君を想う(3) 美羽、という少女
懐かしい話、と言われてもライスは訝しげにポポを見つめる。
そもそも、なぜ自分と話したがっているのだろう。正門で騒動を起こしてしまって目立ったのだろうが、話をする相手ぐらいはいるはずだ。
正直あまり足止めされたくはないが、自分の疑問に対しての返答を聞きたい――ライスはため息を漏らし頷いて見せた。
「……わかったよ。でも懐かしい話つっても、俺とお前ができる話なんてこの地下でのことしかねぇぞ」
「それでいいんです。美羽のことを知っているのは、貴方ぐらいしかいないですから」
そう言って顔を少し俯かせた。
なぜ自分が話し相手に選ばれたのか、それは美羽のことを話したかったからに違いない。
ライスはフン、と鼻で笑ってみせた。
「なんだそれ、嫌味か?」
「いいえ。……美羽はなかなか感情を表に出さない人でした。それでも貴方は、美羽との交流を図った。種族が違うのにも関わらず……」
顔を上げるとポポは真っ直ぐライスに顔を向けた。
「なぜですか? なぜ、貴方は美羽のことを忘れられないのですか?」
なぜ――理由など単純だ。
ライスは思わず頬を緩め、フッと笑う。
「……美羽を自由にしてやりたかったんだよ」
美羽は人外語を話せなかった。もちろん、ライスも人界語は話せない。
だがライスは、牢屋の中、無表情に座る美羽のことが気になって仕方がなかった。
笑った顔はどんな顔なんだろう――そんなことを思っていると、自然といつも美羽を追っていた。
当時、まだ幼かったライスだが、ヒトがどんな扱いをされているのかも知っていた。そんな中でも美羽は泣きもしなければ、怒ることもない。
親から見捨てられたと自覚していたライスにとっては、その状態が信じられなかった。
「どうやったら笑うか、どうやったら言葉が通じるか――当時はそんなことばっかり考えてたな。そんなことばかり考えてたら……いつも美羽を見てたよ」
作業場で、牢屋の中で――隣に美羽がいれば、じっとその横顔を見つめた。変わることのない表情。それでもライスにとっては幸せだった。
淡い気持ちは膨らむ一方で、言葉の壁は大きく立ち塞がる。
「……なのに、てめぇはあっさり美羽に話しかけやがった」
「それはまぁ……仕方ありませんね」
美羽はポポと話す中でも表情が和らぐことはなかった。
ライスも負けじと美羽に話しかけるが、やはり通じない。それでも美羽は一生懸命話を聞こうとしていた。嬉しかった。
「……一方的でも、俺は美羽と約束したんだ。絶対に自由にしてやるって。けど……美羽は目の前から消えた」
「……そうですか」
再び顔を俯かせるポポに対し、ライスは睨みを利かせる。
「おい、今度はてめぇが話せ。俺が知りてぇのはそこから先だ。お前、知ってるんだろ、美羽がどうなったかを」
耳が痛くなるような沈黙が流れた。
何か考えるように俯くポポを、ライスはひたすら待った。
「……知ってます。ですが、知り得たところで……貴方はどうするんですか?」
「別にどうもしねぇよ。ヒトが俺たちより短命なことは知ってる」
会いたい、と願っているわけではない。が、ほんの少しそんな願いがあったのも事実だ。
だが、今更その願いを叶えたいと思っているわけではない。
「……美羽は人界へ帰られたのか、幸せに暮らしたのか……俺はただ知りてぇだけだ」
ポポはゆっくりと顔を上げた。見定めるかのように、じっと見つめてくる。
「話すことによって……私は貴方に殺されるかもしれませんね」
「何……どういうことだ!」
「美羽は……私に殺されたも、同然ですから」
考えるよりも早く――ライスはポポの胸倉を掴んでいた。
力を込め、顔の目の前まで持ち上げる。
「説明しろ!」
机と椅子は倒れ、ポポの足は宙に浮いていた。
苦しさに顔を歪めつつも、ポポは腕を動かし、巻かれていた包帯に手をかけた。
「……っ!」
ひらひらと包帯が床へと落ちていく。
ずっと今まで隠されていたポポの顔が、ライスの目の前に現れた。
「瞳が……赤じゃない!?」
長寿人外は瞳が赤いことが特徴だった。それが、ポポの瞳は色素の薄い灰色。
予想だにしないことに、ライスは力を抜いた。
解放されたポポは床に四つん這いになり、激しく咳こんだ。
「お、お前……なんで……」
瞳が赤くない長寿人外などいない。
考えられることは一つ。だが、今日この日まで生きていることは、それさえも否定する。
意味がわからず言葉を失うライスを、ポポは息を整えつつ見上げた。
「……私は、人なんです。これを告白するのは……貴方が二人目です」
「二人目? ……じゃあ一人目は」
「……美羽ですよ」
ポポは立ち上がると、倒れていた椅子を元に戻し腰掛けた。
一方で、ライスはガリガリと頭を掻きつつ視線を彷徨わせている。無理もなかった。
ずっと長寿人外だと思っていたのだ。
ポポがヒトだとするならば、また別の疑問が沸き起こる。
――どうして今まで生きているのか。
――どうして長寿人外として生きているのか。
――どうやってキリング区画で生きてきたのか。
が何から追及すれば良いのかわからない。軽いパニック状態となっていた。
