お客たちと家畜たち(7) カグラと陸 後編
警戒心を解かない陸に、ウミはどうしようかと考える。
わかったことは、陸は一切人外を信用していない、ということだ。
となれば、一時的にライスとカグラに席をはずしてもらうしかなかった。
一度檻から離れ、ライスとカグラに事情を説明する。
「……そうか。やっぱりまだ警戒してんのか」
「わかりました。では、ライスと待つとしましょう。何かあれば、声をかけなさい」
「ありがとうございます。何とか警戒心を解いてもらえるよう、説得してみます」
「えぇ。頑張ってくださいねぇ」
ニッコリとカグラは微笑んで、ライスと共に部屋から出て行った。
そんな両者を見届け、檻に背を向けていると――。
『……何を言ったんだ?』
振り返ると、座ったままじーっと鋭い視線を向けている。
なんとか警戒心を解かないと――ウミはにっこりと微笑んで見せた。
『リク、人外を信用していないから。だから、少し離れてもらった』
『へぇ。そう』
プイッと顔を背け、不機嫌そうに顔をしかめている。
とはいえ、このまま距離を保ったまま立っているだけでは埒が明かない。ウミは檻へ近づき、腰を下ろした。
鉄格子を挟んで、すぐ目の前に陸がいる。
『どうして、人外界に来たの?』
ウミの問いかけにも、顔を背けたまま返答しない。それでも、ウミはじっと動かず返答を待つ。
じっと見つめるウミに負けたのか、ちらっと視線だけ向けられた。
『……俺が答える前に、あんたはどうなんだ』
そう言って再び視線を逸らされた。
どうやらウミのことを話さない限り、まともに取り合わないようだ。
『私、本当にヒト。でも、人界のこと、記憶にない』
『しゃべり方が片言だな。やっぱり怪しい』
ウミは人界語――日本語はある程度理解できる。が、話すとなると別だった。
本を読み独学で学んだものの、発音や文章構成には自信がない。
『私、ライスに……さっきの半身人外に、育ててもらったの。だから本当の親、覚えてない』
『え……あの人外に育ててもらったのか? 両親はどこ?』
そっぽを向いていた顔が向けられる。
ウミは弱く微笑み、視線を落とし首を振った。
『わからない。気付いたらライスと一緒。ずっと、育ててもらった』
ウミは顔を上げニッコリと微笑んだ。
『でも今日初めて、自分以外の、ヒトと会えた。初めて、人界語話すの。だから、嬉しい』
屈託のない笑顔に、陸は再び呆気にとられた。
警戒心を露わにする陸に対し、ウミはまるで敵意のない無垢な笑みを浮かべる。嘘を言っているとも思えなかった。
途端、一人険しい表情を浮かべるのが馬鹿らしくなり――フッと鼻で笑って見せた。
『……わかった。あんたを疑うのはやめよう。えっと名前は……』
『ウミ、だよ』
『ウミ、ね。……あんたのことは信用しよう。大方、人外に育てられたから捕らわれてないんだろ。だったら俺を出してくれ』
陸は足を崩し膝を付くと、ようやく立ち上がった。
ウミよりも頭一つ分背が高い。ライスぐらいの高さがある。
よれよれになっていた上着を脱ぎ捨て、ワイシャツ一枚と黒いズボンだけの格好になった。ワイシャツの一番上のボタンをはずす。
『俺は……元の世界に戻りたい。高校の帰り道、足を踏み外して崖下に落ちたはずだったんだ。それが気付いたらこの世界にいた』
首元を緩め、ワイシャツの手首のボタンもはずす。そして腕まくりをした。
逞しい腕が露わとなると、陸は自分の鼻をを近づける。
『臭い。……なんで俺がこんな目に。……そういえば、俺の学校でも行方不明になった生徒がいた、て聞いたことあるな。……俺が巻き込まれても不思議じゃないのか』
ぶつぶつと呟く陸を見て、ウミはひたすら首を傾げた。
聞き慣れない言葉や、話の内容がよくわからなかったのだ。
そんな様子に気づき、陸は腕を降ろした。
『ごめん、気にしないでくれ。ただの独り言。……で、俺をここから出せるのか?』
『私だけじゃ、出せない。カグラさんに、聞かなきゃ』
『カグラ? ……あぁ、あの白い奴か』
嫌そうに眉間を皺を寄せた。
『あんたが説得してくれ。俺を監禁した張本人だ。それに、俺はあいつらを信用したわけじゃない』
腕を組み顔を背けた。
