二人の試練(1) 勉強会
陸が民宿の従業員として通い始めて数日。
見慣れない人外たちに、しばらく固まってみたり、目の前でぎこちなく動いたりと不自然な行動をとっていた。
それでもライスやウミの助言もあり、少しずつそんな行動もなくなっている。
◇ ◇
陸は毎日、朝一番にライスと一緒にやって来る。
ライスが水汲みの帰りなので、手に水瓶を持っていた。
『おはよう。これ、いつもの場所でいいか?』
すでに仮面と黒いマントを羽織っており、ヒトとは思えないような装いになっている。
『おはよう! うん、台所の横にお願い』
すぐ後ろからライスとリンちゃんも帰って来た。
今までならば、大きな水瓶を二つ抱えてヒィヒィ言っていたライスだが、陸を連れてくるようになって一つになっている。そのおかげか、表情が明るくなっていた。
「ただいま! 本っ当、リクが来るようになって楽に仕事させてもらえるぜ」
「おかえり。そうだねぇ」
ひひひっと笑いながら、陸の置いた水瓶の横にもう一つ置いた。
陸は水瓶を置くと、そのままウミのそばまで歩み寄る。
『ライスは何て言ったんだ?』
『リクがいると仕事が楽になるって』
笑いかけるウミに対し、陸は顔を少し俯かせた。
ウミは思わず首を傾げる。
『どうしたの?』
『いや……いちいち言葉を訳してもらって申し訳ないな、と』
『なんだ。そんなこと、気にしないで。私もリクと話すと、人界語の勉強になるから。お互い様』
ウミは笑いながら再び手を動かし始める。だが、陸は少しの間その場に立ちつくし、何かを思案していた。
民宿での陸の仕事は、黒子としてライスやウミの補助をすることである。
最初はお客に対しても警戒心を露わにしていた。今まで人しか見たことがない陸にとっては、お客と言えども化物にしか見えない。
一方で、お客たちも突然現れた陸に対し、訝しげな表情を浮かべた。
何せ白い仮面に黒いマントで身を隠す従業員である。人外たちにとっては、そちらの方が怪しい者なのだろう。
ライスやウミに『あいつは何者だ』と問いかける者がいたり、はたまた直接陸に声をかける者もいた。
だが、陸は一言も声を発さなかった。ただ黙って民宿の隅に立ち、ライスやウミの呼びかけがあれば歩み寄る。
言葉がわからない以上、お客が何を求めているのか、また手伝おうにもライスが何をしてほしいのか。
ウミ以外にコミュニケーションを取れる相手がいないのだから、そうする行動しかできなかった。
陽も傾きかけ、露店風呂を利用する人外たちの姿が減っていく。
そろそろ泊まり客が着ても良い頃となっていたが、今日に限ってはその様子が見られなかった。
ウミが窓から通りを覗いても、人外たちは目も向けず歩き去っていく。
「……今日は泊まるお客さん、来ないね」
「まぁ、いつもいつもはいねぇよ。こういう日もあるさ」
そう言うとライスは背を向け、露店風呂に続く廊下を歩いていく。
「俺は露店風呂掃除してくる。終わったら陸を帰すから、それまでお前ら休んでいいぞ」
手を振ってライスはあっという間に露店風呂へと行ってしまった。
その場に残された、ウミと陸と家畜たち。
見ると、陸も呆然とライスが去った方向を見ていた。おそらく、状況を飲み込めていないのだろう。
「ウミ、休むです。僕ら、ヒトとゆっくり話したいです」
「あちきもねん。ウミがいないと、話せないのん」
ヤクちゃんとリンちゃんはテーブルの上にすでに乗っている。お互いぴょんぴょんとその場で飛び跳ねて、急かしているように見えた。
ウミは笑いを堪えながらも、陸のマントを少し引っ張った。
『……リク、休もう。ライス、露店風呂の掃除行ったの。その間、休めるよ』
『あぁなるほど。わかった』
ウミに引かれ、陸は椅子へと腰掛けた。
目の前に、家畜たちがじっと見上げている。陸も何も言わずじっと見下ろす。お互い、出方を伺っているようだ。
そんな様子にウミはふふっと笑いながら、カップに水を入れ持ってきた。
「ヤクちゃんたち、そんなにリクと話したいの?」
そう言いつつ、二体の家畜のマグカップに水を注ぐ。家畜たちの葉や花が、心なしか潤ったように見えた。
