183 裏切り
8月、アーサーは西部貴族の会合でヘイムダルに会った。
ブライアンが世直しの旅に出ると言い、スティーブが面倒をみるからというので、領地の仕事をアーサーに任せたため、会合にはアーサーが出席していたのである。
そこでアーサーはヘイムダルに質問した。
「パーカー卿、今年の小豆の収穫量はどうかな?」
ヘイムダルはこたえる。
「例年と同じになりそうだ」
「そうか、それを聞いて安心したよ」
アーサーはそう言ったが、心の中は全然安心していなかった。
パーカー準男爵領の収穫量は平均で500トン。国内収穫量の5%にあたる。気象予報部の収穫予想を知らないまでも、8月になれば不作の兆候はあらわれているはずであり、それをヘイムダルが知らぬはずがない。
なにせ、その年の小豆の収穫量で領地の運営資金が左右されるのである。
そして、現在小豆価格は5倍の1キロ5万ドラまで上昇していた。ソーウェル家が買い占めに成功し、価格を吊り上げていたからである。
この状況から、ヘイムダルが裏切っている可能性もあるのではと考えた。
ソーウェル家ならば、当然パーカー準男爵家にも声を掛けるはずである。しかし、毎年パーカー準男爵領の小豆はほぼ全量アーチボルト家が購入しているため、そうした働きかけがあれば相談されても良いはずなのだ。しかし、それがないとなれば。ましてや、ソーウェル家の当主であるロキとヘイムダルが仲が良いのは周知の事実。
裏切りの可能性を考慮しないほど、アーサーはおろかではなかった。
そして、やはり裏切っているという結論に達する。なので、帰宅後すぐにイザベラとミハエルに相談をすることにした。
屋敷にに二人を呼び、アーサーはヘイムダルが裏切っている可能性を伝える。
イザベラはまさかという顔をしたが、アーサーの説明を否定する材料はなかった。
「で、どうするの?それとパパには報告する?」
「いや。ソーウェル家の仕掛けた相場への対処を見ているから、ここは自分たちで動いて結果を報告する。それに、ヘイムダルが裏切っているのが確定してないしね」
「でも、ほぼ黒なんでしょ。早めに決着をつけないの?」
「それはする。イザベラ、小豆の調達は問題ないんだよな?」
アーサーは念を押した。イザベラはもちろんと頷く。
「よし、小豆の先物を売る。それと、ミハエルは小豆の調達が出来なくてその他の菓子をつくることにした会社に連絡を取って、こちらが小豆を平年の価格で売るという契約を結んでほしい」
「いよいよ反撃だね」
ミハエルはグッと拳を握った。
それからすぐ、アーサーはヘイムダルに小豆の納品先について、例年とは違った指示を出すことになった。
8月のアーチボルト領での納涼祭の打ち合わせが丁度良く入っており、そこにヘイムダルがやってきたので、そこでの会話となった。
「ヘイムダル、今年は小豆価格が上昇している。だから、先物を売っておいて、君のところで収穫できたもので現渡ししようと思うんだ。なに、しばらくすれば安い外国産のものが入ってくるから、製菓事業には問題はない。それで、間違いなく500トン収穫できるんだよね?」
「勿論だ」
「よし。じゃあ、ソーウェル辺境伯領にある商品先物用の倉庫に入庫してほしい。倉庫証券はあとで送ってくれ」
「うむ」
ヘイムダルはアーサーの指示に従う姿勢を見せた。
倉庫証券とは、倉庫に商品を寄託した際に発行される有価証券であり、商品先物での売り方が現物を引き渡すときに使われる。
今回でいえば、パーカー準男爵が倉庫に寄託し、その所有権がアーチボルト子爵にあると証明することになる証券だ。
この指示をヘイムダルが承知したことで、アーサーはアーチボルト家の名義で小豆先物を500トン分売った。
ヘイムダルはそのことを喜んでロキに報告する。
「閣下、アーチボルト家が小豆先物を売りました」
「そうか。仕入れられるはずの現物が無くなって、製菓事業が傾くかと思ったが、先物の売りまで手を出したか。お前のところの小豆は全てうちにくることになっているのに馬鹿な奴らだ」