なんとかウミを信用してもらえたものの、やはり人外に対しては駄目らしい。確かに、急に信用しろ、と言われても無理な話だ。
ウミは苦笑いを浮かべながら背を向けた。
『……ちょっと待ってて。連れてくるから。あまり……睨まないでね』
◇ ◇
睨まないでね、とウミの言葉を守っているのか、再び入って来たライスとカグラに対し、陸は腕を組みそっぽを向いている。
確かに睨んではいないが、態度が悪い。
誤魔化すようにウミは頭を掻き、苦笑いを浮かべた。
「あー……その、ちょっと戸惑っているようなんです。だから……緊張しているというか……」
それに対し、人外たちは余裕の態度だった。
別に何とも思っていない様子で平然と見るライスと、そしてなぜかニヤニヤと笑うカグラ。
「俺と同じぐらいの背か。やっぱりカグラの言う通り、体格の良い奴だったんだな」
「……やはり女の言うことは素直に聞くようですねぇ」
態度など気にしていない。
ウミはほっと胸を撫で下ろし、一つ咳払いをしてじっとカグラを見た。
「カグラさん、リクは元の世界に戻りたいから、檻から出すように言っています」
「元の世界……人界に帰りたい、と。……そうですねぇ、別に帰してやっても良いですが、ただ……」
カグラは顎に手を当てながら、檻に向かって一歩踏み出す。
じっと赤い瞳で陸を眺める。視線に気づいた陸も顔を向け、眉間に皺を寄せて睨み返した。
が、気にする様子もなくニヤニヤと笑う。
「人界とを繋ぐ穴、はキリング区画にしかありませんからねぇ。お金を儲けるしかないでしょう。ちなみに、私はお金を出すつもりは一切ありません。リクが死ぬまで飼って良いと思っていますからねぇ」
ニヤリと笑うカグラの顔に、陸は顔をしかめて口を開いた。
『こいつ、何て言った?』
『……自分でお金を儲けて、帰るしかないって。キリング区画っていう場所に、人界とを繋ぐ穴っていうのがあるの。そこが唯一、人界に帰られる場所。でもキリング区画に行くために、お金が必要なの』
『……面倒だな』
チッと舌打ちをして、視線を落とした。
その様子を見て、カグラは満足げに微笑む。
「もし……どこかでお金を儲けようと考えるならば、絶対にヒトであることを隠しなさい。色々面倒なことになりますからねぇ。バレてしまうようなことになれば……身の保証はないものと考えなさい」
最後、口元を緩めながらも目は笑っていなかった。
身の保証はない――もしかすると、カグラが陸を手に掛けるという意味なのかもしれない。
ウミはごくんと唾を飲み込む。
『……絶対にヒトだってバレちゃ駄目。じゃないと……危ない目に遭う、よ』
ウミの言葉に、陸は大きくため息を漏らした。
それを見てカグラは、また満足そうに笑っている。
と、黙っていたライスが突如「あっ!」と声を出した。目を輝かせている。
「だったら俺のところで働けばいいじゃねぇか! 目的は一緒で、ウミの話し相手にもなるし、男なら力仕事もまかせられるし、こっちも助かる。カグラが良いんなら、俺のとこで一緒に暮らせばいいしよ」
一緒に暮らせばいい――予想外の発言に、ウミは驚いてライスの元へ詰め寄った。
が、本人は自らの発案に満足しているようで、ひひひっと笑っている。
「ライス! 何言ってんの!? 一緒に暮らす? 本気で言ってるの!?」
「んだよ、いいじゃねぇか。こいつ、人外語話せねぇんだし、お前が近くにいてやったほうが助かるだろ?」
「そ、それはそうだけど……一緒に暮らすっていうのは別だよ! 今日初めて会ったばかりのヒトと暮らすなんて、急過ぎるよ! そ、それに、カグラさんが身を預かってるんでしょ? 勝手に決めちゃ駄目だよ!」
ちらっとカグラの様子を伺うと、顎に手を当てて何やら考えていた。
が、まもなく手を下ろし、ライスたちに向き直った。
「……良いでしょう。ライス、君のことは信用していますからねぇ。君のところならば良いでしょう」
「ひひひっ! ありがてぇ」
「ただし! そちらに住まわせるわけにはいきません。こちらから通うようにしなさい」
ほっと胸を撫で下ろすウミの横で、ライスは腕を組み低い声でうーんと唸った。
