142 乾坤一擲
ヤコブは家に帰ってくるなりクレアに笑って言った。
「王都ででかい仕事があるらしい。俺の腕を買われたってことだな」
ヤコブは大工である。遊び人ではあるが腕は確か。真面目に働けばそれなりに仕事はある。そんな腕を見込んでか、王都での仕事の話が舞い込んできたというのだ。
ヤコブが聞いた話では、現在王都は相次ぐ戦争での勝利で好景気に沸いており、大工の仕事も沢山あった。なので、腕の良い大工は引く手あまたであり、王都以外からも大工を呼び寄せようということになっているのだという。
「あんまり長くなると、月末の返済に間に合わないよ」
浮かれるヤコブを見て、クレアは毎月月末の借金返済の期限を心配した。一度でも遅れればヤコブは鉱山送りとなる。そんな心配顔のクレアにヤコブは懐から金を取り出した。
「前金でもらった分がある。これでしばらくは暮らせるし、借金もここから返せばいい」
「前金とは豪儀だねえ」
「それだけ俺の腕を買ってくれているってことよ」
「何か裏があるんじゃないかい?」
「そんなもんあるかい。こっちは逆さにして振ったって金はねえんだ」
ヤコブはそういうと、心配そうなクレアをよそに、王都への旅支度をした。そして翌日旅立っていく。
クレアはどうしてもヤコブのことが心配だった。スティーブと出会っていなければ気にもしなかっただろうが、今やこの国の子供でも知っているような伝説的存在の貴族とそっくりな夫。
腕はいいかもしれないが、王都に呼ぶくらいなら王都で腕の良い大工を雇うだろうとしか思えなかった。
結局、心配が頭から離れないクレアは、兵士にスティーブと連絡を取って欲しいとお願いをするのであった。
ただ、兵士もスティーブと簡単に連絡が取れるわけもなく、それを上司に報告して、上司がマッキントッシュ侯爵に報告するという形になった。
その間にもヤコブは王都に到着し、ルモワーニュに迎えられる。
ルモワーニュはヤコブが到着するなり、高級な妓楼へと彼を連れて行った。
「さあさあ、どんどん飲んでおくれ」
「金はねえんですけど」
「私のおごりだよ」
「随分と太っ腹な依頼主さんだ」
元々遊び人のヤコブは目の前に酒を出されたら拒否が出来ない。ましてやお酌してくれるのは美女だ。お酌されるがままに酒を飲んで、ついには酔いつぶれて寝てしまった。
それを見たルモワーニュと遊女はにやりと笑う。
「ご苦労だったな」
「いつもご贔屓にしていただいているルモワーニュ様の頼みですから」
「さて、仕上げだな」
ヤコブがそう言うと、遊女は店のものを呼んだ。若い男が高級な服を持って部屋に入ってくる。そして、三人でヤコブにその服を着せた。
そして、もう少し時間が経ってからヤコブを起こす。
酒が入って気怠そうなヤコブに対して、ルモワーニュは怒った顔になっていた。
「大変なことをしてくれたな」
「何がですか?」
「覚えていないのか?高価な服を持ってこいというから持って来てみれば、それを着て自分がアーチボルト閣下だとか言ったじゃないか。あげく、酒を持ってきた店の者にまでそう言ったものだから、大問題になっているぞ。貴族の身分を偽ったんだよ。これでばれれば死罪だな」
「俺がそんなことをしましたか?」
「ああ」
そう言ってルモワーニュはヤコブに着ている服を見るように指示した。ヤコブは自分が確かに高級な服を着ているなとわかる。そして、アーチボルトだと名乗ったのだと理解した。
まあ、ルモワーニュの作り話なのだが。
「あの、俺どうしたらいいでしょうか」
ヤコブは酔いが一気にさめ、ルモワーニュへとすがりついた。
そんなヤコブを見て、ルモワーニュはほほ笑む。
「ばらされたくなかったら俺の言うことをきくんだぞ」
「わかりました。なんでもします」
ヤコブは頷くしかなかった。
こうしてルモワーニュはヤコブを駒として手に入れた。
