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魔王の美酒  作者: 白起
今生の魔王と王妃達
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際限のない当たり前の生活

 東方より太陽が昇り始め、大地を明るく照らし始める。

 鶏が東天紅(とうてんこう)と鳴き、縁起の良い朝を今日も迎えた。

 隆之とエリーナは同じベッドに同衾(どうきん)し、先に目を覚ましたのはエリーナだった。

 綿と羽毛の混じった敷布団と羽毛の掛け布団の中で隆之はエリーナに抱きつきながら静かに寝息を立てている。

 規則正しく繰り返される寝息をエリーナは首筋に感じながら、夫が考える当たり前の生活について思いを()せた。


(この人にとっての当たり前は私には過ぎた生活だと言うのに。この人は満足しない。確かに【暴虐ベアトリス】に用意されたベッドの豪奢さには目を見張ったけれども、藁に包まって寝り、夜の寒さに身を凍えさせて震えていた私の生活は一体何だったのだろう。この人に出会えたお陰で今の生活が成り立っている。この人が必死に守ろうとしている私との生活はきっともっと贅沢の限りを尽くしたものになるのだろうか?)


 隣で(いま)だ寝ている夫を起こさないようにエリーナは静かにベットから起き上がる。

 身を包んでいる寝衣(ねまき)は隆之がエリーナに与えてくれた物で、下級貴族でもこれ以上の代物を着ている者は少ない。

 隆之は言った、自分は世界の頂点に位置する者だと。

 その言葉が嘘偽りの無いものだとしたら、何の取柄もなく、税も払えず、奴隷に身を()とす寸前のエリーナに神様を(あが)める気が薄れていった。

 そんな物をエリーナは求めていない。数年間もの間、【怠惰シンクレア】の【魔力結晶】の中で過ごしていた彼女を隆之は全力で幸せにしようとしているのは手に取るように理解出来た。

 されど、物欲を満たす事で幸せは手に入るのだろうか?

 隆之としては出来る事がエリーナが何不自由無く過ごす環境を整える事で彼女に対しての罪滅ぼしを意味しているのかもしれない。

 そして、()れを甘んじて受け入れて行けば彼女の生活は際限無く贅の限りを尽くした物になるであろう。

 ()のような事はエリーナ自身は望んではいないと言えば、嘘になる。

 現状で十分に幸せであり、望外の待遇を隆之から与えられている。

 そう。エリーナ自身は与えられるだけの存在である自身が許せなかった。

 自分の役目は夫である隆之が道を踏み外してしまわないように(いさ)める事が義務付けられている。

 ()れが可能と言う事は隆之自身が認めてくれた。

 エリーナは眠り続ける隆之の右手をそっと握り、自らの左の胸元に添える。

 隆之の寝息と合わせるように自らの呼吸を繰り返した。

 少しの恥ずかしさと大きな嬉しさがエリーナの心を満たしてくれる。

 エリーナには数年で表面上は変わってしまったが、中身はどうしても変わらない夫である隆之が大好きだった。

 結婚する前はふとした事でも胸のときめきを覚えていたものだが、慣れとは恐ろしいものだ。

 この贅沢な暮らしにもエリーナは順応(じゅんのう)しているだけであり、更に贅沢な暮らしでも順応して行くのであろう。

 其れでも本心の部分で変わらない自信がエリーナにはあった。


「……タカユキ、愛していますよ」


 エリーナが呟くと共に、


「俺もだよ、エリーナ」


 と何時(いつ)の間にか目を覚ました隆之が答えた。

 寝ているものとばかり思っていたエリーナは少しずつ顔を真っ赤に染めて──


「……バカ」


 と返事をする事で誤魔化(ごまか)した。


「バカはないだろう、エリーナ? 君はバカと結婚したのかい? だったら、君も十分にバカだと思うよ」


 含み笑いをしながら、隆之はベッドから起き上がると、


「おはよう御座います、エリーナさん」


 と朝の挨拶をする。隆之は自分の右手がエリーナの胸元にあるのを悟ると数回揉んでみせる。

 程良い反発とすっぽりと右手に収まる感触が隆之には堪らない。


「私が悪いとは思いますが、無造作に揉まないで下さい。私だって、恥ずかしいのですから……」


 エリーナは(いま)だ自分の胸を揉み続ける夫に抗議の声を挙げる。


「いや、もう少し堪能(たんのう)させて欲しいな。俺が独占出来るのも時間の問題なんだし」


 隆之は左手でエリーナの腹部を指差しながら言いたい事を言う。


「……あなた、私は不安に思うのです、この生活に慣れてしまう事が。あなたと出会う前の食生活に今直ぐに戻れと言われたら、今なら未だ戻れます。(ひえ)(あわ)と少しの青菜(あおな)の入った雑炊が私には精一杯のご馳走でした。でも、あなたはそんな物を食された事がありますか? あなたはやはり最初から住む世界が違うと言いますか、全ての基準が私とは違うと思うんです」


 エリーナの独占を黙って聞いていた隆之は段々と豪勢になる生活に彼女が不安を覚えていた事が意外だった。


「そうだね、エリーナ。俺と君とは価値観がかなり違うと思う。でも、二人が歩み寄り、合わせて行くのが夫婦のあるべき姿だと思う。正直、俺は君にこの世の中の誰よりも贅沢な暮らしをして欲しいと言う思いがないと言えば、それは正直嘘になる。これから際限なく豪勢な生活が君を待っているかもしれないし、その日の糧に困る生活が待っているかもしれない。でも、どんな未来でも俺は君となら受け入れてみせる。俺一人ならば、耐え切れないけれど、君と二人だから幸せを感じる事が出来るんだよ」


 隆之の言葉にエリーナはゆっくり頷き、


「言う事はとても素敵です、タカユキ。でも、右手を動かさずに言ってくれた方がもっと私の胸に届きました。動かした方が伝わるとお考えならば、それは間違いだと言わせて頂きます」


 自らの胸元で動き続ける隆之の右手を冷やかな視線で見つめながら答えた。


「では、今日の朝食はご馳走にします。(ひえ)(あわ)の雑炊はタカユキも一度は知っておいて欲しい味ですから」


 エリーナがベッドを後にし、残された寝衣姿の隆之は渋い顔をした。

 しかし、直ぐにこの家には(ひえ)(あわ)等の雑穀は無い事を思い出し、起き上がる事にした。

 そして、何処(どこ)から手に入れたのか、実際に雑炊を出された隆之は夫の義務として「美味しいよ」と遠い目をして食べたのだった。

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