二人の試練(9) 揺れ動く絆
その日の夜――カグラと陸は民宿にいた。
「……まさか、ヴァル様が直々にいらっしゃるなんて……予想していませんでした」
カグラは用意された紅茶を一口飲むと、深いため息を漏らす。
「普通、我々のような部下が出向くものですが……主様はよほどヒトを欲されているのでしょうねぇ」
「どうするつもりだ。リクを本当に引き渡すのか?」
「……えぇ。主様が望まれているならば仕方ないでしょう。もう少しリクとの生活を楽しみたかったですが……潮時ですねぇ」
カグラの隣には、陸が無表情に視線を落とし会話を聞いている。
今日何が起こったのか――詳しいことはウミから聞いていた。
「……俺は、どうなる?」
陸の声が聞こえたかと思うと、顔を上げ真っ直ぐカグラを見つめている。
怯えている様子も怒っている様子もない。カグラには向けたことのない力強い眼差しだった。
カグラはにやりと笑って見せると、首を少し傾けた。
「さぁ私は知りません。全ては、我が主様が決めること。行くまでに一週間ありますから、その間ゆっくり過ごしなさい」
「……」
「ただ、人界とを繋ぐ穴、は主様が所有するホテルデッドの敷地内にありますよ。……うまく行けば人界へ帰られるかも、しれませんねぇ」
嫌味ったらしく笑って見せると、再び紅茶に口を付けた。
陸は話の内容を理解しているのか、視線をゆるゆると落として行く。表情は暗い。
「おい、なんとかできねぇのかよ」
ライスはカグラを睨みつけながら、拳を強く握り締めた。
「短い間でも一緒にいたんだろ。少しは愛情が沸いたりしねぇのか」
「……私は主様のお役に立てるように動くだけですから。私の何かに対する愛情など、希望されていませんよ」
涼しい顔で紅茶を啜るカグラに対し、ライスは拳を震わせたが――大きくため息を吐いた。
「もういい……お前はやっぱりあいつらと同じ人外種なんだ。これ以上言っても無駄なんだろうな」
「えぇ。……君のそういう判断の良い所、私はとても気に入っていますよ」
「チッ! くだらねぇ」
「……それより、ウミさんはどうされるのですか?」
ライスの隣に座るウミがビクッと身体を震わせた。
先ほどから顔を俯かせ、一言も言葉を発していない。ライスも気付いていたが、声がかけられなかった。
じっと見つめるものの、それでもウミは顔を見ようとはしなかった。
『ずっとここにいろ。行くんじゃない』
――出かかった言葉をライスは苦々しく飲み込む。
そんな言葉、簡単に吐き出すことはできなかった。
「……ウミ、本当の親を知りたいんだろ」
ウミはゆっくりと顔を上げた。
一瞬、ライスの目を見たがすぐに逸らされた。申し訳なさそうに、黙ったまま視線を泳がせている。
「我慢しなくていい。そりゃ誰だって心当たりがあるって言われれば気になるさ。俺に遠慮することねぇんだよ」
「で、でも……!」
「心配すんな。俺もヴァルの言葉を全部信用してねぇからな。だから……今まで貯めてきた金を使って、俺も行こうと思う」
「えっ……」
ようやく目を合わせたウミの顔から力みが取れていく。
ライスはひひひっと笑って見せると、テーブルの隅にいた家畜たちに声をかけた。
「おい。今、金はどれぐらいある?」
「……ちょっと待つです」
「君、まだ家畜にお金の管理をまかせているのですか? やれやれ……」
呆れているカグラに苦笑いを見せていると――。
「……五十万グルぐらいです」
「……全然足りねぇな」
ガリガリと頭を掻きながら、ライスはちらっとカグラを見る。
何か言いたげな眼差しに、カグラは紅茶を飲む手を止めた。
「……何を考えているのですか」
「いや、その……」
「はっきり言いなさい」
小さく唸りながら、ライスはバンっと強くテーブルを両手で叩くと勢いよく頭を下げた。
「金を貸してくれ! どうしても行きてぇんだよ!」
「……そう言うだろうと思いましたよ。ま、あれだけの期間で百万グルなんて稼げるわけないでしょうしねぇ」
「頼むカグラ!」
しばらく冷めた目で眺めていたカグラだったが、突然にやりと笑って見せた。
「頭を上げなさいライス。足りない五十万グル、貸しましょう」
「ほ、ほんとか!」
「えぇ」
「でもタダで貸してもらうわけにはいかねぇ……。……そうだ、俺の翼をやるよ! 普段からあんまり役立ててねぇけど、こういう時に使えるなら失っても構わねぇ」
そう言って、意気揚々と腕を伸ばし自らの背中の翼に手をかけるライス。
が、それを見たウミが慌てて手を抑えた。