それからである。王都でルモワーニュ商会に常にスティーブの姿があるという噂になったのは。そして、そのルモワーニュ商会に各地から綿花のサンプルが届くようになった。それを知った商人たちは、ルモワーニュ商会がアーチボルト閣下と組んで、綿花を使った新商売を始めるのではないかという噂でもちきりになった。
当然綿花の先物価格も上昇する。
現物はそうでもなく、先物だけが期待を先取りして上昇したのだった。
当然その動きはオーロラも察知しており、スティーブに連絡をする。
そしていつものように、オーロラとスティーブは密会していた。
「綿花の先物に動きがあったようですね。あ、これ頼まれていたリベットです」
スティーブはオーロラにジーパン用のリベットを手渡した。オーロラも自分でジーパンを仕立てるつもりであり、リベットをスティーブに頼んだのであった。コットン生地については自分で調達している。
「悪いわね。このリベットを自分のところで作ろうとすると、精度を出すのが大変だといって断られるのよ」
「僕としては簡単に真似られなくてよかったと喜ぶべきところでしょうね。さて、それでやはりルモワーニュ商会が価格を動かしているのですか?」
「そうよ。だけど、それがかなりきわどいやり方なの」
「どんなものですか?」
「貴方はルモワーニュ商会の会頭と面識はある?」
「いいえ」
「やっぱりね。そうだとは思っていたけど。でも、王都ではルモワーニュ商会の会頭のジェシー・ルモワーニュと一緒にアーチボルト閣下がいるのを見たっていう話が出回っているのよ」
スティーブはオーロラからの話で、自分の名前が使われて相場が動かされているのを知った。
「それは別人か幻覚ですね」
「どちらにしても、貴族の身分を偽れば死罪よ。随分と思い切った策に出たわね」
「破産すれば死となれば、法律は無意味ですよ。どのみち死ぬなら犯罪してでも助かる可能性に賭けますから。それで、情報の対価ですが」
スティーブはオーロラを見る。
「貴方のそっくりさんの正体を調べて欲しいの。それで、公表する前に教えてくれたら嬉しいわ」
「売るタイミングとしては最高ですね。しかし、それでルモワーニュ商会の資産をごっそりいただけるのですか?」
「ええ。綿花の価格を上げるために、最後の力を振り絞って買っているんだもの。少し含み損が減ったから、証拠金に余裕が出来たっていうだけではないわね。手をつけちゃまずいお金に手をつけた感じよ」
この時ルモワーニュはオーロラの読み通り、アレックス殿下に支払うべき上納金に手を付けていた。さらには、他の仕入れのための資金、それに悪い筋からの借り入れた資金も綿花相場につぎ込んでいた。
そのおかげでかなり含み損は減っていたのである。
オーロラはそれを知っているわけではないが、元々のルモワーニュの資産から判断して、限界を超えたなというのはわかったので、そうなると、使えるのはまともな資金ではないだろうという読みだったのである。
とどめを刺すには十分な環境が整ったので、最後の仕上げというわけだ。
そして、スティーブの偽物を用意したのがばれてしまえば、ルモワーニュが支えている綿花相場も終わりというわけである。
「なんの恨みもありませんが、義兄のポジションをドテンして、損失を埋めるにはちょうどいいですね」
「ルモワーニュの外見の特徴は白髪頭で頬に刃物で斬られて傷があるってことくらいかしら。若い時に盗賊に襲われた時の傷らしいわ」
「傷が特徴ですか。情報ありがとうございます」
スティーブもパーカー準男爵の含み損が減ってきていたので、ここでうまくドテンすればプラスで終われるという見通しがたった。
そんな風に二人がルモワーニュを料理する算段をしている時、アレックスも同じことをカッター伯爵としていた。
「カッター卿、御用商人のルモワーニュがこともあろうか、アーチボルト卿の偽物を用意して綿花相場を操縦していたぞ」
「まことでございますか。最近ルモワーニュがアーチボルト閣下と一緒にいるという噂がそこかしこから流れてきましたが、それが偽物だったと」
