お客たちと家畜たち(6) カグラと陸 前編
民宿の前に看板が出ているが、張り付いている紙には大きくこう書かれている。
『本日、臨時休業』
それを見た露店風呂を目当ての人外たちは、残念そうにその場を去っていく。
一方で、ライスとウミは家を出ていた。
ライスは肩に大きな袋を担ぎ、ウミは小さな袋を手に持ち、心なしか上機嫌に歩いている。
袋の中には、お客たちからもらった品物と、バルドベアとスイミーからもらった品物が入っている。
それらを売るため、換金所へと歩みを進めている。
◇ ◇
しばらく通りを歩くと、ひときわ白い建物が目に飛び込んだ。
真っ白の外壁と、建物の前に置かれる小さな看板。
「ここが換金所だ」
店の前に立ち止まり、ウミは建物を見上げた。
それほど大きく建物ではないにしろ、真っ白な外壁は嫌でも目立つ。
「真っ白な建物だね。カグラさんみたい」
「だなぁ。……ほら、入るぞ」
入ると目の前にはカウンターがある。カウンターの後ろには、のれんがあり奥の部屋へと続いている。
左手にはテーブルと椅子が何組か置かれ、見れば今日は先客が数組いるようだ。
そのほとんどが獣人で、入って来たライスとウミを睨みつけている。こそこそと耳打ちしながら睨んでくる者もいた。
そんな視線に気が付きながらも、ライスとウミは絡むようなことはせず、ひたすら店主が出てくるのを待った。
すると――ようやく、のれんから店主が姿を現した。
「おや……お久しぶりですねぇライス」
換金所の店主――カグラである。
タキシードをビシッと着こなし、白髪の色白の顔と際立つ赤い瞳。その目を細め、ニッコリと微笑んだ。
「評判が良いようで、私も広報活動した甲斐がありましたよ」
本当に広報活動してたんだ――そう思ったが、ウミは口には出さず笑ってみせた。
脅したのか、命令したのか。どんな方法であれ、民宿にお客が増えたのは間違いない。
「おや、珍品が集まったようですねぇ」
「あぁ。俺が持ってる袋はありきたりかもしれねぇけど、ウミが持っている袋は気に入ると思うぜ」
「ほう。それは楽しみですねぇ」
さっそく袋をカウンターの上に乗せようというとき――座っていた獣人たちの気配が変わった。
身体を伸ばし、盗み見ようとしている。ほとんど全員が同じような動きをしていて、こっそり見ようという気はないらしい。
イラッとしたライスが叫びそうになった、が――。
「さっさと失せなさい」
空気を切り裂くように、カグラの声が響き渡る。
ライスは口を閉じカグラを見れば、やれやれと首を振りながらカウンターから出ていた。
「二束三文の品を売ってここへ居座ろうなど……虫が良すぎるでしょう? さらに、私の仕事の邪魔までするとは。君たちは……私に己の肉を捧げたいようですねぇ」
カグラは顔の半分を手で覆い、口元だけ笑って見せる。
赤い瞳は冷たく獣人達を睨みつけながら、手から白い鱗が生え始めた。爪は鋭く伸び始め、まるで龍の手のように変化し始める。
手だけにしても、カグラが初めて本性を見せる光景にウミは唖然とした。怒らせると本当に危険な人外なのだ。
獣人たちは顔を青くさせ、皆一目散に店から出て行った。
それを見届けると、カグラの手があっという間に元のヒトの手へと戻る。
そしてその足で入口の鍵をかけ、カグラは振り返った。
先ほどの殺気だった表情ではなく、いつもの飄々としたカグラの顔だった。
ライスも驚いた様子もなく平然と笑っている。
「わりぃな」
「良いのですよ。後で飼っているヒトの通訳をお願いしたいですしねぇ。どちらにしても、部外者はいない方が都合が良いですから」
口の端を持ち上げながら、カグラは再びカウンターへと入った。
ライスは一度目にしたことがあるが、この換金所の奥の部屋にヒトが捕らわれている。
ウミはそのヒトに会うのが楽しみだった。
が、その前に袋の中身の鑑定と換金が先である。
ライスとウミは改めて、大きな袋と小さな袋をカウンターの上に置いた。
が、置かれた拍子に大きな袋の口から葉っぱが数枚出てしまった。大小様々な葉。が、価値があるとは思えない。
案の定、カグラは出てきた一枚の葉っぱを摘まむと、小さくため息を漏らした。
「……この大きな袋はこういった物ばかりですか?」
あからさまに落胆している。
取り繕うように、ライスは頭を掻きながらぎこちなく笑って見せた。
「ま、まぁいいじゃねぇか。金持ってねぇ奴らは、だいたい葉っぱとか牙とか毛を持ってくるんだよ。でも一応食糧として使えるんだぜ? 少なくてもかまわねぇから換金してくれよ」