「でもなぁ……通うっていうのも、危ねぇしなぁ。あ、じゃあ……俺が水汲みの帰りにここへ寄って、ここから家まで付き添って通うか? それだったら逃げる心配も、襲われる心配もねぇだろ」
「それならば良いですよ。当然、帰りもお願いしますねぇ」
「あぁ、まかせろ。忙しくても絶対にここへ帰しに来てやるよ」
勝手に話がまとまっている。
やれやれ、と思いながらウミは檻へと歩み寄った。陸に働く意思がなければ意味がない。
――見れば、陸は首を傾け訝しそうに眺めていた。
『……何を騒いでいた?』
『私たち、民宿をやっているの。そこで、一緒に働きましょう。送り迎えは、ライスがしてくれるから』
『民宿? あんたたちが経営してるのか?』
『うん。ライスが、リクを雇うって。カグラさんも、了承してくれた』
そう言われ陸はじっとライスを見た。半ば睨みつけるように見ていたが、ライスは視線に気づくとひひひっと笑みを見せた。
陸はライスに対して、そこまでの嫌悪感がなかった。
肉を食べさせた時にしろ、悪い人外ではないのでは――と少し考えていた。ウミの存在を知った今、それは確信へと変わる。
『……わかった。稼いで元の世界に戻れるなら、いくらでも働いてやる』
『本当! 良かった。じゃあちょっと待ってね』
振り返り、ウミはニッコリと微笑んで見せた。
「リク、働くって!」
「よし! 交渉成立だな!」
「……まぁ気分転換ぐらいにはなるでしょう。いつか、私の言うことも素直に聞いてほしいものですねぇ」
ニヤリと笑って、カグラは再び檻の横にある木箱へと進んだ。中から何かを取り出そうとしているのか、ごそごそとしている。
民宿で働くからと言って、カグラの言うことを聞くかどうかはわからない――ライスとウミ、どちらもそんなことを思ったが、口に出さずじっと背中を見つめた。
「ありました、ありました。マントと仮面」
そう言って、取り出したそれらの埃を払い、檻の隙間から差し出した。
真っ黒の布と白い仮面。
訝しげに見下ろしていた陸だったが、カグラのニッコリと微笑む顔を一度見て、恐る恐る手を伸ばした。
真っ黒の布と思われたものは、フード付きのマントだった。陸が着てもすっぽりと身体全体を隠すことができる。
そして仮面は、ヒトの顔の表面を真っ白に模ったようになっており、目元と鼻のところに小さな穴が空いている。
それらを身につけた陸は、一目ではヒトかどうかわからなくなった。――ただ、ものすごく怪しい者に見える。
「これならばヒトとすぐにわからないでしょう。通う際は必ず身につけなさい」
そう言うと、カグラは檻の鍵を解き開け放った。
「君は私の所有物であることを忘れてはならない。今日は民宿でお風呂でも浸かって身体を洗い流してきなさい。……ライス、いいですね?」
「あぁ……ずっとここに籠りっぱなしだったんだ。気分転換になるだろ。ちゃんと連れ戻すから心配すんな」
「えぇ頼みましたよ」
ウミはライスとカグラの会話を意訳し、陸に伝えた。仮面のせいで表情が読みとれないが、黙って聞いている。
そして聞き終えると鉄格子に手を掛け、ゆっくりと檻から出てきた。
背筋を伸ばし堂々としている。思わずウミが声をかけた。
『……本当にヒトが珍しい存在だから、逃げないでね。ライスのそばにいれば、絶対、守ってくれるから』
『別に逃げない。あんたがこうして生きていることが、何よりの証拠だからな』
そう言うとライスのそばまで歩み寄った。暴れる様子もなく、じっと仮面を向ける。
仮面の目の穴から、黒い瞳が見えた。
『長谷川陸だ。肉の件といい、ウミのことといい、あんたは信用できそうだ。……これからよろしく頼む』
ライスは言葉がわからずじっと見るしかなかったが、陸が握手を求め手を差し出すとすぐに応えた。
がっしりと握手を交わし、ひひひっと笑みを見せる。
「ライスだ。これからよろしく頼むぜ」
そんな二人の様子を、ウミは微笑ましく眺めた。少しでも陸の人外に対する不信感が拭えればいいな、と思う。
全ての人外がヒトに対し攻撃性がない、とは言わないが、少しでもこの人外界を好きになってほしかった。
――大丈夫。ライスはとっても優しいもん。
陸を加えた新しい毎日が始まろうとしている。




