第209話 その後の子供たち
経済革命クラブがカヴェンディッシュ建設を手に入れてから一か月ほど。経営の混乱もおさまり、全てが順調に回り始めたころ、クラブの部屋にメンバーとナタリアが集まっていた。
次の活動方針が決まらず、会議という名の時間つぶしではあるが、そこにナタリアが呼ばれていたのにはわけがある。
「領地からオルゴールが届いたんだ」
アーサーが机の上に置いたのは、螺鈿細工の施された二つのオルゴール。
「こちらがリリアの、こちらがナタリアの、受け取ってくれるかな?」
「ありがとうございます。こちらは今動かしてみても?」
リリアは興奮気味にアーサーに訊ねる。
「勿論」
リリアがゼンマイを巻いて手を放すと、オルゴールが音楽を奏でる。
アーサーが作曲したオリジナル曲であり、歌詞は誰も知らないが、聴けば恋人に贈る曲だと理解できる。そんなメロディーであった。
リリアは言葉も出ないほど聞き入っている。
そんなリリアとは対照的なのがナタリアだった。あまりの出来栄えに恐縮してしまい、手に取る事すら躊躇われていた。
曲を聞き終えたリリアは、アーサーに質問する。
「随分と納期が短かったようですが、このような素晴らしいものが、こんな短時間で作成可能なのでしょうか?」
「それは、父とニック、我が領地の工場長が張りきったので――――」
アーサーは気まずそうにこたえた。
アーサーが婚約者にオルゴールを贈ると聞いて、スティーブとニックが張りきったのだ。螺鈿細工についてはスティーブが、オルゴールについてはニックが寝る間を惜しんで作ったのである。
「まあ、閣下と噂に名高い工場長が!」
リリアは大いに喜んだ。
スティーブの制作というだけで、価値は跳ね上がる。それに、アーチボルト領のニックといえば、国内にその名が轟いていた。
「我が家の父でも入手できないような品をいただいてしまってよろしいのですか?」
「それは二人がやりたくてやったことだから、気にしなくていいと思う」
流石にアーサーも、スティーブとニックの親ばかっぷりには苦笑いであった。
一方、それを聞いてしまったナタリアは、オルゴールに触る事すら躊躇われた。それにイザベラが気付く。
「緊張して触れない?」
「……はい」
ナタリアが頷く。
イザベラはナタリアの緊張を解きほぐすように、わざと大袈裟に笑ってみせた。
「気にし過ぎよ。オルゴールなんて聴かれるために作られたんだから、聴かなければ価値が半減よ」
「でも……」
「それに、これの外観だけにこだわっていたら、折角作曲してくれたアーサーの苦労が台無しだわ。どこにも発表してないオリジナル曲でしょ。ナタリアが聴かなければ、世の中の誰も聴くことなく終わってしまうのよ」
そう言われると、ナタリアは覚悟をして、オルゴールのゼンマイを巻く。
そこから流れてくるのは、リリアの曲よりも落ち着いたテンポで、聴くと安心感が広がるものであった。
聴いていたナタリアの目から、自然と涙が零れる。
「泣くほどよかったのね」
エリザベスがナタリアにハンカチを差し出す。ナタリアはそれを受け取って、涙を拭いた。ナタリアの目がハンカチに覆われた隙に、イザベラはアーサーに目線で出ていくようにと促した。
アーサーはそれを受け取り、リリアとミハエルを伴って、そっと部屋から出て行った。
残ったのはイザベラとエリザベスとナタリア。
イザベラは涙を拭き終わったナタリアに訊ねる。
「ねえ、貴女アーサーの事が好きなんでしょ?」
突然の質問にナタリアは目を丸くするが、すぐに頷いてみせた。
ナタリアの気持ちを察したイザベラが、アーサーとリリアを退室させて、ナタリアの本音を聞き出せる状況を作ったのだ。
「でも、私なんか身分が違い過ぎて――――」
涙は止まったが、目が真っ赤なナタリアはこの世の終わりみたいな表情でイザベラを見る。
それに対し、イザベラは慈愛に満ちた表情でこたえた。
「身分なんて関係ないわ。子爵家と騎士爵家でしょう。領地じゃ平民と貴族が結婚しているわよ。エアハート教授夫人だって、ウィルキンソン女教授だって平民出身だわ。それに比べたら、貴族の家出身なんだもの、悲観することなんて全然ないわよ」
