109 金鍍金
いつも誤字報告ありがとうございます。
スティーブはニックとシリルと一緒に工作棟にいた。工作棟は新たに作った工作機械を入れておく施設である。
そこにはスティーブの魔法で作り出した数々の工作機械が置かれていたのである。
スティーブは二人を前にして言う。
「じゃあ、まずは無電解ニッケル鍍金をやってみようか」
そういうと、ニックが不満そうな顔をした。
「若様、溶接機もプレス機もまだ動かしてないじゃないですか」
「まあそうなんだけどねえ。溶接機はみんなの目にダメージが行くからやめておこうか。ニックが最初に出したアーク溶接機で目をやられた時に、治癒魔法があったからいいけど、直接あの強い光を見ていたらそのうち目が見えなくなるよ」
白内障というものが知られてはいるが、溶接時の強い光がその原因となることまではあまり知られておらず、保護具なしで溶接してダメージを受けた目を、スティーブが魔法で治療したのだった。
今のところ溶接を必要とする製品を作っていないため、溶接機については工場では使っていなかった。
「じゃあ、プレス機は?」
「金型を作るのが難しいので使ってなかったね。決して忘れていたわけじゃないよ」
「どうだか。若様は戦争ばっかりで、工作機械のことを忘れていたんじゃないですかね」
ニックがジト目でスティーブを見る。これにはシリルも苦笑した。シリルもスティーブが忘れていたと思っているのである。
「若様がやるべきことは鍍金とやらではなく、プレス機にセットする金型を作ることじゃないでしょうか」
「はい…………」
ニックに強く言われてスティーブは頷くしかなかった。
ニックはにこにこしながらフライス盤の前に立つ。フライス盤は汎用のような手回しハンドルがついてはいるが、数値制御も出来るものであった。手でハンドルを回すことでベッドを移動させて加工ができるのだが、数値入力も可能で、その場合ベッドは自動で動くことになる。
そのフライス盤についているバイスでスティーブが作り出した鉄のブロックをクランプすると、エンドミルを回転させる。主軸がおりて、テーブルが動いて鉄を削り出すと、ニックは大喜びだった。
「旋盤とは違った楽しさがありますぜ」
「まあ、遊びじゃないんだけどね」
キリコが飛んで目に入る可能性があるので、保護具としてのメガネを用意してあるが、危険なことにはかわりない。スティーブの前世の工場では加工中にツールが落っこちて、マシニングセンターのドアを突き破って飛び出してきたことがあった。幸いにしてけが人はでなかったが、作業者に直撃していれば死んでいたような事故だ。
なので、あまり浮かれて作業をしてほしくはなかった。
「複雑な形状は加工できないけど、単純な金型ならこれでも作れるんじゃないかな」
複雑な形状は加工出来ないというのは、切削対象がX、Y、Zのどれかの方向にしか動かないということである。それに対して3軸ができるマシニングセンターなどは、斜めがいくつも重なった複雑な加工ができる。5軸ならさらに複雑な加工が可能となる。
ニックはエンドミルを交換してはテーパー加工や溝加工を試してみた。
スティーブは加工の終わったブロックを受け取って、その出来を見る。
「ツールマークが粗いよ」
「まあ、試しですからね。こっから丁寧な仕上げの条件を見つけていきますから。なにせ、世界初なんですよ」
ツールマークとは刃具が通った痕跡であり、加工速度や加工油によってその粗さが変わってくる。
ニックは興奮してテンションが高く、スティーブに対してもいつも以上にぞんざいな口調となっていた。スティーブもニックが喜んでいるのがわかるので、あえて指摘をするようなことはしない。
「じゃあ、これを金鍍金してみようか」
スティーブはそういうと、ステンレス製の容器を魔法で作って、その中にやはり魔法で作った炭化水素を入れた。そして、ニックが加工したブロックの脱脂を始める。シリルはそれを観察した。
「金鍍金というとアマルガム鍍金でしょうか?」
アマルガム鍍金とは水銀に金を溶かして鍍金対象に塗布し、水銀を蒸発させることで金が残るという鍍金である。地球でも古くから使われてきた鍍金の技術だ。
