111 宗教裁判 地裁
スティーブは教会に到着すると騎士とは別の者に案内される。連れていかれたのは裁判所の法廷のような場所であった。宗教裁判をするために作られているので当然似ている。
そこの傍聴席には昨日王立研究所にいた者たちがいた。カーター殿下や所長にシリル、それにマシューズ子爵などの貴族である。スティーブは被告人のお立ち台に立たされて、バールケ司教の登場を待つことになった。
スティーブ以外の者たちも、参考人ということでこの場に集められているのである。
シリルがスティーブに声をかけようとしたが、教会の職員によってそれが止められた。場内では自由にしゃべることが禁止されているのである。
少し時間がたってバールケ司教が登場した。彼が裁判官を務めることになる。
「それでは異端としてアーチボルト卿が告発された件について、これより裁判を始める」
バールケ司教がそう宣言した。
「被告人スティーブ・ティーエス・アーチボルトはあまねく生物は神がおつくりになったということを否定する進化論を公然で論じた罪に問われておる。間違いないか?」
司教がスティーブに訊ねた。
「公然とは異なことを。王立研究所では講演をしたが、それは国家の秘密にあたること。公然とは言えないでしょう。そして、むしろそうした国家の秘密を口外した者こそ問題だと思いますが」
「それは間違いである。すでに調べはついておるが、昨日の王立研究所へのカーター殿下の訪問は公務となっている。であれば、公然であるのは間違いない。また、国家の秘密を口外したのは神への冒涜を憂うカーター殿下の関係者である」
バールケ司祭の暴露にマシューズ子爵は内心ほくそえんだ。全ては予定通りである。
しかし、次の宣言を聞いてその笑みは消え去った。
「というわけで、被告人スティーブ・ティーエス・アーチボルトは聖国に移送し、正式な宗教裁判とする」
その宣言に場がざわつく。
正式な宗教裁判とは100%の有罪が確定している。なおかつ、被告人の所属する国では権力の行使の可能性があるため、確実に処刑するのも目的に聖国で裁判を行うのだ。
ここで、マシューズ子爵の目論見は外れた。スティーブとカーター殿下陣営を争わせるはずが、そのスティーブが消えてしまうことになったのである。
また、シリルをはじめとする王立研究所のメンバーも動揺が隠せなかった。スティーブによって与えられてきた恩恵が大きく、いまだ研究途上でスティーブの意見を聞きたいものもあった。そのスティーブが宗教裁判で処刑されるとなると損失は大きい。シリルはそれとは別に、親しい間柄となっているというのもあったが。
カーター殿下にしても、寝耳に水の事態であり、巻き込まれてしまったことでどう対処すべきかわからずにいた。
「カーター殿下には参考人として出廷していただきますので、今から被告と一緒に聖国までご足労を願います」
バールケ司祭はそういって、カーター殿下に有無を言わせず聖国行きを承諾させた。
カーター殿下も思考が追い付かず、それをすぐに認めてしまった。
ただひとり落ち着いていたのは、当のスティーブであった。
これがなんの事前の予兆も無ければ驚いたことだろうが、スティーブの頭にあったのは聖女であるユリアのことであった。天啓というのが本当に神の啓示であるかどうかは別として、魔法が存在する世界で魔法だというのだから、何の根拠も無しにスティーブのところに麻薬を持ってくることは無いだろうというものであった。
それだけ魔法に対しての信頼があったのである。
であるのならば、聖国に行ってみようと思ったのだった。
もし、聖女との出会いが無ければ、ここを力づくで突破していたことであろう。
スティーブが暴れなかったことで、聖国への移動はすんなりと決まる。フライス聖教会が用意した馬車に二人が乗せられて、まずは駅へと向かった。これで行けるところまで行って、そこからは馬車での移動となる。