そんなライスを見上げ、ポポは真っ直ぐ見つめた。
「美羽が貴方の目の前から消えた頃、美羽の身に危険が迫っていました。私も、どうにかして美羽を救いたい――そこで、ある方法で脱出を試みました。ですが……結果を言えば美羽は人界へ帰ることはありませんでした。美羽は……私と生きる道を選んでくれたんです」
「え……お前と生きる?」
「貴方にとっては良い話ではないでしょうが……私たちはつがいとなりました」
胸に鈍痛が小さく響く。
だが、ポポがヒトだと分かった今――少し冷静に受け止めることができた。
美羽がポポに懐いたのも、自然な成り行きだったのかもしれない。
「そう、か……」
「……私も嬉しかった。ずっと……一人で生きてきましたから」
どうやって生きてきたのか――そんな疑問を口に出しそうになったが堪える。
今は話を聞く時だ。
「幸せな時でした。きっと美羽も……幸せに感じていた、そう思います。ですが、私の力不足故に……」
微笑んでいた顔が一変――涙を堪えるように目を閉じ、握られる拳は震えていた。
その姿になんとなく察したが、尋ねずにはおれなかった。
「……美羽は死んだのか」
「……はい。これから……幸せに暮らしていける……そう思っていたのに……!」
声が震えている。一体何があったのか。
ポポの言い方は、まるでつい最近あったかのような言い方だった。
「お前がヒトなら、どうやって今まで生きてきたんだ? ヒトは寿命が短いはずだろ?」
「……私は長寿人外たちによって、生き長らえてきたんです」
「長寿人外たちって……まさかデッドとヴァルか!?」
「えぇ……私は長寿人外と見えるように、敢えて目元を包帯で覆い、多くの人外たちの目を欺いているんですよ」
いつか聞いた、オーナーたちがヒトを匿っているという噂――あれは本当だったのだ。
そうなると、浮かんでいた疑問が全て解決する。
生き長らえさせるための道具をオーナーたちは持っており、生きるための食事や場所を与えていたのだ。
「じゃあ……最近まで美羽は生きていたのか……?」
「はい……ですが、もう……」
「なんで美羽は死んだんだ? 何があった? 殺したも同然って……お前は何をやったんだ?」
「それは――」
潤ませた瞳をライスへ向け、言葉を吐こうとしたとき――ドアのノックが響いた。
「……ポポ様、デッド様がおよびです」
二人の間に一瞬沈黙が流れた。
ポポは言葉を飲み込み、大きくため息を吐いた。
「時間切れです」
そう言うと落ちていた包帯を拾い上げ、目元を隠すように巻き始める。
「私は彼らの玩具なんです。彼らを喜ばせるために生きている、そう言っても過言ではありません」
「……どうにかならねぇのか」
「無理ですね。彼らからしつけを何度も受けて、私の頭と身体は服従するようになりました。……貴方も無茶をしないでください。……そもそもなぜホテルデッドへ?」
巻き終えたポポは立ち上がり、ライスを見上げる。
包帯をすれば長寿人外と言われてもわからない。
「ヴァルに俺の娘を連れていかれてな……その後を追ってきたんだ」
「お気の毒ですね……どんな子ですか?」
「……そうだな……丁度……」
美羽の顔とウミの顔が、重なって見えた。
きっと、美羽が笑った顔はウミの顔と同じだろう。眩しい笑顔だ。
思わず頬を緩ませる。
「美羽、に似てるんだ。……拾ったヒトの子を娘みたいに育ててな。もう一人、男のヒトも一緒に連れていかれて……」
「拾った……ヒト、の子、ですか……?」
「あぁ。ヴァルが本当の親について何か知っているらしいんだ……それを知ることができたら、あいつにとってはいいのかもしれねぇ。俺はウミが幸せに、できれば人界へ帰られればいいって思ってるんだけどな……。あ、ウミって言うのは娘の名前なんだ。良い名前だろ?」
ひひひっと笑うライスの前で、ポポは少し口を開けたまま考えを巡らせていた。
まさか――生きているのか、と。
「……ライス、その子は一体どこで――」
が――ポポの言葉を遮るようにノック音が響く。
「ポポ様! 大丈夫ですか!? 開けますよ!」
そんな声と同時にドアが勢いよく開かれた。
そこには武器を持ち鋭い視線を向ける有翼人外が二体立っている。
が、臆することなくポポは目の前に立ち塞ぎ見上げた。
「私が出るまで待てないのですか?」
「い、いえ……ただデッド様がお待ちですので……お早目に行かれた方がよろしいかと……」
背丈的にも有翼人外が優位に見えるが、やはり長寿人外にしか見えないポポは恐ろしいらしい。
一方で、後ろに立っていたライスに対しては、鋭い眼差しを向けてくる。
「貴様! いつまでポポ様の手を煩わせるつもりだ!? さっさと来い!」
「は? ……え、おい! 何すんだよ!」
有翼人外たちはライスの両脇を抱えると、無理やり部屋から出そうとする。
抵抗を試みるものの、力が強く叶わない。
「ライス……すいません、しばらく牢屋の中で待っていてください」
「はぁ!? てめぇ……どういうつもりだ!」
「……必ず戻ります」
そう言うと、ポポは部屋から出て行ってしまった。




