65 バーニー・オグバーン
パスチャー王国は不況の真っ最中にあった。
敗戦により支払うことになった賠償金が国内の金を国外に流出させ、結ばれた不平等条約で産業が破壊され、領地を失った貴族とその使用人や役人が無職となった。
これらが重なって一気に不況となったのだ。
バーニー・オグバーンも貴族に仕えていたが、その貴族が領地を失ったことにより、一緒に仕事を失ったひとりであった。住んでいた場所がカスケード王国に割譲されたことにより、領主もカスケード王国の貴族となり、その領主に自分を売り込んでみたものの、元敵国の人間は雇わないと断られてしまったのだった。
農民に転向しようにも、町に住んでおり土地もないバーニーには無理な話で、商売をしようにも元手がなかった。貯えも底をつきそうだというときに、カスケード王国の西部地域の貴族であるアーチボルト男爵が計算のできる人材を募集しているというので、それに応募してみたところ、採用が決まって移住することになったのである。
アーチボルト男爵といえば、祖国パスチャー王国の王都を陥落させた敵国の英雄スティーブ・アーチボルトの父親であり、不安は大きかったが背に腹は代えられないということで、一か月にカスケード王国銀貨10枚という給金に飛びついた。
採用にあたってはかつての同僚達も応募していたが、面接で自分だけが採用が決まったのである。その面接はなんとも不思議で、面接の最中にバーニーは眠ってしまったのだが、起きると面接官から採用といわれたのだった。
元同僚たちも寝てしまったが、彼らは不採用となっており、どうしてそう判断されたのかわからなかった。
これの種明かしをすれば、面接官に扮したコーディと、隠れて幻惑の魔法を使うスティーブにより、不正をできる状況の幻覚をみせ、不正をするかどうかを判断したのだった。
そして、バーニーだけが不正をしなかったため採用することになったのだ。
採用が決まると移住のための資金と鉄道のチケットが支給された。一人娘のクララは鉄道の駅を見ただけで大興奮であった。
「パパ、駅って領主様のお屋敷みたいに大きいんだね」
12歳になってもうすぐ成人するという娘が無邪気にはしゃぐ姿を見て、バーニーはこれから新しい土地で仕事をする不安を一時忘れることが出来た。
駅舎では汽車を待つ商人たちが数名いた。北部から中央に移動する人たちは商人がほとんどである。彼らは商品とともに長距離を安全に移動できる鉄道を好んだ。通行税もかからないため、運賃を払ってでも恩恵がある。
まだ旅行は一般的ではないが、商人のほかには馬車の旅を嫌う貴族の需要もあった。貴族は馬車を嫌う以外にも、通過する領地の領主への事前通告という面倒な作業を省略できることが理由でもあった。
バーニーはやや場違いだなと恐縮していると、蒸気機関車が駅に入ってきた。煙をふきあげて徐々に大きくなってくるくろがねのボディを見ると心が躍った。
クララなどは遠慮もせずに大はしゃぎである。
「パパ、ママ、見て!あれが汽車?」
「そうだね。パパも初めて見るけど」
クララが走って乗り込もうとしたので、バーニーは慌てて娘を止めた。周囲の商人たちはそれを微笑ましく見ている。普段から汽車を使う彼らは、汽車を初めて見る子供たちが一様に同じ行動をするので見慣れた光景なのだ。
汽車は商人たちの商品を積み込むのに時間がかかるので停車時間は長い。クララはバーニーと一緒に汽車の中を見て歩く。妻は席を確保するために座席に残っていた。
商品の積み込みが終わってようやく汽車が走り出す。煙が入ってくるので窓は開けられないが、クララは流れていく風景をずっと見ていた。が、しばらくすると疲れて眠ってしまった。
その日は夜まで汽車に揺られていたが、北部を出ることはできずに途中で下車して宿に宿泊する。これは元々の予定通りであった。汽車はライトが無いため夜間は走行できない。現在はライトも開発中であるが、実用には至っていなかった。
バーニーはこうして何度かの宿泊を重ねながら西部に到着し、そこからはトロッコ列車でアーチボルト領を目指す。
汽車ほどの速度はないものの、初めての体験にクララは大喜びだった。
こうしてオグバーン一家はアーチボルト領に到着した。
バーニーはブライアンとの面談があるため、妻とクララを宿に残して領主の屋敷へと行く。そこで初めてブライアンに会った。
「バーニー・オグバーンです。この度は雇用していただきありがとうございます。閣下のために粉骨砕身の覚悟で仕事をさせていただきます」
「よろしく頼むよ。雇用条件は募集時に提示したとおりだから。それで、仕事内容だけどうちの領地で経営している工場の経理を任せたいんだ」
「工場?ですか」
工場という言葉はバーニーの頭の中にはなかった。なので、ブライアンに質問する形になってしまった。
