二人の試練(3) 嫌な噂と忍び寄る――手
陽が昇る前の町はしんと静まり返り、歩く二人の足音が短く響いている。
まだ薄暗さの残る町を見ても、出歩いている人外はほとんどおらず昼間とは打って変わった雰囲気だった。
ヤクちゃんの入るマグカップを腕に抱えて歩くウミと、その隣で町の様子を見る陸。
人外の姿が見えないせいなのだろう、珍しそうに忙しく頭を左右に振っている。
『……毎日、こんな人気がない時に買い物に出るのか?』
『うん。人外がいない方が安全だしね』
ライスに仕組まれたとはいえ、二人とも嫌々出掛けているわけでもなかった。
いつもヤクちゃんがいるとはいえ、人数は多い方が道中も楽しい。それに人外界のことを知ってもらえるチャンスでもある。
ウミはライスの真意こそ知らないが、やはり同じ人同士のためかライスとは違った安心感があった。
一方で陸は町全体に興味はあったし、何より得体のしれない者といるよりも、人間とわかっているウミといる方が良いのだ。
『で、何を買いに行くんだ?』
『えっとね、肉はまだ残ってるから、野菜とか調味料とか。あと雑貨かな』
『へぇ。色々売ってるんだな』
すると、前を見据えていたヤクちゃんがじっとウミを見上げる。
「……ウミ。僕にもわかるように話してくださいです。面白くないです」
「え、あ、ごめんね」
陸もじっとヤクちゃんを見下ろしていたが、すぐにウミに言葉を求め顔を上げた。
『……何て?』
『言葉がわからないから、わかるように話してほしいんだって。……そうだね。せっかくだし、少しずつ会話になれていこうか』
陸は少し間を開けたものの、頷いて答えた。
ウミはニッコリと微笑んで、ヤクちゃんを再び見下ろした。
「じゃあお店に着くまでの間、ちゃんとヤクちゃんにわかるように話をするから、ヤクちゃんもリクに言葉を教えてあげてね?」
「まかせろです。そんなの簡単です」
キャッチボールができない会話をしながら、行き慣れた路地を進んでいく。
ウミが買い出しに行くお店はいつも一緒だ。キリング区画へ続く大通りの、細い横道にある店である。
大通り沿いは、比較的大きな店が立ち並んでいる。人外たちの行き交いが多いこともあってか、それなりに値の張る商品が並ぶ。陽が昇る前であっても、何軒か開いている。
が、少しでも抑えたいウミはそれらの店で買わず、道を逸れた、めっきり人外どもがいない通りの店を選んでいた。
「あー……ヤクちゃん、良い、人外、だ」
「です! そうです! その通りです!」
「とても、助かる、頭良い、優秀、人外、だ」
「わかっているです! その通りです!」
とても心がこもっているようには聞こえない声色で、陸は言われるまま言い続けている。けしかけたのは、言うまでもないがヤクちゃんである。
棒読みではあるが、褒められる度に大きく頷いてウミの腕の中で若干暴れていた。
「……ヤクちゃん、それは言葉の勉強になってるかなぁ?」
「なっているです! 僕でもわかる文章で間違いないです」
「まぁ……一応、聞きとれる文章だけど……」
苦笑いを浮かべつつ、ほとんど暗闇に近いところを進むと――ようやくいつもの店へと到着した。
周りの店は扉を固く閉じ、店内には灯りも見えない。が、その店だけは違う。
窓からはぼんやりとランタンの淡い光が漏れていた。入口の扉の横には小さな看板も出ており、すでに開店していることがわかる。
「……ここ、か?」
唖然と陸はその店の外装を見ていた。とても物を売っているような建物には見えなかったのだ。
建ってから何十年も過ぎたような、腐りかけの木材の柱と曇って小さなひび割れのある窓。
コンビニやスーパーのような明るさは全くない。魔女が住んでいそうな古ぼけた建物だった。
店の前で立ち尽くす陸の横を通り過ぎ、ウミは慣れた様子で扉の取っ手に手をかける。
「そうだよ。ほら、入ろう」
ウミは自然と店の中に入っていく。陸は慌ててその背中を追うように店の中へと入った。
店内は薄暗かった。ランタンが天井からぶら下がり、広くない店内は台の上に商品が乱雑に並べられている。
陸が見ても何が何やらわからず、食べられるものなのか、使える物なのか、はたまたゴミなのか――全く見分けがつかなかった。
が、ウミは若干楽しそうに商品を眺めている。
「ヤクちゃん見てー! これ、新しい葉っぱだよ。どんな人外さんの品なのかなぁ?」
「……尖っているです。きっと、全身が棘まみれの植物系人外です」
