなものかな」
「たぶんそうかと」
魚の肉もタンパク質であり、アミノ酸になった方が美味く感じる。なんでもとれたてが良いというわけではなかった。
翌日、魔力の回復したスティーブは今までと同様に偵察からの制圧に動く。しかし、メルダ王国も今までのフォレスト王国とパスチャー王国の事例を研究しており、カスケード王国が攻めてくるなら一番最初となる港町は対策をしていたのだ。
スティーブが港町を管理する軍の施設に潜入して、トップの身柄を抑えた時に、一緒にいた魔法使いが空に向かって火球を放った。それが敵襲の合図であり、軍の施設とは関係ない場所に待機していた転移の魔法使いが合図を見て王都に転移する。
王都ではすぐに迎撃態勢が敷かれて、国王は別の場所に魔法使いと一緒に転移し避難した。
スティーブが火球の意味を確認するため、魔法使いに自白させたときには、既にスティーブたちの侵攻が露見してしまっていたのである。
拘束されている港町を管轄する将軍はスティーブを笑う。
「侵攻してきたのがばれてしまえば、今までのようにはあっさりゆかんぞ。どうする?」
「僕の心配よりも、捕虜となった御身を心配された方が良いですよ」
スティーブはこの状況で笑える将軍の気持ちがわからなかった。別に侵攻がばれたところで、スティーブとナンシーを止められるとは思っていない。捕虜たちをレミントン辺境伯のところに届けると、代わりに占領するための兵士たちを連れてきた。
「敵が待ち構えているかとおもうとワクワクしますね」
「それはナンシーだけだよ」
戦闘狂のナンシーの考え方にスティーブは苦笑する。彼女からしてみれば、不意打ちをするよりも待ち構えている相手の方が歯ごたえがあり、そうした戦いを望んでいた。
そして、軍の施設の外にいる兵士はナンシーに制圧をお願いした。港湾の警備をしている兵士たちも先ほどの火球で侵攻を知っており、不意打ちというわけにはいかなかったが、ナンシーを止められるような実力を持った兵士はおらず、簡単に制圧されてしまったのである。
その後はメルダ王国の詳細な地図を軍の施設から発見すると、王都の方角がわかったのでいつものように転移をしながら各地の領主を人質にとっていく。
ところが、ある程度のところから居城に領主がいなくなった。どこかに身柄を躱してしまったのである。それでも守備の兵士は詰めており、それを人質として捕まえては、代わりに駐留する兵士を配置していった。
もちろんこれは転移の魔法使いがもたらした情報を、狼煙で伝達して領主が国王同様に避難したのである。ただし、転移の魔法使いを抱えていない領主は遠くまでは避難出来なかったが。
この作戦はスティーブの魔力量が多少多いくらいならうまくいったかもしれないが、とんでもなく多いスティーブにとっては無意味であった。
王城を陥落させたスティーブは、そこに国王がいないとわかると他の領地をしらみつぶしに占領していく。すでに領主が避難していても、兵士たちが軒並み拘束されてカスケード王国に移送されてしまっては、占領軍を排除することもままならない。
そして、レミントン辺境伯の占領軍は、領主を見つけ出した場合は平民であっても褒美をとらせるというお触れをだした。各地で落ち武者狩りのようなことが発生し、続々と貴族が捕らえられると連れてこられた。
メルダ王国の国王は各地を転々とするが、次々と支配地域を失ってゆき、ついには魔法使いに転移できる場所が無くなったと告げられた。
魔法使いは一人で転移しては転移先の状況を確認していたが、次々とカスケード王国に占領されて、メルダ王国の貴族や王族が支配している地域が無くなってしまったのである。
都市部では王族や貴族に懸賞金がかけられていることから、山中で国王と王子と魔法使いの三人だけとなり、空腹とみじめさからただただ空を眺めていた。
ついこの前までは豪華な城に住み、国中から集めた最上級の食材で作られた料理と、暖かくて柔らかいベッドがあったというのに、今では食うものにも困り、石を枕に寝る生活に疲れ果てていたのだ。年齢も50を過ぎてこうした逃亡生活は体と心を痛めつけていた。
王子はそんな国王をみて、結論を出す時だと決意した。
彼はまだ若く成人したばかりである。何人もいた子供たちは王位継承争いでことごとく暗殺され、最後にのこったのがこの王子ひとりであった。
なので、一緒に避難してきたというわけである。
「陛下、ここに至っては隣国に亡命するか降伏するかのご決断を」
「エイベル、朕はどこで間違ったと思うか?」
国王は王子の質問に答えず、逆に王子に質問した。
「おそれながら意見を申し上げるならば、カスケード王国に手を出したところではないでしょうか。かの国が領土を拡大したのは、全て侵攻を受けての反撃。今回も軍が立案したカスケード王国内部への転移と盗賊行為が露見したことへの報復ではないかと思われます」
エイベル王子の意見は正しかった。人買いであればまだ交渉で済んだであろうが、兵士を転移させて工作をしようというのが露見したことで、今回の逆侵攻となったのである。
だが、国王はその意見に納得が出来なかった。
「どのような理由があったとしても、隣国の領土が拡大していけば、そのうち野心がこちらに向くと警戒せねばならん」
「その野心をくじくのに、敵国内を混乱させる手もありましょうが、交渉による和平の道があってもよかったのではないでしょうか」
「それではいつ相手が牙をむくかわからん」
「はい。ですので警戒は怠らないことは必要だと思いますが、必ずこちらから工作をかける必要もないのかと愚考いたします」
「あれだけ急拡大している隣国がこちらと和平を結ぶメリットなどあるのか」
国王は王子の意見を一蹴するが、王子はそれに対しても意見を言う。
「急拡大しているからこそです。カスケード王国を見れば、西部と北部が一気に広がり、それを管理する人材が不足していると思われます。我が国もそうですが、仮に支配地域が倍になったとしたら、それを管理するための役人が不足いたします。人の育成など急にはできませんから、いくら野心があったとしても、さらに領土を拡大するのは難しいことでしょう。合理的な判断が出来るのであれば、我が国への侵攻などは後回しになるはずです。そうであれば、我が国はその間に国力を付けて対抗できるようになるべきだったのです」
国王は子供だと思っていた王子がしっかりとした意見を持っていたことに驚いた。そして後悔する。
「この作戦が奏上されてきたときに、エイベルの意見を聞くべきであったな。今となっては遅いが」
「どうでしょうか。カスケード王国はいまだ我が国を所有するには力不足。その証拠にフォレスト王国もパスチャー王国もいまだ健在ではありませんか。かの国の国王は計算が出来る人物だと思います。交渉次第では王家は残ることが出来るかもしれません。亡命すれば命は助かるでしょうが、この状況で王家が復興する望みは薄いでしょう」
国王は王子の意見を聞き入れ、降伏してカスケード王国と交渉することに決めた。
そして、魔法使いに王城に転移するように指示をする。
逃亡していた国王が王城に戻ったことをスティーブが知ったのは、その二日後であった。メルダ王国国内を飛び回って国王をさがしていたが、もはやメルダ王国が組織だった行動をとれないから終わりにしようと思って、王城にいる駐留軍のところに顔を出して、そのことを知ったのであった。
ここにスティーブのメルダ王国侵攻は終わりを告げる。
潜入の発覚から僅か二週間の出来事であった。