「やれやれ……」
ため息を吐きながら、カグラは袋の中を手で払いながら確認している。
その中身は言う通り葉っぱや花や牙や爪、毛皮などがほとんどだった。
「……多く見積もっても千グルですねぇ。食糧として使えるのであれば、そのまま君たちが使った方がいいのではないですか?」
「いや、金に換える。食糧自体は、家畜がいるから困ってねぇんだよ」
「そうですか。……何だかゴミ処理をさせられているようですよ」
「ま、まぁそう言うなよ」
カグラはカウンターの下から一枚のグル紙幣を差し出した。
あれだけ大きかった袋の中身が、一枚の紙切れに変わった――思わずウミもがっくりと肩を落とす。
「では……この小さな袋の中身、拝見させていただきましょう」
「あ、は、はい!」
カグラは小さな袋の中に手を入れ、中身を取り出し、カウンターの上へと置いていく。
一つは小瓶に入った水色の半透明な液体。もう一つは、手のひらほどの木箱である。
それらを見た瞬間、カグラの目つきが鋭さを増した。真剣な眼差しのまま手を伸ばし、まず小瓶を手に取った。
「……これは、スライムの液ですねぇ」
「知り合いのスライム系人外さんにいただいたんです。何でも万能の液だって……」
「えぇその通りです。全てのスライムから取れるわけではないですから、とても貴重な品ですねぇ」
満足そうに微笑んで、次に木箱を開ける。
そこには、手のひらサイズの緑色の肉があった。
一目では何の肉かわからないものだが、カグラはそれを一瞬で見抜いた。
「ほう。これは珍しい……」
目を少し見開くと、再びニッコリと笑みを浮かべた。
「人魚の肉ですねぇ。山奥の湖に生息しているという噂で、大変珍しい肉ですよ」
「……カグラさんよくご存じですね」
「千年も生きていると、知識が豊富になりますからねぇ」
カグラは機嫌が良さそうに微笑んだまま、丁寧に二品を袋の中に仕舞い込んだ。
それを大事そうに抱え、ライスに視線を向けた。
「……これらの品は、我が主様もお喜びになると思います」
「そりゃ良かったな。で、いくらもらえるんだ?」
「……そうですねぇ。思った以上の品でしたし……十万グルでいかがですか?」
ライスとウミの顔色が一気に変わる。
目を見開き、口をあんぐりと開けた。
「じゅ、十万グル!?」
「じゅ、十万グル!?」
同時に叫び、お互いの顔を見合った。
まさかの金額だった。二つで十万ということは、一つ五万グルである。
ライスとウミは段々と頬を緩ませ、にんまりと笑い合っている。
一方カグラは、首を少し傾け不思議そうに眺めていた。
「何をそんなににやついているのですか? 気味が悪いからやめなさい」
「え、い、いや……予想以上の値段だったから……思わず顔が緩んじまった」
「たかが十万グルでしょう? ……ほら、受け取りなさい」
そう言うと、カグラはカウンターの下から分厚い札束を取り出した。
これが十万グルの厚さ――ライスとウミはごくんと唾を飲み込む。
じっと見つめ、まるで頭に焼き付けているようだった。
「君たち……金儲けをしているのでしょう? たかがこれぐらいの札束で、何を驚いているのですか」
「……俺たち金の管理は家畜どもにやらせてるからさ……こんな綺麗な札束は初めて見たんだよ」
「は? 馬鹿ですか? お金の管理ぐらい自分でしなさい。……先が思いやられますねぇ」
ため息を吐きながら、カグラは背を向けるとのれんに手を掛けた。
「とにかく、仕事は終わりましたよ。さぁウミさん、通訳をお願いしますよ」
「は、はい!」
微笑むカグラの顔は威圧感があり、思わずウミは背筋を伸ばす。
今から初めて自分以外のヒトと会うのだ。おまけに通訳までお願いされている。
自分が知っている人界語が通じるのか、そんな不安もよぎったがもう引き返せない。
「……大丈夫だ。きっとウミならうまくやれるさ」
耳元でぼそっとライスが呟いた。そして、カグラに続いて奥の部屋へと進んで行く。
その背中を見つめながら、よし、と気合いを入れ直し、ウミも奥の部屋へと進んで行った。
◇ ◇
少し薄暗い部屋を抜けて行く。持ち込まれた様々な物が置かれている部屋で、倉庫のように見えた。
目移りしながらも、ウミはライスの後ろを歩いていく。
と、先頭を歩いていたカグラの足が止まった。目の前にまた扉がある。
「ウミさん。一応忠告しておきますが、このことは誰にも言ってはいけません。……よろしいですか?」
