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魔王の美酒  作者: 白起
魔王の美酒 奪還編
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ヴァンの決意

【ヨルセンの村】の外れには今では無人となった石造りの家がある。だが、手入れが行き届いたその家は今でも在りし日の姿のままを見る人に伝えている。

 この家に住んでいた者達は村の恩人とその妻だった。彼らがこの村から連れ出されてから既に三年近くになるが、何時(いつ)彼らが戻って来ても良い様に誰が始めた訳でもなく村人全員がその家を守っていた。

 村人達にとって、彼らと過ごした日々は(まさ)に夢のような出来事だった。荒れるに任せていた畑には今では麦が青々と力強く根付き、村の豊かさを象徴している。

 これは一人の青年が村に(もたら)した奇跡……

 今ではその青年は悪しき魔人によって妻を奪われ、魔人の奴隷とされていると話に聞く。

 その青年は【魔王(ビス)美酒(ケス)】と言われる無限の魔力の保持者。村人達が恐れる魔人を統べる王を生み出せし災厄を(もたら)す者。

 だが、村人にはそんなことは関係が無い。青年が与えた物は災厄ではなく恩恵である以上、彼らがすべきことはその恩に報いることだったのだから……

 生憎の雨に見舞われた村でエリックは畑の様子を見た後、隆之とエリーナの家に向かった。彼は毎日の畑仕事の後で隆之夫妻の家とエリーナの両親の墓を見ることを日課としていた。

 (みの)を身に着けてぬかるんだ道を進む。エリーナの両親の墓の前に一人の少年が雨に打たれながら懸命に周りに生えた雑草を取り除いている。

 エリックの足音は雨に掻き消されて少年には聞こえていないようだった。彼は少年の後ろから近寄って声を掛けた。


「ヴァン、またここに居たのか……」


 エリックの声にヴァンは振り返りはしたが、直ぐに草取りを再開する。


「雨具も着けずにそんなことをしていたら風邪を引く。部屋に入ろう」


 ヴァンは手を止めることなく黙々と作業を続けている。その様子を見たエリックも(しばら)くは何も言わずに見守ることにした。


「エリックさん……終わったよ……」


 墓前でヴァンが立ち上がり、やっと口を開いた。彼は全身がずぶ濡れで手を泥で黒くしている。前髪で目が隠れて彼の表情がエリックには分からなかった。


「雨の日だと土が軟らかくなって草が取り易くなるから……だから、心配することでも無いよ……」


「そうか」


 エリックは自分の蓑をヴァンに掛けてやり、彼に家に入るように促した。


 隆之夫妻の家には未だに大量の食料と生活品が【カタール商会】によって届けられている。必ず来るであろう彼らの平穏な日々の為に全てが整えられているのだ。

 エリックとヴァンがタカユキ夫妻の部屋に入る。


「このままでは風邪をひいてしまう。服を脱いで身体を拭きなさい」


 エリックはヴァンの濡れた身体を拭くように告げると、台所でヴァンの為に白湯を沸かしてやる。ヴァンは黙々と身体を拭いており、部屋には焚き火の(まき)()ぜる音と小鍋の蓋が蒸気によって浮かされて奏でる音だけが響いていた。


「ヴァンは本当にそれで良いのか?」


 エリックはヴァンの方を見ることなく、ただ火の揺らめきによって起こる陽炎(かげろう)を見ている。(まばた)きをすることなく、火が視野一杯に拡がっていく不思議な感覚を味わっていた。


「エリックさんの言いたいことは大体分かるよ。でも、俺が一番丁度良いんだ。父ちゃんも母ちゃんも去年病で死んだ。父ちゃんは言ってた。恩には恩で返すのが人として当たり前のことだって……俺は、いや違う、俺たちはタカユキ兄ちゃんに命を救われた。命の恩には命で返す。今度は俺がタカユキ兄ちゃんとエリーナ姉ちゃんを救う番だよ」


 ヴァンの濡れた前髪から雫が垂れて、足元を濡らしている。


「分かった…もう何も言うことは無い…」


──俺が奴隷となって、【スフィーリア】のタカユキ兄ちゃんに会って計画を伝える──


 エリックがヴァンから打ち明けられた話を聞いた時、彼は初めは相手にしていなかった。それはあまりに穴だらけで上手くいく(はず)無い荒唐無稽(こうとうむけい)な話だった。

【ヨルセンの村】ではタカユキとエリーナを救出する為に村人全員で連日話し合っていたる。

 所詮(しょせん)は学の無い村人が集まった所で何の解決案が出る訳でも無かったが、彼らが二人を見捨てて自分達だけの幸福を望むことは無い。

 彼らが幸福になる為に絶対に必要な者達がこの村には居なかった。

 会合に変化が訪れたのはフランク・オットー将軍の配下の者達がこの村に訪れた時だ。

 彼らは村人達から【魔王(ビス)美酒(ケス)】がこの村でどのように暮らし、タカユキについて詳細に調べた。そのことで村人達の計画に具体性が加わり、実現の可能性を僅かではあるが高める物となった。

魔王(ビス)美酒(ケス)】の内応こそが彼らが企てた計画であり、その計画に将軍が食いついた。将軍にとってはこの計画は例え失敗したとしても数ある(はかりごと)の一つが頓挫(とんざ)しただけであり痛痒(つうよう)など感じることもないだろう。

 しかし、村人達にとっては命懸けの失敗の許されない希望そのものだった。


(ヴァン、お前はこの世界一の勇者だ。俺はお前がこの役目を言い出した時、何故か不思議には思わなかった。お前ならきっと奇跡を起こせるだろう。化物達にとっては俺達人間は脆弱(ぜいじゃく)で取るに足らない存在かもしれん。だが、大切な者を踏み(にじ)られて黙って従う奴隷などでは断じて無い。ヴァン、俺達にとって掛替えの無い二人を取り戻して来い)


【ヨルセンの村】の男達は次に起こる戦では全員が参加する。兵役免除の特権など誰一人として行使する者などいない。

 護るべき者を抱える男は常に一人の戦士だと言うことを証明する為に……

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