ウミは針葉樹らしき葉を手に取り、珍しそうに眺めていた。
「何かに使うですか?」
「これは……そうだねぇ……。このまま食べるのには痛そうだから、すり潰すか細かく切り刻むか、あ、頭を掻くのにも使えそうだね」
はは、と笑いながら数本手に取るウミ。どうやら本気で何かに使うらしい。
陸から見れば葉っぱ――ましてや針葉樹の葉など使えるとは思えなかった。
しかし、ウミから見れば真新しい商品ばかりなのだろう。
『元の世界なら、もっと良い品があるのにな……』
思わず呟いてしまった言葉に、ピタッとウミの動きが止まる。
『もっと……良い品?』
『あ、いや……別に貶した意味じゃなく……』
慌てる陸に対し、ウミはニッコリと笑みを見せた。
『リクが住んでた世界のこと、教えてほしいな。どんな世界で、どんな物があって、どんなヒトたちがいるのか……すっごく興味あるんだ』
『あ、あぁ……』
嬉しそうな笑顔を向けられ、力んでいた陸の身体が脱力する。
ウミは上機嫌に、再びヤクちゃんとともに並んでいる商品を見始めた。
――……本当、今じゃ珍しいぐらいの素直な子だな。
そんなことを思っていると――店の奥から店主が姿を現した。
見た目、二足歩行をする兎だった。
薄暗い店内でもわかるほどの白い毛並みと薄茶色の皮のベスト。頭のてっぺんからは長い耳が垂れさがり、丸い赤い瞳を見開いて、足音も立てずにウミたちの傍に近寄って来る。
「やぁいらっしゃいウミちゃん。今日はお連れさんもいるんだねぇ」
「おはようございます。この方は、最近一緒に働いてくださっている方なんです」
見るからに怪しい陸の格好に、店主はまじまじと見つめた。
「へぇ……そうかい」
うさぎが立ってしゃべっている――驚きもそこそこに、陸は意を決して口を開いた。
「俺、リク、です。よろしく」
「あ、あぁ……リクさんね、どうも」
ちらっと見ただけで、店主はすぐにウミへと顔を向けた。
「そういえば、近頃また盗賊団が活発に動いているそうだよ。ウミちゃん、狙われたことあるんだろ? 気をつけないと」
「盗賊団ですか……」
ウミの顔がどんどんと暗くなっていく。
盗賊団と言えば――狐獣人と岩人外が盗賊団と名乗り、民宿にやって来たことがあった。ライスを避け、ウミをさらおうとしたのだ。
その時はヤクちゃんやリンちゃん、ツベちゃんの助けもあり、なんとかライスが帰って来るまで持ちこたえることができた。
半ば笑い話になりそうな過去の出来事であったが――『活動している』と聞けば否応なく不安が襲う。
「ウミ。大丈夫です。僕らもいますです。ライスもいるです」
「そ……そうよね」
じっと見上げているヤクちゃんに薄らと笑みを見せた。
それを確認し、ヤクちゃんは店主に顔を向けた。
「僕が盗賊団をやっつけるです。余計なお世話です」
「……植物系人外のくせに生意気だねぇ」
やれやれ、と言う風に耳を撫でてカウンターへと移動する。
「ま、会計しよう。とにかく気をつけて帰るんだよ」
「はい。ありがとうございます」
「リクさん、だっけ? ウミちゃんは雌なんだから、守ってやんなさいよ」
なんとなく――と会話の内容を予想し、陸は頷いて答えた。
結局、ウミはいくつかの商品を買って店を出た。店を出ると、来た時よりも空が明るい。
「……盗賊団、か。とにかく、気をつけて帰ろうね」
「です。それにいつもより空が明るいです。人外が多くならない内に民宿に戻るです」
「そうだね」
空が明るいと言っても、路地自体は光が届かないせいか薄暗い。
少し遠くに見える大通りの道が、ぼんやりと明るく見える。
そこを目指し歩き始めるが、歩くスピードが自然と早くなった。行くときはしゃべりながら歩いたが、今は会話もなく静かだった。
「……ウミ、大丈夫です。今は僕とリクがいるです」
「うん……。でも、あの話を聞くとなんだか気味が悪くて……」
ギュっとヤクちゃんのマグカップを腕に抱く。
どこから見られているような――そんな気配が漂っていた。行くときには感じなかった、異様な寒気が背中を撫でている。
それはヤクちゃんにも感じられるようで、じーっと周りの様子を伺っていた。
ただ一人、陸だけは真っ直ぐ前を見ていてウミの様子に首を傾げた。
『……どうした? 気分でも悪いのか?』
『違う。なんか……誰かから見られているみたいで……』
『え……?』
次の瞬間――周りの建物から一斉に、触手系人外たちが飛び出てウミたちの周りを取り囲んでしまった。




