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魔王の美酒  作者: 白起
今生の魔王と王妃達
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魔王の王妃 シンクレア

 一人が嫌でした……


 人間かちくたちが守ろうとする家族と言うものが何であるのかなど……


 わたくしには分からぬ物でございました……


 姫様とカーネルと共に過ごす日々が永久とわに続くものとばかり……


 わたくしは思っておりました……


 わたくしは何を求め、何を奪い、そして、何を奪われたのでしょうか……


 陛下……

 

 わたくしは家族が欲しゅうございました……


 愛しい人と寄り添い、愛しい子をいつくしみ、その望みを叶えられたわたくしは幸せであったのでございましょう……


 わたくしの幸せな時は陛下にお会いするまで……


 陛下……


 愛する者を失うことは……こんなにも切なく……

 

 こんなにも苦しいものであったのですね……


 陛下……


 この胸を締め付ける痛みを癒す事があたうのは御身だけにございます……


 陛下の温情を以ってして、わたくしに新たに愛する者を……


 家族を授けて下さりませ……


 陛下……


 その【】を授かりし者はわたくしだけで十分でございましょう……


 陛下の御前おんまえはべ下賎げせんなその者を……

 

 わたくしが必ずや殺して差し上げましょう……


 陛下をたぶらかす妖婦ようふが竜の腹に収められたあかつきには……


 わたくしと共に蜜月を過ごして下さいませ……


 わたくしが怠惰と呼ばれし由縁ゆえんを陛下にも堪能たんのうして頂きたく存じます……


 その一瞬の煌きと……

 

 その一瞬の高鳴りを次代へと繋げ……


 陛下の治世ちせい永久とこしえとする為に……


 全ての人間かちくの血を陛下に……


◆◆◆


 魔人達も眠り、夢を見る。


「あの者を陛下と……あの者にわたくしが嘆願をするのですか……とても素敵な未来ではありますわね……」


 シンクレアはゆっくりとまぶたを開け、夢の内容をかんがみる。霞む視界の先は見慣れた寝具を映し出していたが、彼女には一人の男の影がそこに重なって見えていた。

 自らが仕えるに値する力を解放した存在に、強き次代を残すと言う彼女の持つ魔人の本能が刺激される。口で如何いかに否定しようとも、あの男を求める自分にシンクレアは軽い失望を覚える。

 常に優雅であれと自らを律することを心掛け、内なる欲望を覆い隠すも、シンクレアは魔人の本能に逆らえない。

 あの男に抱かれる自分を想像し、それが愛しいカーネルへの裏切りに他ならぬことをシンクレア自身も理解はしていた。


(カーネルも【】を下賜かしされれば、爵三位となり、女となりましょう。共に二人であの男に抱かれ、二人で次代を生み育てることも悪くはありませんわね)


 シンクレアがどれほどカーネルを愛そうが、カーネルには彼女の望みを叶えることは不可能と言えた。

 新たな命を生み育てることを爵三位以上の魔人達は強く望む。【欺瞞イリス】の使者を隆之がにべく追い返したとの情報はシンクレアも伝え聞いている。


(あの男は平穏を望み、取り戻したあの雌だけを愛するのでしょう。タカユキ……王の勤めを放棄することは許されませんわよ。わたくしはイリスとは違います)


 自虐的な笑みを浮かべ、シンクレアは思う。

 現在において、爵三位以上の魔人達は新たに誕生した王を迎えんが為、自らの領内に贅の限りを尽くした王宮を建設している。此処ここスフィーリアにおいても多くの人間かちく達が隆之を迎える為に豪華にして壮麗なものを築くべく、昼夜を問わず酷使されていた。

 老若ろうにゃく男女なんにょの区別無く、動ける者は全て集められ、シンクレアの所有する全てが其処そこに注ぎ込まれていたのだ。領内の人間かちくが死に絶えようが、シンクレアに何の痛痒つうようも無い。

 スフィーリアには三千万の人間を二十年は養えるだけの食料が備蓄されている。食糧は王宮を築けぬが、人間かちくは築ける。シンクレアにとってはそれだけのことに過ぎない。

 人間で言えば、今まで貯めていた金を吐き出す感覚に近いのであろう。ライオネル王国の侵攻が始まれば、人間かちく等は狩り放題ではないか。何の問題があると言うのか。それが魔人の感覚と言う物だ。


(本当に魔人と言うものは理解が出来ませんわ。普通の獣は逆でしょうに……王が我らを迎えるのではなく、我らが王に振り向いて貰う為に努力をするのですか。【暴虐ベアトリス】の【アスディアナ】には及びませんが、せめてわたくし矜持きょうじに適う物を用意しなければ、他の魔人に笑われてしまいますもの)


 今まで世界を統べる王冠として扱ってきた【おうしゅ】と呼ばれる者こそが彼女たち魔人達の本来の主であった。この事実は多くの魔人達に衝撃を与えた事であろう。

 累代るいだいの魔王の例に漏れず、その治世は永遠ではないが、隆之はいまだ若い。既に伝説と化したいにしえのメリウス王とは比較にならぬが、彼はこれより多くの魔人達に恩恵を授ける名君と成る可能性を秘めていた。

 シンクレアは寝台から立ち上がり、傍に置かれてある鏡の前に自らの裸体をさらけ出す。

 翡翠ひすいの瞳が老いる事のない我が身を映し出している。全ての芸術家が理想とする造形と色彩が其処(そこ)には存在していた。

 彼女の裸体は美しく、多くの人間かちくの雄達を魅了して止まないであろう。下級魔人の女達は男を惑わし、その精を魔力に変換するすべに長けていると言うが、シンクレアはそのような物では既に満足出来なくなっている。

 極上の美酒を知ってしまった今では人間かちくの雄は愚か、好んで自らの魔力としてきた雌でさえも彼女の食指を動かす事は難しいと言えた。 


「あの者の血肉、精こそが【おうしゅ】なのでしょう……貴方にはちょっとした罰を受けて頂きます。わたくしから逃げた罪は少しばかり重いですわよ。貴方との約束、ジゼルとヨルセンにはわたくしは手を出しません。されど、貴方はジゼルを如何いかにして守りますの? ジゼルは生産地ではありません。ライオネルの肥沃ひよくな土地は全て姫様とわたくしの手に落ちる事になるでしょうね。その時になって初めて、貴方に君臨することを選ぶのか、それとも、全てを見捨てるのかを選択させる条件が整いますわ。あの時と同じですわね。貴方の交渉と戦闘がどれだけ上達したのか……楽しみにしておりますわ」


 シンクレアは鏡台のベルを鳴らし、自らの起床を侍女に伝えた。

 彼女はこれより湯浴ゆあみをし、髪を結い上げ、身支度を整える。

【爵一位王妃】の務めは王の食指を誘う事。王を魅了し、その精を授かる為の努力をおこたる訳にはいかなかった。

 シンクレアの望みである自らの子供を産み、育て、次代へと繋ぐ事は隆之のそれと一致する。されど、平穏無事を望む隆之と魔王との怠惰で享楽きょうらくに満ちた生活を望むシンクレアとの間には橋が架かる事は決して、無いのであろう。

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