「私に騙されているとも知らずに、愚かなことで。単に生まれた家が良かっただけということを思い知ることになるでしょう」
二人は笑顔になる。とても醜悪なものであるが。
「それで、なんと言って騙してやったのだ?」
「ええ。今年の収穫予想を聞いてきたので、例年通り500トンだと言ってやったら、その分をそっくり売りに回すって喜んでましたよ」
「何!例年通りと申したのか!」
ヘイムダルの言葉を聞いて、ロキの顔色が変わった。
アーチボルト家が小豆の不作に気づいてないはずがない。それなのに、目の前の馬鹿は例年通りと嘘をついた。となれば、相手も不審に思うはずである。
「閣下、何かお気に障ることでもございましたか?」
が、目の前の馬鹿はそれに気づいていない。ロキはそれでさらに腹を立てた。が、そこはそれ以上顔に出さないようにし、心の中で「こいつも切り捨てるか」と決断した。
「いや、奴らが売るなら、さらに締め上げてやるまでのこと。それでな、お前に頼みたいことがある」
「なんなりと」
「倉庫証券を偽造しろ」
ロキの指示にヘイムダルは驚いた。倉庫証券の偽造は犯罪である。いくら貴族とはいえ、犯罪は裁かれることになる。
そこにロキは甘い声で話しかける。
「なあに、あとは俺が上手くやる。それに、お前は倉入れした小豆を俺に渡すつもりだったんだろう。清算日になって倉庫に小豆が無いとわかった方があいつらの驚きも倍増するはずだ」
「確かに」
ヘイムダルの考えでは、倉庫に入庫したあとで、小豆はロキに売ったとばらす予定であったが、それでは先物を買い戻されてしまい、アーチボルト家の損失は小さいものになる。ロキはもっと大きな損失を与えてやろうと誘ったのだ。
ヘイムダルはこの誘いに乗ってしまう。ロキが上手くやると言ってくれたことで、自分が罪に問われることはないだろうと予想したのだった。
こうして倉庫証券は二枚発行され、アーチボルト家とソーウェル家の両方に届けられた。
そして9月にはついに小豆価格は10倍の1キロ10万ドラに到達し、そのまま10月限の最終取引日となった。ここでの商品先物のルールは、最終取引日の3日後が受け渡し日となっている。
この日、アーサー、イザベラ、ミハエル、ロキ、ヘイムダルが倉庫に来ていた。金額も膨れ上がり500億ドラの取引となったので、自分の目で確認しておきたいというのである。
倉庫に来ると、そこに小豆は無かった。
アーサーが倉庫証券を見せたのだが、それはソーウェル家が先に引き取ったというのである。
「どういうことだ?」
アーサーが職員に問う。
「どういうことだと申されましても、ソーウェル家が正式な倉庫証券をお持ちしたので、そちらにお渡ししたまでのこと」
職員も困り果てる。
何故なら、対応している職員は証券の偽造をしらないので、事情が分からないのだ。
「ヘイムダル、間違いなくこの証券はお前のサインだよな」
「そうだな。しかし、俺に責任はないぞ」
ヘイムダルはにやにやしながらアーサーを見た。
してやったりというところである。が、その直後奈落の底に突き落とされることになった。
ロキが口を開く。
「うちもパーカー準男爵家から倉庫証券を受け取ったのだが、そこには500トンとあったが、実際には250トンしかなかった。これは倉庫の出庫記録で確認してもらってもよい。パーカー卿、俺も騙したのか?」
「へ?」
ヘイムダルは間抜けな声を出した。
倉庫証券を偽造する際、入庫記録も500トンとしておいた。そして、そのままソーウェル家にも500トンの倉庫証券を発行したのである。だが、実際の入庫は250トン。
これに対し、ロキも騙されたと主張したのである。思ってもみない方向から撃たれたヘイムダルはパニックになった。が、全部あんたの仕組んだことじゃないかというのだけは、口から出すのをこらえた。
「しかし、こうして倉庫証券もありますし、入庫を確認した職員を呼んでいただければ」