口元は笑っているが、視線がウミを射抜く。
「……はい。誰にも言いません」
「よろしい。では……どうぞ」
扉が開かれた。
ライスに続き、入ったウミの目に飛び込んだものは――檻である。
薄暗い部屋の真ん中に、大きな檻が置かれている。そして、その中に――膝を抱え座り込んでいるヒトがいた。
頭を俯かせ顔まで見えない。黒髪で髪は短いのか、ボサボサになっている。カグラと同じようにタキシードを着せられているが、汚れと皺だらけだった。
「……ウミさんどうぞ前へ」
部屋に入った直後から立ち尽くしていたウミに、カグラが手のひらで示し隣に来るよう促す。
丁度カグラとライスの間――檻の真ん前に位置する場所である。
正気に戻ったウミは慌ててそこへと歩み寄った。
ウミが近くへ寄ってもヒトは俯いたままだった。寝ているのか、石像のように固まっている。
「ライスのおかげで肉は食べるようにはなったのですが……それ以外はこのように身を縮めていましてねぇ。意思疎通を図ろうにも、全く見向きもしない。肉の匂いが漂えば、顔を上げるといった感じですねぇ」
「まぁ、生きている分まだマシだろ」
カグラとライスが普通の声量で話しているのに、ヒトは全く反応を示さない。
寝ているのでは――そんな考えがウミの頭をよぎった。
「カグラさん、このヒト寝てるんじゃないですか?」
「いえいえ、そんなことはありません。では……餌付けでもして見せましょう」
そう言うと、檻の横に置かれていた箱の中から干し肉を出した。
それを皿に乗せ、カグラは檻の隙間から中へと差し出す。
「見ていなさい」
皆が注視する中――動かないと思われていたヒトが、ゆっくりとぎこちなく頭を上げ始める。
徐々に上げられる頭から見えた顔は、頬がこけた少し釣り目の男のヒトだった。
「……っ!」
ウミと目が合った瞬間、ヒトの動きが止まった。目を見開き、信じられないと言った表情を浮かべる。
ウミもウミで、初めて見る全く身体の構造が同じヒトに釘付けとなっていた。
「おやおや……さすがに動揺しているようですねぇ。面白い」
カグラは満足げに笑みを浮かべた。ここまで驚いている表情を見るのは初めてだった。
一方で、ライスはウミと男のヒトを見比べながら、真剣な表情で様子を伺う。
「ウミ……何か人界語でしゃべってみろ」
「え……あ、うん。やってみる……」
何をしゃべろうかと、ウミが視線を落とした。
すると――。
『あんた、人間か?』
低い声が短く響く。
すぐに視線を檻へと戻すと、鋭い視線を向けるヒトの姿があった。
『……人間なのか? 答えろ』
敵意をむき出しにするヒトに、ウミは唾をごくんと飲み込む。
初めてヒトと会話をする――ドキドキとする胸を落ち着かせるように一息つき、口を開けた。
『は、初めまして……私、ウミです。ヒトです』
ぎこちない言葉遣いだったかもしれない。ヒトはすぐに言葉を返さず、じっとウミを睨み上げる。
通じているのか――不安がよぎった時だった。
『長谷川陸だ』
ぶっきらぼうな言い方だった。ずっとウミを睨み上げ、警戒心も解かれていない。
それでも――初めて人界語で会話した。初めて、自分以外のヒトと出会えた。自分以外のヒトがいる。
それだけでウミは嬉しくてたまらなかった。
「……ライス、ライス! 言葉が通じたよ! このヒト、ハセガワリクって言うんだって!」
嬉しそうな顔でライスを見る。満面の笑みだった。
それには強張っていたライスの顔も緩み、ウミの頭を撫でてやった。
「よし! よかったな! ……ほら、こっち見てるぞ、話し相手になってやれ」
そう言われて視線を戻せば、呆然と見上げている陸の顔があった。
先ほどの警戒する顔ではなく、呆気に取られているように見える。
それにはカグラも、笑いを堪え切れずククッと声を漏らした。
「……見たことない反応ばかりで面白いですねぇ! ウミさん続けなさい。会話が終わった後、通訳をお願いしましょう。今は表情の変化だけでも面白い。あれだけ仏頂面だったのに、この反応とは……」
と、再び笑いを堪えている。
ウミが苦笑いを浮かべていると、陸はプイッと顔を背けた。どうやら笑われているのがわかったらしい。
『……あんた人間じゃないんだろ』
『違う。私、ヒトだよ。一緒だよ』
『じゃあ、なんで人外どもと一緒にいる? 怪しすぎるだろ』
ウミが物凄く怪しまれていることなど、ライスとカグラは知る由もなかった。
次でこの章は終わります。