しかし、スティーブがやろうとしているのは無電解鍍金であった。電気を使うのが電気鍍金であり、還元反応を使うのが無電解鍍金である。その他蒸着鍍金というのもあるが、真空蒸着のためのクリーンルームがこの工作棟には作られていた。当然魔法であるが。
さて、今回はその鍍金の種類でも無電解を選んだのは単なるスティーブの趣味である。前世の工場にも無電解ニッケルの設備があった。当時は10万円程度で簡易の無電解ニッケル装置が購入出来たのである。
それを使って鍍金処理をした経験から、今回は無電解を選んだだけだった。
当然魔法で作り出した無電解の鍍金槽も前世のものと似たような小型のものだった。
「いや、無電解ニッケルの上に金鍍金をしてみようと思うんだ。これは還元反応っていう化学反応を使うから、その方が研究対象が増えるでしょ」
「これ以上増えても手が回りませんよ。包餡機もしばらくはお蔵入りでしょうね。溶接機は蒸気機関の開発に必要だから人があてがわれましたが、どこまで行っても人手不足ですから」
王立研究所は相変わらずの人手不足であった。地域の平和が確立されたことで、軍事予算が大幅に削られることとなったが、その分が王立研究所に回っており、その研究量はますます増えるばかりであった。
なお、軍は予算を削られたことで不満が高まっていた。スティーブの懸念通りに、狡兎が死んだことで猟犬が不要と判断されてしまったのだ。ルイス皇帝誕生に協力したということで、カスケード王国の軍にも謝礼金が支払われはしたが、それは一時的なものであって、しかも上層部が懐に入れてしまったため、一般の兵士たちは何ら恩恵もなく、人員削減という処置だけが押し付けられたのである。
ただ、その失業者が社会不安につながるかというとそうでもなく、領地の広がった貴族たちが治安維持のための警察的役割をする兵士を雇用しようという動きがあり、国軍所属の経歴が評価されて採用されるものが多かった。
不満は軍事予算からの恩恵を受けていた上層部と、人員が減って仕事が増えた兵士たちのものだったのである。
そんな軍の不満はさておき、スティーブは無電解ニッケル鍍金を始めた。槽の中で泡がで始め、しばらくすると鉄の色が銀に変わった。そこで鉄を引き上げて膜厚を魔法で測定する。
魔法が無い場合には膜厚計や蛍光X線分析器を使用するのだが、当然そんなものはない。また、形状次第ではマイクロメーターを使用しても膜厚は測定できるのだが、1/1000ミリを測定できるようなマイクロメーターもカスケード王国には存在しなかった。
鍍金をする設備もスティーブだけが作れるし、その出来栄え評価もスティーブだけしか出来ないのである。そのため、かなり付加価値は高いのだが、これをアーチボルト領の工場でやろうとしても、やはり作業者が出来栄えを評価出来ないので、量産ラインとして使うかは悩みどころであった。
「5ミクロンくらいか」
「ミクロンですか。やはり魔法でないと測定は出来ませんね」
「僕の他にも産業属性の魔法を使える人が出てくるといいですね」
「魔法の才能を見つける薬を全国民に使えば、可能性があるかもしれませんね」
「国家予算がパンクしますよ」
スティーブは笑いながら鍍金槽から取り出した鉄を、今度は金鍍金の槽に入れた。しばらくすると金色の鉄が出来上がる。
別のブロックを加工していたニックが手を止めてやってきた。
「若様、これを金として売れば大儲けじゃないですか」
「比重でばれるよ。見つかれば犯罪者だし、割に合わないね」
「それもそうか。あっ、じゃあ最初から金鍍金ってことで、鉄で作った指輪に金鍍金をしたものを売ればいいんじゃないですか」
「あ、それはいいかもね」
金の指輪が買えない層を相手に、金鍍金の指輪を売ろうというのである。指輪の素材自体はロストワックスで作って、それに金鍍金をすれば出来上がりというわけだ。
ただ、鉄に金鍍金をするためには下地処理が必要になるので、それなら最初から銅で作ってしまえばいいかとスティーブは考えた。
鍍金も塗装同様に、密着性を上げるためには下地処理が必要なのだ。それはたいてい銅やニッケルである。ならば、最初から銅の指輪を作っておけばいいというところに行きついた。
銅はスティーブが作りすぎたために、いまだに国内でだぶついており価格は安いままであった。しかも、別に仕入れずともスティーブが魔法で作り出せば無料である。なんならロストワックスもいらずに、指輪の形状で作り出せばよいのだ。ただ、硬さという問題があるが。その辺は複数の種類の銅を作って試せばいいかと思うスティーブであった。