「大きな工房だと思えばいい。労働者が百人以上いて、給金や収支の計算が大変なんだよ。経験者ということで期待しているから」
「お任せください。必ずやご期待にそえるようにいたします」
とはいったものの、バーニーはとても大変な仕事だなと思っていた。言葉に関しては大陸は全て共通語であるので問題ない。問題は工場の規模だった。目の前のブライアンの説明では材料の購入だったり、併設されている食堂の食材や、託児所で使われている消耗品など、動いている金額がとても多い。
百人の村からの徴税とはわけが違うのであった。
さらには、労働者の給金は労働時間で変わるため、毎月その計算に追われることになる。かつて仕えていた貴族のところでは、使用人の給金は残業などに関わらず一定だったため、とても計算が楽だったのである。
しかし、ここでは違った。そんな不安が頭をよぎるバーニーに対して、ブライアンは言葉をかける。
「今は息子が社長として工場の金を見ているから、引き継ぎはそこでするといい」
「閣下のご子息といえば、あの竜頭勲章を授与されたという」
「そうだ。工場の経営が忙しくて人手が欲しいというから。うちの領地は土地がやせていて、農業だけでは暮らしていけないから、製品を作って売ることで金を得て、その金で外から食糧を買っているんだ。今は農業も少しましになったけどな」
バーニーはスティーブは軍人だとばかり思っていた。それが工場の経営をしているとは意表を突かれて驚きを隠せなかった。
「君たち家族の家は第三の村に用意してある。機密事項が多いから簡単に村外に出ることはできないが、申請をしてくれたら内容を精査して許可をだすから」
「承知いたしました」
「では、あとは従士が第三の村まで案内する」
「はい」
ブライアンとの面談が終了すると、オグバーン一家は本村で一泊してから第三の村に移動した。
第三の村に到着すると、バーニーはスティーブとの面談となった。社長室にはスティーブとニック、それからクリスティーナとベラがいた。
バーニーは最初にニックのことをスティーブだと思ったが、ブライアンよりも年上に見えたので、そうだ、子供だったと思い出し、まだ未成年のスティーブの方を向いて挨拶をする。
「初めまして、閣下」
「ようこそ、バーニー・オグバーン」
バーニーはスティーブを見て、なんだ子供ではないかと思ったが、すぐにこの子供が祖国を敗北に導いたのだと思い出す。言葉一つを間違えただけで家族が殺されるかもしれないという恐怖が襲ってきた。
「そんなに緊張しなくてもいいんだけど」
「どうせスティーブの悪いうわさがパスチャー王国で広がっている」
「ベラの言う通りです。スティーブ様は他の国ではカスケード王国の死神と呼ばれておりますから」
「ああ、だから若様は俺の寿命も奪っていくんですね」
ベラとクリスティーナの話にニックがのっかり、挨拶が大幅に脱線した。
その光景にバーニーの脳は処理が追い付かない。カスケード王国の竜頭勲章といえば、公爵と同等の扱いを受けるのは知っていた。つまり、スティーブは昨日会った父親のブライアンよりも上の存在なのに、室内にいる三人はかしこまった態度を取っていない。まるで友達のような口の利き方なのだ。
「さて、オグバーンも僕のことを死神と思っているのかな?」
「とんでもございません。生活に窮していた私に救いの手を差し伸べて下さった神様のような存在でございます」
その答えにスティーブは満足し、三人に勝ち誇ったように言う。
「ほら、死神なんかじゃないよ」
「若様、面と向かって死神なんていうような命知らずはいませんぜ」
「ニックは僕に言ったじゃないか」
「工場長としては、社長の間違った認識を正すのも仕事ですからね」
ニックが自分のことを工場長と言ったので、バーニーはニックが工場長だと分かった。
「さて、いつまでも話が脱線したままだというのもよくないね。オグバーンには経理を担当してもらう。一気に全部とはいかないから、ひとつずつ書類を引き継いでいこうか。工場はまだまだ拡大していく予定だから、経理の仕事が増えれば人も増やす予定だけど、今のところは間に合わなそうならば、僕とクリスが応援するから。あ、クリスは僕の婚約者ね」
スティーブが紹介すると、バーニーはクリスティーナに一礼する。
「それと家族構成は奥さんと娘さんだよね」
「はい」
家族構成を言われてバーニーは緊張した。自分の仕事と家族構成が繋がらないため、何を言われるのかと身構えた。
「村内は貨幣経済が普及しているので、計算が出来なければ学校に通ってもらうことになるけど」
「学校ですか」
「そう。簡単な計算と文字を学んでもらう。今までの移住者はみんな農民で、そうした教育を受けていなかったから全員に教育を受けてもらったんだけど、オグバーンの家族は都市で生活していたから教育を受けていればそれは免除でいいかなってね。あとは奥さんには出来れば働いてもらいたい。強制ではないけどね。どうしても労働力が不足しているからね。職種は色々あるから希望を聞くこともできるよ」