「な、何言ってんの!? 自分の身体を傷つけてまで、お金なんて借りなくていいよ!」
「いいんだよ。それぐらいの価値はある」
再び腕を動かそうとした時――隅にいた家畜たちが、慌てた様子でライスの腕や頭や背中に飛び乗って来た。
蔓を伸ばしライスの動きを止めようとしている。
「だめです! 僕らを売れです!」
「そうなのん! あちきたち、きっとそれぐらいの価値はあるわん!」
「……? ……!」
「……てめぇらが五十万グルの価値があるわけねぇよ! 俺の翼の方が高いに決まってんだろ!」
なぜか、喧嘩が始まってしまった。
巻きつく蔦を解こうとするライスに、これでもかと蔦を巻き始めるヤクちゃんリンちゃん。
背中に乗っていたツベちゃんは触手を伸ばし、ライスの腹をこしょこしょと刺激している。
呆然と見守っていたウミだが、ハッと意識を戻る。
「なっ何やってんのよ! 喧嘩はやめなさい!」
大声にも止める気配がなかったので、ウミも一緒になって蔦を取り始めた。
目の前で起こる戯れに、陸は目を丸くして眺め、カグラはしばらく眺めて後やれやれと頭を振った。
「……君たち、五十万グルの担保がそれだけで足りると思っているのでしょうかねぇ」
「……えっ」
一斉に全員がカグラを注視し、動きが止まった。
「じゃ、じゃあ……なんだったらいいんだよ」
「そうですねぇ。せっかくですから、この民宿ごといただきましょうかねぇ」
「えっ!?」
「もちろん君の家畜たちも込みですよ」
固まるライスたちをよそに、カグラはニッコリと微笑んで言葉を続ける。
「はっきり言って、ここに五十万グルの価値があるものはありません。ですが、この民宿営業を続ければそれぐらいは稼げる可能性はある……と言うことは、いっそ私がここを貰い受けて営業した方が、確実に五十万グル手に入る、ということですよ」
「……俺から何もかも奪う気か」
声色がいつもよりも低く、先ほどまで張り合っていた腕から力が抜けている。ショックだったらしい。
家畜たちも広げていた蔦を仕舞い込み、しょんぼりと俯いていた。
だが、カグラはククッと笑いを堪えている。
「……何を落ち込むのでしょうねぇ。つまり、君がいない間私がここを借りて商売する、ということですよ」
「……え?」
「本来今の営業をしていれば、百万グルは稼げていた――そう私は見積もったのですよ。その穴埋めをするだけですから、担保も何も必要ありません。ただまぁ、私も本業の換金所が忙しいですし、ここは僕のグルンにでもまかせましょう。……君たちは私の説明を聞かずに何を勘違いしているのでしょうねぇ。馬鹿ですか?」
ククッと笑うカグラを呆然と見つめ、ライスたちはお互いの顔を見合う。
つまり、カグラはタダで貸してくれる――それが理解できた瞬間、ライスとウミに笑顔が戻っていた。
家畜たちはその笑顔を見て、満足そうに頷いていた。
ライスはカグラの手を取ると強く握り締める。
「カグラ! ありがとう、本当にありがとう!」
「別に大したことではありませんよ。私ができることは、アナザー区画で珍品を集めること。それを主様が望まれていますからねぇ。ですが、何かをしてはならないとは、指示されませんでしたから。あくまでこの行為は私個人の行動であって、主様の考えに背くことではありません。ですから……問題ないのです」
言い訳するような早口に、思わずライスはニヤニヤと笑う。
「……カグラぁ、何だかんだ言って……リクのこと気になってんじゃねぇのか?」
その言葉にカグラは顔をしかめ、手を振り払った。
が、ライスはニヤニヤをやめない。
「リクのことが心配なんだろ? 俺に行かせて、リクも守らせようとしてんじゃねぇのか?」
「……別に。礼の一つも言わないヒトなんて、どうでも良いです」
礼、という言葉で思い出したのか、隣に座っていた陸がハッと顔を上げた。
が、カグラは拗ねているのか腕組みをし陸に対して背を向けている。
ライスに目を向けると、ニコッと微笑み頷いていた。――気にせず礼を言え、そんな声が聞こえた。
「……カグラ」
「……何でしょうねぇ」
ゆっくり振り返ったカグラの目線は冷たい。
だが、無視せずに振り返っている――そう思うと何だか可笑しく、後ろで見守っているライスたちは笑いを堪えていた。
「今日は……助かった。ありがとう」
じっと観察するように見つめる陸に、カグラもじっと陸を見つめる。
本当に真っ白な肌とそれに映える赤い瞳だな、と思いながら眺めていたが――なかなかカグラが視線を逸らさない。