衣服に関しては後から送るようにお付きの者に教会から説明があった。関係者が逃亡しないための措置ということで、反論を許さないのは実に教会らしいやり方であった。
出席者が退廷すると、マシューズ子爵は直ぐにバールケ司教のところに行く。
予定と違うことへの抗議のためだ。
「バールケ司教、あの決定はどうしたことであるか」
「本国の決定ですよ、子爵。私にもわかりませんが、本国の教皇様より、スティーブ・ティーエス・アーチボルトを本国に移送せよ。罪状はなんでも構わない、という指示が来たのです。そこで、子爵がタイミング良く用意してくれた罪状を使わせてもらっただけのこと。なに、子爵には普段からよくしていただいているので、少しは協力をいたしましょう。カーター殿下をしばらく本国にくぎ付けにいたします。その間にアーチボルトを売ったとか噂を流せば、本人が火消しに回ることが出来ないので、大きく炎上するのではないでしょうか?」
バールケ司教はマシューズ子爵への利益供与を忘れない。カーター殿下を聖国から出国させずにおくので、その間に工作をしろというのだ。
「それもそうか」
と子爵も納得した。
スティーブが裁判が終わったのと同時刻、アーチボルト家のタウンハウスには招かざる客が来ていた。元々警護の人員など用意していないアーチボルト家であるので、簡単に侵入を許してしまう。
ただし、どうして警護の人員がいないかといえば、圧倒的な戦力を保有しているからである。普段はスティーブがいるが、いなかったとしてもナンシーがいる。
出産が終わって体を動かせるようになってからというもの、ダフニー同様にスティーブからエース・オブ・ソードの動きを指導されていた。なので、ダフニーと同等の技術をもつまでになっていた。
国内の単騎の戦力としてはスティーブがいて、その次なのである。
スティーブが帰ってくるまではイザベラを寝かせておこうと思い、ベビーベッドに寝かせて自分はその隣で椅子に座って寝顔をみていたが、突然の侵入者に母親の顔からスートナイツの顔に変わる。
「三人か」
室内に響く跫音は無いが、ナンシーはその気配から敵の人数を把握した。
その気配が迷うことなく自分の方に向かってきた。
これは強盗のたぐいではなく、間違いなくこの家の主要人物を狙った動きである。まっすぐに子供部屋を狙うのは、金銭を求めたものではなかった。
ナンシーは部屋にある自分の剣を抜いた。室内で使いやすいようにと、スティーブが短めで作ったものである。外で使うための長い剣もあるが、室内では使い道がなかった。
それと、左手の薬指にはめた指輪を見る。
これは帝国から贈られた精神系の魔法を無効化するマジックアイテムである。スティーブには不要なものであったので、ナンシーが貰っていたのだった。これがあれば、万が一侵入者が精神を操る魔法を使ったとしても、無効化出来て操られることは無い。
準備が整ったところで、ナンシーは廊下に出て迎撃すべきか、室内で待ち構えるべきかを考える。侵入者三人は廊下から迫ってくるが、万が一気配を消したものがいた場合、室内のイザベラが人質に取られる可能性がある。なので、室内で待ち構えることにした。
すぐに侵入者は子供部屋にたどり着き、ドアを開けて勢いよく室内になだれ込んできた。
「ふんっ!」
ナンシーは気合とともに剣を一閃する。そのひと振りで二人を同時に絶命させた。次の一撃で生き残った襲撃者のナイフを持つ右腕を斬り落とし、魅了の魔法を使う。
腕を斬り落としたのは万が一魔法が効かなかった時のための保険である。
襲撃者は無事に魅了の魔法にかかり、ナンシーの命令をきくようになった。
「誰の命令か?」
「教会です」
襲撃者は斬られた箇所を押さえて止血しながらそう答えた。
教会と聞いたナンシーは奥歯をかみしめる。
スティーブの呼び出しとタウンハウスへの襲撃が無関係であるはずがない。ナンシーは直ぐに使用人たちにマッキントッシュ侯爵家とソーウェル辺境伯家に今回の件を報告しに行くように命じた。そして、自分は次の襲撃に備えて再びイザベラの隣に座るのだった。