オグバーンは村民が貨幣経済に組み込まれていることと、教育を受けていることに驚く。が、よくよく考えてみると、貨幣経済を普及させるためには計算は必須だ。それを全村民にとなると、その力の入れようは凄まじいが。
この話を聞いてなるほど、これなら給金の対象も多くなるはずだと納得できた。
「妻は計算もできますし、文字の読み書きもできますので、子供にだけ教育を受けさせようと思います」
「わかった。学校の方には僕から連絡しておくから」
「はい。それで、授業料は如何程になりますでしょうか」
「無償だよ」
「無償ですか!?」
教育が無償ということで、バーニーは何度目かの驚きに見舞われる。
「これは先行投資だね。僕が求めるのは良質な労働者だから。それを金をかけずに集めようなんて無理でしょう。オグバーンみたいに戦争とその後の不況で職を失った優秀な人材を常に確保なんてできないよ。となれば、自分でそうした人材を作るしかないじゃない」
「それはそうですが、学校を運営していく費用もあるのではないですか」
「その辺は、先行投資と言ったよね。それに、ここの学校は国からの資金も貰っているんだ」
「国から、でございますか」
「そう。ジョージ・ウィルキンソンっていう教師がいるんだけど、この教師が王立研究所に所属していて、教育学の研究者なんだ。ここの学校がその研究対象になっているから、その見返りとしての報酬だね」
ここまでの話を聞いて、バーニーはパスチャー王国が戦争に負けたことに納得した。スティーブの戦力ということもあったが、鉄道の発明や平民への教育など、基本的な国力の差が大きすぎるのである。
スティーブが居なくてもパスチャー王国は負けていたであろうと考えたのだ。
実際には全てスティーブが関わっているが。
「じゃあそんなわけで、明日からよろしくね」
「承知いたしました」
こうしてバーニーは工場の経理として勤務することになった。
翌日から娘のクララは学校に通うことになる。
途中入学ということであるが、他の子どもたちも繰り返しの学習ということで、足し算引き算を学びなおしており、学ぶ内容は同じである。
ジョージがみんなにクララを紹介した。クララはガチガチに緊張しており、顔を真っ赤にして挨拶をする。
「クララですよろしく」
クララがそう挨拶をすると、先に移住してきたララがクララの前に進み出た。
「私ララっていうの。名前が似ているね」
と言って微笑みかけた。これにより、クララの緊張が少しほぐれた。
そこからは商人と客に分かれての買い物ごっこである。商品と金額の描かれている木札を並べる商人役の子どもと、お金に見立てた数字の書いてある木札を持った客役の子どもが、お互いに売買をしながら相手の計算間違いを見つけるゲームだ。
数字を覚えるところからのクララは、ララがサポートしながらの参加となった。
授業が進むとクララは自然な笑顔になる。
「お買い物って楽しいね」
「じゃあ、学校が終わったら本物のお店に買い物に一緒に行く?」
「え、子供だけで?」
クララは両親から商人は人を騙すものだからと言われ、買い物は大人とするものだと思っていた。
第三の村にある商店はアーチボルト家が経営しており、村民を騙すようなことはしないので、子供だけでも買い物ができる安心の店なのだが、移住してきたばかりのクララはそのことを知らなかったのである。
なお、商店は村民を騙さなくてもきっちり利益が出ていた。
クララとは逆に、商人というのを知らないで移住してきたララは、商人が客を騙すというのを知らない。
「そうだよ。ひょっとしてお小遣いをもらってないの?」
なので、クララがお金を持っていないので、それを心配しているのだと勘違いをしたのである。
なお、この小遣いという考え方だが、村民のお金を回収するために、スティーブが広めた考え方であった。子供は欲しいものを買ってしまうので、必要か必要じゃないかを考える大人よりも回収しやすいだろうというのを元に、それを隠すために、子供たちに実践で学ばせるという理論を乗せている。
体験学習というこの理論はジョージによって研究されており、お金を回収したいというのはうまく隠せていた。
そして、ララがクララを気に掛けているのは、ジョージに自分をアピールするためであった。大好きなジョージのために、良い子を演じているのだが、それに気づいている者は誰もいなかったのである。
ララは平民のアイラが技官のシリルと結婚したのを知り、自分もジョージと結婚できる可能性があることから、俄然やる気を出してジョージを狙っていたのである。
ララのこの努力が実るかどうかは神のみぞ知ることであった。