黙ったままじーっと見つめてくる。近づいているのでは、と思うほどの圧迫感にとうとう陸は顔を逸らした。
――しかし、カグラは口元を抑えククッと笑いを堪え始めた。
「……目の輝き、髪の艶やかさ、弾力のある肌――やはりヒトは見た目が美しい。そして何より、あの無愛想で可愛げのなかったリクが、まさか、面と向かって礼を言う日が来るとは……! この、何とも言えない達成感は……癖になりそうですねぇ……!」
「……よ、良かったな。まぁ……一週間仲良くやれよ……」
「えぇ。君を見習って、檻から出そうと思いますよ。リクにはもっとしゃべっていただきたいですからねぇ」
それから、関所へ向かう前日に民宿に集まる約束をして、カグラと陸は帰って行った。
◇ ◇
真夜中の静まりかえる部屋の中――ウミはなかなか寝付けることができず、何度も寝がえりをうっていた。
身体は一日中維持した緊張感のせいで疲れきっている。が、混乱する頭の整理がつけず目が冴えていた。
ウミは耐えきれず起き上がると、暗いリビングへと向かった。
水を飲んで、気分を落ち着かせれば寝られるだろう――そう思って向かうと先客がいた。
逞しい馬の下半身と、鍛えられたヒトの上半身。背中には白い美しい翼。
何度見ても、綺麗で惚れ惚れとする身体だった。
「……ウミか。どうした? 寝れねぇのか?」
薄暗い中でも、優しい微笑みを向けているのだとわかる。
近寄ると優しく頭を撫でてくれる、ずっと今までと変わらない。
「ライス……私、ヴァルさんについていこうと思う。ずっと考えていたんだけど……ちゃんとライスに言いたくて」
「……そうか」
少し微笑んですぐに手が離れていく。
じっと見つめるウミの目から逃げるようだった。
「水、飲むだろ? 今カップに入れてやるからな」
背を向けられてもウミはライスを見続けた。
「……ライス。もし……私の本当の父さん母さんがいたら……」
「だったらいいなぁ。俺も会ってみてぇよ。あぁでも……今まで何やってたんだって文句いっちまいそうだなぁ」
はは、と乾いた笑いが聞こえた。
が、なかなか振り向こうとはしない。
「ライス、こっち向いてよ」
「待て、今、水注いでんだよ」
カップに水が注がれる涼しい音が響いた。
ゆっくりと静かに注がれている。
「……会う会わねぇは置いておいて……どうやって人界とを繋ぐ穴に向かうかが問題だなぁ。一週間の間にそれを考えないといけねぇなぁ」
「……ライス」
「まぁ、最後の手段で俺が暴れて注意を逸らすか。あ、でも、次に人界と繋がるのはいつだ? よく考えたら繋がってねぇと意味ねぇなぁ」
「ライス!」
ウミの大声にビクッとして、ようやくライスが振り返った。
「ばかっ! 声がでけぇよ」
「……私が知りたいのはそんなことじゃないよ。もし、本当の父さん母さんがいたら……私とライスは、親子の関係じゃなくなるよね?」
目を逸らさない力強い眼差し。暗闇のはずなのに、ライスの目にははっきりと見えた。
ウミの真っ直ぐな気持ちに、ライスは思わず目を背けた。
「……ほら、水を飲んで頭を冷やせ。身体疲れてるだろ、早く休めよ」
「話を逸らさないで。そうなったらライスは私を娘としてじゃなくて、ちゃんと女として見てくれる?」
きっと勇気を振り絞って出た言葉なのだろう。
華奢な手は緊張でわずかに震え、顔は少し怯えているように見えた。
ウミはいつからこんなに女を感じさせるようになったのだろう。
いつから自分は、あの少女とウミの姿を重ね見るようになったのだろう。
そして重ねる度、約束を守れなかった自分を戒め、この子だけは絶対に幸せにしてやろうと誓うのだ。
誓いを守るための盾だった『親子』という関係。それが今、崩れようとしている。
「ウミ。お前は俺が育てた娘だ。それ以上でも、以下でもない。……さぁ今日はもう寝ろ」
促すように背中へ手を回すと、がっくりとうなだれたまま歩き始める。
それ以上、ウミが口を開くことはなかった。黙り込んだまま部屋へと戻って行く。
失望させている――そんなこと、言われなくとも見れば分かった。
だが、簡単に盾を壊すわけにはいかないのだ。全てはウミのため――そうライスは信じている。
これでこの章は終わりですm(_ _)m
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
次章から、いよいよキリング区画へ向かいます。
書き終えた後、連続して投稿しようと思います。
それまでしばらくお待ちくださいm(_ _)m