「です。ウミ以外のヒトです。珍しいです」
陸を見上げたまま話すヤクちゃん。隣では、リンちゃんも同じように見上げている。
「どんな奴か知りたいのん。ウミとライスの敵だったら、許さないわん」
「大丈夫、敵じゃないよ。……ちょっと待ってね」
水入りのカップを陸の前に差し出した。
『リク、きっとお客さん来ないから、仮面はずしなよ』
ニッコリと微笑みかけるウミに、陸は素直に従い仮面を取った。
少し釣り目の、黒い瞳。フードも降ろし黒色の短髪の頭も露わとなる。
家畜たちはその姿を初めて見た。そのせいもあるのだろう、じりじりと前に出つつじーっと見上げている。
『……こ、こいつらは何なんだ』
『ずっと、リクと話したかったんだって』
くすっと笑うウミの顔を見て、陸も攻撃するつもりはないのだと悟る。
ほっと息を吐き、再びじっと家畜たちを見下ろした。
元の世界では絶対いない生物だ。マグカップから生えている葉まみれのもこもこした物体と、同じく花まみれのふわふわした物体。
人外と言えど、ぱっと見る感じは女子受けしそうな姿だ。持ち帰って画像をインターネットでも流せば、すぐに広がるだろう。
「……悪寒が走るわん」
そんな陸の考えが伝わるはずもないが、リンちゃんはブルッと身体を震わせた。
陸はなおも、じっと眺めている。
『ウミ、こいつらもしゃべるのか?』
『え? うん。しゃべるよ』
小さく『ふーん』と唸りながら、顔を近づけヤクちゃんリンちゃんを眺めている。
一方、家畜たちはあまりにもじっと見られることに耐えられなくなったのか、じりじりと後ずさりをしていた。
『こんなペットでもしゃべることができる……だったら、俺だって勉強すればしゃべられるようになるか?』
ウミを見つめる顔は真剣そのものだった。
『……よかったら簡単な言葉を教えてくれ。いちいちウミに通訳をお願いするのも申し訳ないんだ』
『……人外語を学びたいってこと?』
『あぁ。早く元の世界に戻りたいが……すぐに戻れそうにない。だったら最低限の言葉だけでも頭に入れたいんだ』
すると、ウミの頬がみるみると緩んでいく。その様子を不思議そうに家畜たちも見上げる。
陸も、なぜ嬉しそうな顔になるのかと首を傾げた。
『……変なことでも言ったか?』
『ううん、違う! リクがこの世界のこと、少しでも興味が沸いたんだ、と思うと嬉しくて。もちろん教えるよ! 単語でもわかれば、きっと、違うから!』
嬉しそうなウミの柔らかな笑みに、陸も思わずふっと頬を緩め、少し笑った。
『あぁ……よろしくな』
そんな二人の様子を、ライスは気付かれないよう廊下から見つめていた。
◇ ◇
その日を境に、仕事が終わった後の休憩時間が人外語の勉強会となった。
ウミがよく使う単語を繰り返し発音し陸に聞かせ、陸もその言葉の意味と発音を繰り返す。テーブルの上で家畜たちも見守り、たまに練習相手になったりもした。
その間ライスは一切口出ししない。毎日、露店風呂の掃除をする、と言ってその場を去る。一生懸命学ぼうとする陸と、一生懸命説明をするウミの姿がとても微笑ましかった。
「……あり、がとう」
陸は眉間に皺を寄せながら、じっと見上げているヤクちゃんリンちゃんに向かって言葉を発した。
自信がないのか、言い終えた後反応を伺うように家畜たちを見つめる。
「……通じたです」
「聞きとれるわん」
何かを言った――そう感じるや否や、陸はすぐさまウミを見た。
ウミはニッコリと笑っている。
『ヤクちゃんリンちゃん、ありがとうって聞こえたって!」
『本当か! ……良かった』
ほっと胸を撫で下ろす陸に、家畜たちは目の前でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「復習です! もっと言えです!」
「もう一度練習ねん!」
『……こいつら何て言ってんだ?』
大して動揺している風でもなく、冷静にウミに問いかける。
『もっと、単語を言えって言ってるよ』
『あぁそんなことか』
ごほん、とわざとらしく咳払いをした。すると、家畜たちの動きもピタッと止まり見上げる。