途端に商売の道が開けた。
「よし、さっそく作ろうか」
「若様、プレス用の金型を作る話は?」
「指輪の方が売れそうじゃない?」
「そりゃそうなんですが……」
「売れたらボーナスが増えるよ」
「それも魅力なんですが、加工もしたいんですよ」
スティーブは指輪を売ることで頭がいっぱいになり、ニックのフライス盤を使った加工については後回しになっていた。フライス盤を使って金型を加工できると思っていたニックは肩透かしをくらった形である。
シリルもスティーブが指輪のことを優先しそうになるので、慌てて鍍金の仕組みについて聞き取りをする。鍍金の薬品の取り扱いの注意事項を聞いて、その廃棄方法などに悩むことになった。
前世のスティーブは、仕事を依頼していた鍍金工場が廃液を川に流出させてしまった事故に遭遇したことがある。川の魚が死んで浮いてしまい、大きなニュースとなったのだが、その工場は役所、保健所、消防、警察からかなりきつく絞られて、次にやったら操業停止という厳しい条件でやっと再稼働となったのだった。
スティーブの魔法では中和や薬品除去があるので、目の届く範囲であれば薬物を無害化できるが、これが魔法なしで鍍金の技術が確立した時には大きな問題となるだろうと予言しておいた。
なお、流石に鍍金装置については大きすぎるので、スティーブが王都に出向いて王立研究所に魔法で作ることになったのだ。
そして、金鍍金の指輪が完成すると、エマニュエルを呼んだ。アーチボルトラントにある屋敷にエマニュエル自らがやってきて、金鍍金の指輪の質を確認する。
立ち会うのはスティーブとクリスティーナ、それにシリルであった。クリスティーナが一緒に立ち会っているのは、スティーブがいない時に工場の経営者を代行するため、工場で作った製品については一緒に売値を決めるところに立ち会うことになったのだ。
サンプルとして用意したのは電気鍍金による金鍍金の指輪だった。
指輪を鑑定しているエマニュエルにスティーブが話しかけた。
「どうかな、エマニュエル。この指輪にいくらの値が付くと思う?」
「比重からして、金の含有量はごくわずかですよね」
「5/1000ミリ程度だからね。それでも金の輝きはある。もっと鍍金の膜厚を厚くすることも出来るけど、安く売るならこれくらいじゃないとね」
通常の金鍍金では膜厚を厚くすれば、金の使用量も増えるので原価があがる。しかし、スティーブの魔法で作り出した鍍金液には原価というものが無い。また、電気鍍金であれば当然電気の使用量で電気料金が変わってくるので、それも価格に跳ね返ってくるのだが、動力が電気鍍金といいながらも魔力を電気に変換しているので、原価は変わらないのだ。
膜厚が薄いのは、単に鍍金の時間を短くするためである。
「銀貨1枚で買い取りましょう」
「すると売値は倍くらいか」
「庶民が奮発して買うにはちょうどいいんじゃないでしょうかね」
銀貨1枚は都市部での一か月の生活費である。つまりは売値は二か月分の生活費ということになる。手の届く贅沢としては丁度よい価格であった。
指輪の素材をスティーブの魔法で作らずに、ロストワックスで作ったとしても、これならアーチボルト領も十分に商売になる。他が真似しようにも鍍金の設備がないので市場を独占することになる。そして、さらに高価な純金の指輪の市場とはかぶらない。
さらにエマニュエルは言う。
「ご夫人が、あまり格式の高くない会合にこれをつけて出席されれば、商品の宣伝にもなるでしょう。流石に国王主催の晩さん会などでは、金鍍金の指輪というわけにはいかないでしょうが、ちょっとしたお茶会などの普段使いとして使用されていれば、それを宣伝に使わせていただこうと思います」
その提案にクリスティーナがくいつく。
「私も妻として領地の経営に貢献できるなら、よろこんで」
こうしてカスケード王国と帝国では、クリスティーナが普段使いしている指輪ということで人気を博し、庶民が恋人に送るために買うようになったのである。
忘れがちですが、町工場で得た前世知識を使って活躍する小説です。作者が一番その設定を忘れて、敵と戦う描写ばかりになってますが。