カッター伯爵も疑問を感じていたのだが、スティーブに近づかない方がいいだろうということで、あえて真相を調べるようなことはしていなかった。
「そういうことだ。ルモワーニュももう終わりだな。切るぞ」
アレックスは特に感情もなくカッター伯爵に指示した。
「殿下、ルモワーニュの財産を切り取りますか?」
「あればな。調べた限りでは綿花相場で損失を抱えている状態だ。うまく売り抜けられればよいが、ダメなら何も残らん。いや、借金だけが残るな」
「それでは次の御用商人を探します」
「次はあまり野心のないやつがいいな」
「そうした者は御用商人になろうとはしませんが」
「それもそうか」
アレックスはルモワーニュ商会について興味がなく、その資産を奪うことは考えていなかった。今の彼からしてみれば、海の向こうから得られる利益を伸ばす方が課題であったのだ。面倒をみた見返りの上納金は、かつてであれば喉から手が出るほど欲しかったが、現在はそんな程度の金額には心が動かなかった。
「ああ、それから派閥の者たちには、綿花相場には手を出すなと伝えておけ」
「承知いたしました」
アレックスはカッター伯爵に指示を出すと、それ以上はルモワーニュのことを話題に出さなかった。
カッター伯爵はそんなアレックス殿下を惜しいなと思っていた。
(自分は綿花の先物に売りをいれさせてもらいますよ、殿下)
と心の中でつぶやいたのだった。
かくして、ルモワーニュはアレックス殿下という大きな後ろ盾を失ったのである。
スティーブはオーロラからの情報を元に、ルモワーニュ商会を調べてみようと思っていた。工場の仕事を片付けたら王都に行こうと思っていた時、マッキントッシュ侯爵からの書簡が届いた。
それに目を通す。
隣でバーニーと一緒に工場の売上を計算していたクリスティーナも、実家からの書簡が気になった。
「お父様からなんと?」
「どうやら僕そっくりのヤコブが王都に向かったと、妻のクレアから申し出があったみたい」
「それって、ルモワーニュ商会にスティーブ様が出入りしている噂の時期と重なりますか?」
「そうみたい」
クレアの申し出があったとされる日と、噂が出始めた時期を考えると、どうもルモワーニュ商会に出入りしているのはヤコブの可能性が高いと思えた。実際にその通りであるし。
「さて、これがヤコブだとすると死罪だよなあ」
「何をしているのだか」
クリスティーナは呆れた。スティーブが更生させようとしていたのに、鉱山送りどころか刑場送りとなりそうなのだ。
クレアとももう二度と会うことは無いだろうが、彼女が抱いていた赤子の父親がいなくなるかと思うと胸が痛かった。
「どうなんだろうね。一応本人は腕を買われて王都で大工の仕事があるからっていう理由だとなっているけど」
「妻には本当のことを言えなかったのではないでしょうか」
「その辺も確認したいし、消される前に身柄を確保したいね。ルモワーニュ商会に出入りしているのがヤコブ本人ならば」
「死んでいたとしても、事情を確認するくらいは出来るのではないですか」
「死体が見つかればね。でも、生きていてもらいたいと思うよ。彼の子供のためにも」
スティーブの死霊魔法は死体があれば、会話ができる程度までは魂を呼び戻せるのだが、魂の器としての死体が見つからなければそれが出来ない。それに、スティーブは出来れば死んでしてほしくないと思っていた。クリスティーナと同様に子供のことが気がかりだったのである。
「それでは早めに王都に行かれた方がよろしいでしょう」
クリスティーナは計算する手を止めて、スティーブの方を見た。
「仕事がね」
スティーブは仕事が終わっていないので、それを片付けたら王都に行くつもりだった。
そして、目の前は書類の山である。
「こちらでやっておきますよ」
「悪いね。ありがとう」
スティーブは仕事をクリスティーナにお願いして、すぐに王都に転移することにした。
この時、綿花相場で利益を出そうとかいう気持ちは無く、純粋にヤコブのことを心配していたのである。
いつも誤字報告ありがとうございます。




