君を想う(2) 遠い遠い記憶
ライスにとってキリング区画は、あまり良い思い出がない町だった。
関所を通り抜け見えた町並みは、さほど変化はない。
ただアナザー区画と比べ、人外の外見が整っている者が多い。おそらく、長寿人外たちの考えが反映されている影響なのだろう。
「……くそっ、相変わらずか」
ふと周りを見渡せば、嫌にまとわりつく視線とひそひそと漏れる声が聞こえる。
その方を睨みつけてみても効果はない。フッと嘲笑われるだけだ。
――くだらねぇ。
ライスは忌々しく唾を吐き捨て、とある場所に向かって歩み始めた。
キリング区画とアナザー区画、なぜ分かれているのか。
それはキリング区画に住んでいる長寿人外が影響したと言われている。
世界を創り出した創造主は、人界にヒトを造り、人外界には長寿人外を造り出した――そんな逸話がある。
長寿人外がヒトに似せた姿に変態する理由は、その逸話が関係しているのかもしれない。
違う世界に生まれ落ちた、ヒト、という存在に、どこかしらで惹かれているのだろう。
そのためか、キリング区画は見た目――人外種にこだわる者が多い。
アナザー区画ではほとんど見られなかった、小人や半身人外、獣耳人外に有翼人外、手羽人外――などが大半を占めている。
種族同士でつがいとなり、種を残していく。
だがライスのように、今まで存在しなかった人外種が生まれることがある。
そのような者たちは、親からも疎まれ、キリング区画では生きていくことが厳しくなってしまう。
ライスもそんな人外の一体だった。
記憶に眠る道なりを思い出しながら進んで行く。視線や言葉に惑わされるほど、ライスは弱くはない。
堂々と歩いている内に――ホテルデッドの正門へとやってきた。
ホテルデッドの敷地は塀で囲まれており、また門の前には有翼人外が武器を持って警備している。
「……なんだお前は」
頭一つ高い背丈の有翼人外。鍛えられた身体の後ろから大きな白い翼が見える。
その手には湾曲した剣が煌めき、爪は鋭く伸び、口からは長い牙が出ていた。
「さっきここをヴァル様が通っただろ。一緒にいた奴らの知り合いだ、通せ」
「知り合い? だったら何だと言うんだ。お前のような奴がこの正門から入られるわけがないだろう」
「はぁ? じゃあどっから入ればいいんだよ」
「そんなものはない! 立ち去れ!」
鋭い刃先がライスの喉元に詰め寄る。負けじと睨み上げるものの意味はなく、舌打ちをしてその場から離れた。
離れた、と言ってもホテルデッドに入るためにはこの門をくぐるしかない。
が、あれではとても通れないだろう。
「……全部見た目で判断しやがって!! てめぇの方が気持ち悪りぃんだよ!」
むなしく叫んでも、周りからひそひそと声が漏れるだけ。
顔だけ振り見てみれば、当の有翼人外は何食わぬ顔で立っている。
「……どうすりゃいい。入れねぇと何もできねぇぞ」
ガリガリと頭を掻きながら人気のない細い路地へと入った。
ため息を大きく吐くと、こっそりと門の様子を伺ってみる。
様々な人外種たちがホテルデッドの中へと進んでいた。小人に半身人外に手羽人外――どの者も足止めされる様子もない。
やはりライスが半端者であるせいで、中へ入れなかったようだ。
「くそっ……無理やり突っ込むか? でも、それじゃ入った後が大変そうだ……考えろ考えろ……」
目を閉じて必死に考えているライスの元へ――聞き慣れない声が聞こえた。
「……ライスですか?」
ビクッとして目を開ければ、路地を塞ぐように人影が見えた。
が、逆光になっているためか顔がはっきりと見えない。
キリング区画で自分の名前を知っている者――急なことですぐに思い当たる者はいなかった。首を傾げ眉をひそめる。
「そうだけど……誰だ?」
「やっぱり……随分大きく成長したんですね。私はポポです。……覚えていませんか」
「……ポポ?」
ポポの名乗る者は一歩、ライスの近くへ歩み寄った。
白い肌、白髪、そして目元を覆う包帯――それを見た瞬間、古い記憶が蘇る。
「……あっ」
それはライスの遠い遠い記憶の中、忘れることのできない少女といた時間。
幼い頃、ライスは親からほぼ見捨てられた形でホテルデッドの地下に身を寄せていた。
優雅で華やかな地上とは違い、地下は薄暗くいつも悪臭が漂っている。
誰もやりたがらない仕事のほとんどが、地下での労働だった。そこで働く者は人界から迷い込んできた大量のヒトと、ライスのように見捨てられた半端者や人外で、厳しい監視下の中牢屋に入れられ奴隷の扱いをされていた。
そんなときに、ある一人の少女と出会った。――それが、美羽、と名乗る少女で、ライスのとても大切な者だった。
ライスがキリング区画に来たもう一つの理由――それは美羽のその後である。
突如、美羽がライスの目の前から姿を消してしまった。一体何があったのか、美羽はどうなったのか――ライスはどうしても知りたかった。
「ポポ……!」
ライスはキッと強く睨みつけると、ポポの胸倉を掴み壁へ押し当てた。
美羽がいなくなったと同時に、このポポも姿を消していたのだ。何か知っているに違いない、そうライスは考えた。