「でも、住む世界が違うから」
「世界なんて同じよ。国王陛下だって同じ太陽を見て、時の刻みだって同じように進んでいく。何も異世界の人を好きになったわけじゃないんだから」
イザベラに言われてナタリアは、少しだけ希望が持てた気がした。そこにエリザベスもフォローする。
「努力しだいよね。ベラなんておじさんの事が好きすぎて、あそこまで強くなったし、一緒にいるために結婚も子供も諦めたんだから」
「まあ、それを諦めなくても、パパはベラと一緒にいたと思うけどね。ママたちと余計な軋轢が無いのは助かるけど」
「ベラさんってそうなんですか?」
ナタリアがベラに興味を持ったので、イザベラとエリザベスはベラの話を教える。それを聞いたナタリアは感心するばかりであった。
「閣下のことを好きで強くなろうと決めて、近衛騎士団長よりも強くなったんですか」
「そう。武器の制限がないなら、ベラの射撃で勝負がつくわ。仮に、近衛騎士団長が銃を持っていたとしても、結果は変らない。剣やナイフでもたぶんベラの方が上よ」
ナタリアはイザベラからの情報を、すぐには信じることが出来なかった。ダフニーと言えば、国内最強の騎士である。イエロー帝国のテロから国王陛下を守った話は、国民ならだれもが知っていた。
「その努力の結果が今のポジション。パパは家族以外じゃベラを一番信用しているわ。じゃなきゃ私の監視役になんてしないもの」
「監視役?護衛じゃなくて?」
ベラが監視役だと聞いてナタリアは驚いた。貴族の令嬢についてくる凄腕の女性であれば、護衛だと思うのが当然だ。それについては、エリザベスが苦笑しながら詳しく話す。
「イザベラがやんちゃすぎて、おじさんが困っているのよ。並大抵の護衛じゃついていけないし、それを数で補おうとしたら、帝国からの留学生っていう設定にほころびが生じる。結果として、ベラを付けたのよ。本当なら跡継ぎのアーサーの護衛何でしょうけどね。でも、アーサーはイザベラより強いから、護衛なんて要らないのよね。そのうえ、誰かさんみたいに監視するような必要もないし」
「あー、今は私の事はいいから……」
イザベラがエリザベスを睨む。その仕草に、ナタリアはクスリと笑ってしまった。
イザベラは咳ばらいを一つしてから話を続ける。
「おほん、というわけで、本人の努力次第でどうにでもなった事例は沢山あるの。近くにいられる学生のうちならチャンスも多いわ。諦めるにはまだ早いってことよ」
その言葉にナタリアは強く頷いた。
――――その日の夜
アーチボルト家では、スティーブとイザベラ。それにスティーブの妻たちが揃っていた。
イザベラはナタリアの気持ちを親に伝える。アーサーにはリリアという婚約者がいるが、第二夫人が必要ないという決定がされたわけではない。ただし、現段階で第二夫人候補が出てくれば、レミントン辺境伯の気分を害する可能性は十分にある。
ということで、昼間はナタリアを応援したものの、順番は逆になるが、今はそのことについて許可を得ようというわけだった。
イザベラの話を聞いて、クリスティーナの顔は崩れる。
「アーサーはもてるのね」
とご満悦。が、すぐに真顔になる。
「閣下みたいに、あちらこちらで言い寄られたら、レミントン辺境伯令嬢が可哀想ね」
鋭い目つきでスティーブを見た。スティーブとしては、今こちらに話題を向けないでと無言で抗議する。まあ、ここまでがいつものお約束みたいなものではあるのだが。
クリスティーナはその後、他の妻たちの方に向き直る。
「私としては、レミントン辺境伯令嬢をないがしろにしない限り、第二夫人は自由恋愛でもいいと思っているの。それに、レミントン辺境伯令嬢が子供を産めるかどうかはまだわからない。第二夫人の可能性は残しておかないと」
クリスティーナの意見に他の三人は同意した。
それに反対するなら、自分の立場はどうなんだといわれる状況であり、反対する理由もないのである。
その意志を確認すると、クリスティーナはイザベラに微笑む。