ナンシーが襲撃者を撃退したのと同時刻、王城は騒然としていた。国王は全ての予定をキャンセルして宰相と打ち合わせをする。
国王は疲れた顔で宰相に訊ねた。
「何かしたか?」
「何もしておりませんが、図らずも、私の提案した策の通りに進んでおりますな」
それを聞いた国王は深いため息をついた。
「カーターが参考人として教会に呼び出された時に嫌な予感はしたが、このような事態になってしまったか」
「本当に進化についての言説が問題なのか、はたまた麻薬のことでアーチボルト卿が教会を刺激したのかわかりませんが、無関係ですと言ったところではいそうですかと聞いてくれるでしょうか?」
「それは、アーチボルトか?それとも教会か?」
国王は額に手を当てた。
スティーブが罠にはめられたと勘違いすれば、自分たちの命はないだろう。逆に、教会が国王がスティーブと結託していると勘違いしても、どのような圧力がかかるかわかったものではない。
そして、どちらが生き残るかわからないので、どちらに肩入れするべきかを悩んでいた。
「どっちが勝つと思う?」
国王はまるで野球かサッカーの対戦チームのどちらが勝つかをきくような、軽い口調で宰相に訊ねた。
「組織力では教会でしょうが、アーチボルト閣下は単独で帝国のスートナイツを滅ぼしておりますから、命を賭けるというのであれば閣下に賭けます。それに、万が一教会が閣下の家族に手を出したとなれば、教会の周辺と聖国が更地になることでしょう」
「教会が早まったことをしないのを願うばかりか」
「はい」
この時まだ王城にアーチボルト家襲撃のことは伝わっていなかった。なので、願いもむなしく事態は悪い方に転がっているのを国王も宰相も知らなかった。
カーター殿下がスティーブと一緒に聖国に行くことになったことの対応すら考える余裕もなく、スティーブと教会の戦いの行方とその対応に頭を悩ませていたのである。
そこにアーチボルト家タウンハウス襲撃の知らせが舞い込んできた。ナンシーがマッキントッシュ侯爵家とソーウェル辺境伯家に伝えた情報が王城に届いたのである。襲撃者が教会の送り込んだ暗殺者だと自白して、なおかつその身柄を拘束しているというのである。
国王は疲れた顔で宰相を見た。
「教会抜きで遷都するか?」
「我らが無関係だと証明する手段を考えるのが先かと」
「まいったな」
国王は天を仰いで、神に助けを求めたのだった。
国王にタウンハウス襲撃の情報が伝わる少し前、クリスティーナはナンシーからの情報を得てどう動くべきか悩んでいた。
スティーブが教会に呼び出されたのにも驚いたが、それと同時にタウンハウスが襲撃されたことにも驚く。しかし、驚いているだけではなかった。この一連の流れを作り出した主犯が誰なのかを調査し、スティーブに伝えなければと思っていたのである。
そして主犯をどうやって調べようかというのと同時に、どうやって家族を守るべきかを考えていたのだ。
そして出た結論を持って、マッキントッシュ侯爵家のタウンハウスにいる兄に相談する。本日は侯爵は領地におり、次男のセオドアがタウンハウスの最高責任者であった。
「ナンシーからの緊急連絡がありましたように、我が家のタウンハウスは襲撃を受けました。窓を壊されて侵入されており、塞ぐのにも時間がかかりますから、アーチボルト家のタウンハウスは放棄して、ナンシーとその子供をここで保護してもらうことは可能でしょうか?セオドアお兄様」
「そうだね。アーチボルト閣下が戻られるまでは、ここにいるといい」
「ありがとうございます。すぐにナンシーに伝えてこちらに来てもらいましょう。使用人たちは指示のあるまでは自宅で待機させます」
そう決めて指示を出すクリスティーナを見て、セオドアはたくましくなった妹に感心したのであった。顔には昔の面影はあるが、その行動はすでに幼さは消えて、守られるだけの弱々しい妹ではなくなっていたのだ。