「ああ、そう言えば殺人があったそうだ。ひょっとして、口封じに卿が指示したのではないか?」
「そんなことは」
否定するヘイムダル。
勿論、口封じの指示をしたのはロキである。
イザベラはロキに呆れた。
「随分と用意周到ね」
ヘイムダルは自分に向けられた言葉と勘違いする。
ロキもそうだと思っていた。
「まったくだ。これは徹底的に調べさせてもらおう。なにせうちの領地で起こったことだ」
その言葉にヘイムダルは青くなる。ソーウェル辺境伯に裏切られたことはわかった。そして、これまでの犯罪を全て自分だけの責任とするつもりだとも。そして、自分の領地での捜査など、都合の悪いものは出てこない。
泣きそうになっていた。
ロキはヘイムダルは終わったと確信し、次はアーチボルト家だと矛先を変える。
「で、そちらは受け渡し日に現物を用意できなかったようだが。どうする?」
その言葉にイザベラは不敵に笑った。
「鉄道のダイヤっていうのは正確なのよね。今から駅に行きましょうか。そうすれば帝国からの列車が到着する時刻よ」
「鉄道で輸送したというのか?しかし、帝国が小豆を輸出したという話は聞いてないぞ」
ロキの元にはフロベール商会から報告はなかった。つまり、イザベラが帝国で小豆を買い集めたということは無いのだ。そして、帝国の小豆は収穫時期が10月であり、今年の収穫分が今カスケード王国に輸出されるはずはない。
他の周辺国でも、小豆を大量に輸出しているとは聞いていない。
どんな悪あがきかと首をひねる。
ただ、駅に行けばわかると思い、一緒に駅に向かった。
駅に着くと、丁度そこに帝国から来た列車が入ってくる。
その列車から降りてきたのは、イザベラそっくりの女性であった。当然ロキも面識がある。
「叔母様」
「第二夫人!!」
「約束通り来たわよ。さあ、コンテナを確認して」
走ってくるセシリーを護衛が慌てて追うのが見えた。
護衛なんて必要ないのにね、と苦笑するイザベラ。最盛期のスートナイツの生き残りであるセシリーに勝てる者など、この周辺には自分の父母しかいないのだ。
再会の挨拶もほどほどに、コンテナを見る一同。すると、そこには大量の小豆があった。
「天領で採れた今年の小豆よ。私の魔法で栽培期間を短くしたから、いっぱい収穫出来たわ」
それを聞いてロキはこのからくりを理解した。
天領とは皇帝の直轄地であり、そこまではフロベール商会も入り込めない。そして、それが売りに出されればその動きを把握できたのだが、収穫して直接持ち込まれたのでは、これまたフロベール商会ではその動きを把握できるはずもない。
イザベラはヘイムダルの裏切りを知ったうえで、対策を取っていたのだ。
「ここで500トンおろしてもらって、残りはうちの領地まで運んで。これを買ってくれる人たちに納品しないといけないから」
「これを売るのか?」
「そうよ。去年と同じ値段でね」
「馬鹿な。市場価格で売れば莫大な利益になるというのに」
ロキは目の前の女が本当の馬鹿だと思った。みすみす利益を捨てるなど、ロキには理解できなかったのである。
だが、イザベラは笑った。
「彼ら、製菓の同業者から利益は取らないわ。正々堂々勝負するのよ。それに、利益は他のところで得られるし」
「他のところ?」
「ええ。どこかの誰かさんが製菓会社の株を大量に空売りしていたでしょ。それをこちらで買ったのよ。それで、小豆が安く仕入れられるという情報が出回ったどうなると思う?下がっていた株価は上がるわよ。あ、株式市場も取引終了時間だわ。明日買い戻せるといいわね」
ロキはここで自分の空売りが狙われていたことを悟った。そして、敢えて取引時間が終了するまで、自分を連れまわしたのだとも悟る。
「くっ。小豆はうちのものに確認させる。そうだ、ヘイムダル!貴様は未納の250トンを直ぐにもってこい。遅れるほど利子がつくからな!」
ロキはヘイムダルに八つ当たりして帰っていった。
それを聞いたヘイムダルは、さらに青くなった。