「そういうわけ。でも、アーサーに強制しちゃだめよ」
「わかっています。こちらは可能性の提供まで。後は本人の努力次第って」
それを聞いたクリスティーナは、満足そうに頷いた。
――後日――
西部貴族の会合前、ソーウェル家の居城でスティーブとオーロラが顔をあわせた。
会合前の非公式な面会。そこでオーロラは満足そうにスティーブに話しかける。
「アーチボルト建設の経営は順調でなによりね。サリエリ商会の王都支店は、取引拡大で大忙しよ」
カヴェンディッシュ建設の名前は印象が悪いので、アーチボルト建設と名前を変更した。公共事業については、カヴェンディッシュ侯爵のように無理に受注はしなくなったので、その受注金額は減ってしまったのだが、アーチボルト家と関係を作りたい貴族や商人たちが、こぞって仕事を依頼したので、以前よりも仕事量は増えていたのである。
建築資材の仕入れはサリエリ商会とフレミング商会に大きな利益をもたらせていた。
「子供たちに経営は早いと思っていたけど、親の予想よりも成長が早いですね。まだ、目を離せませんが」
「いくつになっても、子供は子供よ」
国内有数の貴族であっても、この時ばかりは親の顔になる。
「親の顔にどろをぬるよりもよっぽどいいんだけど、頼ってもらえないのは寂しい限りですよ」
「あの子たち、貴方みたいな親を持つと、それを目標にするから大変よね。目標が高すぎるわ」
「ああ、それならアーサーの目標は僕ではなくて貴女ですよ」
予想もしなかった返答に、オーロラは一瞬目が大きくなるが、すぐに獲物を見つけた蛇のような、狡猾で獰猛な目になった。
「あら、嬉しいわねえ。でも、どうして?」
「それは、あの子が魔法を使えないからですね。魔法を使えないながらも、王家を超えるような権力と経済力を築いたというところを見て、自分の到達すべき目標地点にしたのだと思います。本人から直接言われたわけではありませんが、親ですからその辺はわかりますよ」
アーサーはことあるごとに、スティーブにオーロラと組んで家を大きくした話を聞かせてほしいと強請ってきた。そして、スティーブの話す内容では、スティーブの動きよりも、オーロラの動きに興味を示していたのである。
魔法が使えないからスティーブと同じようには出来ないが、オーロラであれば同じように出来るようになる可能性がある。だから、目標とする人物に据えるならそちらというわけである。
「それならうちの子として迎えて、私直々に鍛えてあげようかしら?」
オーロラの目がギラりと光った気がした。
「いえ、大切な跡継ぎですから」
「それなら、両家の継承権を与えれば問題ないでしょう」
「本気ですか?」
「勿論よ。残念ながら、うちの子たちには才能が無い。かつての領地だけならそれでもよかったけど、今の領地や影響下にある組織を管理するには能力不足。衰退や分裂されるくらいなら、他から優秀な者を迎え入れるくらいはするわよ。血に拘って家を潰すくらいなら、名前が残る方がいいじゃない」
その考えはスティーブにも理解できた。アーチボルト家の当主が無能で、領民が困窮するようであれば、血のつながりなど無くとも、有能なものを当主に据えたい。
しかし、今アーサーをオーロラに差し出すつもりはなかった。
「現在、アーチボルト家の当主は父ですので、僕の権限を超えていますね」
「そう。じゃあ代替わりするまで、この話はお預けね」
「そういうことで」
そこで、会合の時間になるからと呼ばれて、この話は終わった。
アーサーを動かすにあたり、作者の能力が限界を迎えたので、予定していた半分以下の文字数になりました。やっぱり、天才キャラを中心にした話なんて難しいですね。オーロラとアーサーの掛け合いなんて、全部没です。凡人には天才の掛け合いなんて思いつきません。でも、外伝でオーロラのことも少し書いておきたいし、次はオーロラの話しかなあ。
それと、臨時株主総会のところは結構都合のよい設定にしております。先物なんかも清算日が取引最終日と違ったりしているのは、物語の都合なので、日本の法律や取引ルールとは違っています。