クリスティーナがナンシーの到着を待っている間に、スティーブが聖国に移送される話が飛び込んできた。
情報を持ってきた諜報員にセオドアと一緒に面会する。ベラも同席が許可され、同じ部屋にいた。
「アーチボルト閣下が聖国に移送されることになりました」
「それは本当ですか」
「今、駅に移動されているとのこと。蒸気機関車で行けるところまで行き、その先は馬車で聖国に移動するそうです。カーター殿下もご一緒です」
これを聞いてクリスティーナは即座に決断を下した。
「ベラ、すぐにスティーブ様を追いかけて駅に行きなさい。出発を待っているあいだに会えるかもしれません。会えたらタウンハウスが教会に襲撃されたことを伝えるように」
「承知いたしました、奥様」
ベラはマッキントッシュ侯爵家から馬を借りて、駅を目指した。
駅が見えてくると、丁度東部行きの蒸気機関車が走り出すところであり、馬を並走させる。そして、襲撃と家族が無事であることを伝えた。
ベラが駅に来る少し前のことである。スティーブは罪人として手首を縄で縛られ、蒸気機関車に乗せられた。スティーブの移送をするのはタウンハウスにやってきた騎士であり、カーター殿下も一緒にいた。カーター殿下の警護も三人一緒に蒸気機関車に乗ることになっている。
着替えなどの荷物は後から送られてくるということで、無理やりな移動スケジュールを課せられているのだ。それだけ教会がスティーブを早く聖国に移送したいということであったが。
相向かいで席に着いたところで、カーター殿下がスティーブに話しかける。なお、スティーブの隣には騎士が座っていた。
「まんまと嵌められたな、アーチボルト卿。誰に嵌められたかわかっているのか?」
「心当たりが多すぎて、犯人を絞り切れませんね。本当に殿下の関係者が告発されたのですか?」
「そんなはずはなかろう。私は敬虔な信者ではあるが、それで卿を告発するようなことはしない。敵が多いというのも困りものだな」
「人には親切にしてきたつもりなんですがねえ」
騎士はスティーブとカーター殿下のやり取りを黙って聞いていた。進化というものがどういうものなのかは聞かされておらず、それが神の教えに背くかどうかがわからなかったからである。
スティーブは騎士にききたいことがあり、殿下との話のあとで騎士に話しかけた。
「ところで、騎士殿」
「イートンとお呼びください」
「イートン、僕は宗教裁判というものがどういうものかわからないが、どうやって裁かれるのかな?」
「私も話に聞いただけですが、審判の水を飲み、罪人ならば死ぬということです」
「まるで魔女狩りだね」
「人に化けた悪魔や魔女を見つけ出すのと変わりませんからね」
スティーブはイートンの話から、宗教裁判で出された水を飲めば100%死ぬだろうと思った。水属性の魔法では、罪人だけを殺すような液体を作ることが出来ないからである。ラーメンのスープですら作れる魔法でも作れないなら、そんな魔法は存在しないのである。
若しくは、フライス聖教会が持つ神の秘薬の可能性もある。しかし、スティーブはそんな秘薬など無いと思っていた。それがあるなら、もっと広くそうした裁判が行われているはずだからである。教会であれば神の威光を示すために、喜んで使うはずなのに、そうしていないのは偽物だからである。
ただ、イートンはその存在を心から信じていた。
「今からでも閣下が神に祈りを捧げれば、助かるかもしれません」
「そうだねえ。助かったら神を信じてみようか」
と言ったところで蒸気機関車が動き出した。
ふと、スティーブが窓の外を見ると、馬に乗ったベラが並走している。そして、スティーブに気づいて近寄ってきた。
ベラの叫ぶ声が耳に入る。
「スティーブ、家が教会に襲われた。でも、みんな無事」
それを聞いてスティーブの顔つきが変わる。カーターはのちにこのことを述懐し、悪魔が降臨したかと思ったと述べた。
いつも誤字報告ありがとうございます。