「あの時とほとんど変わってねぇな。さすが長寿人外だな」
「……」
「俺もずっと知りたかったことがある。……美羽、覚えてるか?」
「……もちろん」
手荒い扱いにも関わらず、ポポは暴れる様子もなくじっとライスに顔を向ける。
それでも構うことなくライスは言葉を続けた。
「あの時、突然姿を消したな。美羽も、お前も! 知ってるんじゃねぇのか? あの後、美羽はどうなった? ちゃんと人界へ帰ったのか?」
「貴方が美羽と何の関係があるんですか」
「はぁ!? 俺はな……美羽と約束したんだ……絶対自由にしてやるって……それなのに目の前から消えて……」
「約束? 美羽は人外語は話せなかったでしょう?」
「うるせぇ! 美羽がどうなったか知ってるのか知らねぇのか、それを聞いてんだよ!」
グッと力を込める。苦しいはずだが、ポポは足掻こうとはせずじっとライスを見るだけだった。
その姿に段々と――ライスも冷静さを取り戻し――フッと力を抜いた。
そして手で目元を覆い、軽く頭を振る。
「……すまん、やり過ぎた。こっちに来てから腹が立つことばかりだ……」
「いえ……構いません。殺してくれても良かったのですが……」
「は? お前何を言って――」
「とにかく。……私も誰かと話したかったんです。つい見覚えのある姿を見たものですから……少し話しましょう。ホテルデッドへ入りたいなら私が案内します」
「え……いいのか? でもどっから入るつもりだ?」
「裏、ですよ。……私たちにとっては、懐かしい場所、とでも言いましょうか」
ある程度予想できたその場所に、ライスは頷いて答えポポに先導される形で歩み始めた。
この『ポポ』と名乗る者は、ライスが地下で労働しているときに知り合った。
ライス、美羽、ポポと並んで牢屋に収監されていたためか馴染みがある。馴染み、と言っても、ポポはなぜか人界語を話せたため、美羽は自然とポポに懐いていた。
その様子を指をくわえて見ていたのを、ライスは今でも覚えている。自分が人界語を話せていたなら――と、いつも思う。
前を進むポポはそのまま細い路地を進んでいた。ライスは知らない道だったので、ただ黙って後ろを付いて歩く。
しばらく歩くと、ポポは歩みを止めた。
「……ここが入口です。見ての通り、ここは覗いても真っ暗で気味悪がって誰も入らない。実際入ったところで良いことにはならない……だから警備がいないんです」
「ここが……奴隷を入れる入口ってことか?」
「そうですね。大抵は気を失った状態で通るので、皆この場所を知らないようです。……大丈夫、私はどうなっているのか知っています。ついてきてください」
そう言うと躊躇いもなく暗闇を進んで行く。
ライスは一瞬ためらった。というのも、ポポをどこまで信用して良いかわからない。
入ってしまえば二度と外に出られないかもしれない。
だが――他に手がなかった。
ヴァルに連れられたウミたちが、ホテルデッドに入ったのは間違いないのだ。だとすれば、多少危険かもしれないがここを進むしかない。
グッと拳に力を込め、ライスはポポの背中を追った。
何も見えない道を進んで行くと、前がぼんやりと明るく見える。
長い廊下を出た先に見えたのは、薄暗い場所だった。有翼人外が数名おり、どれも鋭い眼差しでライスを睨みつけている。
鉄の柵で囲まれたこの部屋は、奥は暗い廊下が続き、そして手前には扉が見えた。もしかすると、この扉は上の階へ繋がっているのかもしれない。
ポポは臆することなく有翼人外たちへと歩み寄る。
「小部屋は空いていますか?」
「はっ……使用できる状態ではありますが……」
少し頭を下げつつも、目線はチラチラとライスを見ている。
「では使わせてもらいます。……気にしないでください。何の問題もないですから」
そういうとポポは有翼人外の横を通り過ぎ、奥にあった木枠の扉を開け放った。
ライスも慌てて駆け寄り、その部屋へと滑り込んだ。
中は小さな机と椅子が一つしかない。壁には手錠がぶら下がっている。
「……何するつもりだ」
「あぁ……別に貴方を拘束しようなんて考えていませんよ。ただ、話している最中に邪魔をされたくなかったので、この部屋を使わせてもらうだけです。……座らせてもらいますよ」
どしっと身体の全てを預けるように腰を落とした。
ぐったりと身体の力が抜けたように、顔を俯かせている。
「……どうした? 体調でも悪いのか?」
本当はこんな所でのんびりしている暇はない。
一刻も早くウミたちと合流したい――が、目の前に座る旧友を放っていくわけにはいかなかった。何か、心の中で引っ掛かっている。
「……ずっと考えてたことがある。なんでお前は……人界語がしゃべられるんだ? 俺の知ってる長寿人外は、長生きしてるけどしゃべられねぇんだ。それに……なんでお前は今も目元に包帯してんだ? もうあれから百年以上経ってんだ。見えてないわけでもない。その包帯の下……もしかして何か隠してんのか?」
ライスの問いかけに、俯いていたポポの顔がゆっくりと上げられた。
そして少し微笑んで見せた。
「……少し、懐かしい話でもしましょうか」