「ライス、ウミ、リク、ヤクちゃん、リンちゃん、ツベちゃん、家畜、お客、カグラ――」
自分の名前が出てきて嬉しいのか、家畜たちはお互いの顔を見合わせる。そして、すぐにまた顔を見上げた。
最初に教えたのは名前だった。
「ライスの民宿、換金所、アナザー区画、キリング区画……人界……人外界――」
場所も教えた。一人で町に出ることはないだろうが、もしも迷った時のためだ。
聞きやすい発音に、向かいに座るウミも嬉しそうに笑っている。
「ごめんなさい……すいません……お疲れ様……はい、いいえ……ありがとう――」
挨拶も教えた。一言でも受け答えができれば会話も成り立つだろう。
他にも数字など、簡単な単語を教えている。『いつ、どこで、誰が何を』これがわかれば、きっと困ることはない。
それでも全てを理解するには、まだまだ時間がかかるだろう。
他にも、ウミは別の言葉も教えていた。 もし誰かに脅された時のため、威嚇するための言葉だ。
と言っても、陸が言いたい台詞を人外語にしただけだが。
すると、間違えないよう慎重に言っていた陸だが、途端、口の端をにやりと持ち上げヤクちゃんたちを見下ろした。
「なめんじゃねぇよ」
本気で言ってはいないと思うが、笑っている顔と台詞が煽っているようにしか見えなかった。
苦笑いを浮かべるウミに対し、言われた家畜たちは抗議するように飛び跳ね始めた。
「腹が立つです!」
「なめられてるわん! 謝れねん!」
「や、ヤクちゃんリンちゃん! 練習だから! 本当に思ってないから落ち着いて!」
慌てて立ち上がり、それぞれのマグカップを持ち上げて一旦陸から離す。
持たれては自由に動けないので、家畜たちは身体を膨らませブルッと震わせた。テーブルの上に葉っぱと花びらが飛び散った。
「もー。ヤクちゃんたちが言えって言ったから言っただけでしょ? 怒っちゃ駄目だよ」
「……わかったです」
「見逃してやるねん……」
その言葉を聞いて、ようやくマグカップをテーブルの上に置いた。二体は暴れる様子もなく、じっと陸を見上げている。
一方、陸は肘をつき考え込むように視線を落としていた。
『……最後の言葉、本当にいるのか? ふざけて教えてもらったけど、使う場面なんてないんじゃないのか?』
『……もちろんない方がいいけど、たぶんある。私も、そうだったから』
そう言うと、ウミはホルスターに差していた包丁を取り出しテーブルの上に置いた。
刃渡り三十センチぐらいの包丁――陸はずっとその存在に気が付いていたが、実際に間近で見たのは初めてだ。
『短剣みたいだ』
『これ、ライスからもらったの。護身用だって。実際に、使ったこともあるよ』
『え……襲われたのか?』
『うん。……その時はみんなが守ってくれたから大丈夫だったけどね』
ふふ、と笑っているウミに真剣な眼差しを向ける。あまり年の変わらないはずなのに、どこか落ち着いているように見えた。
視線を落とし包丁を見れば、丁寧に扱われているのか錆びもなく刃こぼれもない。
そもそも、こんな包丁を常に持ち歩いていること自体が、陸にとっては異常だった。
『……本当に大変だな、この世界は』
『でもね、すごく楽しいよ』
すると、パカパカと廊下を歩く音が聞こえた。
二人して振り返れば、そこにはにやりと笑うライスが立っていた。
「楽しそうなところ悪いが、そろそろ帰る時間だ。リク、行くぞ」
ライスが来たことと、リクと呼びかけられたこと――つまり帰るのだと悟って、マントを羽織りフードを被り仮面を装着する。
あっという間に怪しい者の出来上がりである。ライスがそのまま玄関へと歩み、すぐに陸はその後ろへと近寄った。
玄関の扉が開かれた時、陸は振り返りウミの方を見た。
「……ありがとう」
少しまだ片言な言葉。けれど、しっかり聞きとれる言葉。
ウミはパッと笑みを見せ、嬉しそうに手を振った。
「お疲れ様! ゆっくり休んでね! また明日!」
見ているこちらまでも笑ってしまいそうな眩しい笑顔に、ライスは薄らと笑みを見せ外へと顔を向けた。
「よし、じゃあ行くぞ」




