エルダール攻城戦
モール王国の王都であるエルダールは【暴虐ベアトリス】の命令を受けた四人の魔人の将軍の猛攻を受けていた。
彼らは四方向から各自城壁に向かって魔法を放ち、城壁を破壊している。魔法と言う長距離の攻撃に対してモール王国軍は弓矢を以て応戦しているが、戦況は目を覆うばかりのものだ。
魔人に対して有効打を持たぬ人間を嘲笑うかのように彼らは執拗に攻撃を繰り返している。落城は時間の問題であり、モール王国の滅亡が目前にまで迫って来ていた。
魔人に対して人間が降伏する事は無い。ましてや【暴虐ベアトリス】の率いる軍勢に降伏しても家畜としての生しか与えられないのであるならば徹底抗戦をする迄だ。
ベアトリスの配下の将軍が王都エルダールにいることは、マスタナにおいて【勇者】率いる王国の精鋭十万の軍勢が【暴虐ベアトリス】と戦っていると言うことに他ならない。
モール王国軍の希望は【勇者】が【暴虐ベアトリス】を退け、他国の援軍と共に魔人軍を撃退することにある。
それはとても小さくて見えなくなりそうではあったが、彼らにとっての確かな希望だった。
城内において戦える者は全て武器を取って戦っている。老人も女性も子供すらも魔人達に対して弓を放ち、兵士達を手助けしている。追い詰められた彼らは魔人達を城門に近づけること無く善戦をしていると言えよう。
「ねえ、母さん…皆死んじゃうの?」
城下の家の地下室で戦えない者達が隠れている。城壁が破壊される音にビクつきながら、一人の少女がその母親に尋ねる。まだ、物の善悪すら判断できない幼子は今の状況をあまり良く理解していなかった。
「大丈夫だよ。心配しなくても【勇者】様が悪い魔人共を退治してくれる。私達はここで【勇者】様が魔人を斃してくれるのをじっと待っていれば良いんだよ……お前は良い子だからじっとしていられるね……」
母親は恐怖から少し震えつつも、気丈に娘を安心させるように答えた。
「うん、分かった。良い子にしてる……」
少女は母親に無邪気な笑顔を向けて答える。その顔を見た母親は泣きそうな顔をした。
(お願いします、神様! 私はどうなっても構いませんから、この子だけはお守り下さい! どうか、どうか、我らに御加護をお与え下さい……)
母親は少女の頭を力一杯抱きしめ、少女は痛かったが黙って母親のされるがままにしていた。
◆◆◆
【暴虐ベアトリス】はマスタナの陣を引き払い、既に将軍たちの軍と合流していた。
彼女は配下の兵二千の内半分をマスタナに残して捕虜の世話をさせている。たった一千の軍勢でも武器を取り上げられた人間は例え数万いたとしても話にはならない。
ベアトリスはエルダールの南側に本陣を設け、椅子に腰掛けて采配を振るっている。彼女の左隣には【魔王の美酒】である隆之が控えていた。
「日頃の行いとは言え、やはり予に対して人間は徹底抗戦してくるな……普段ならば娯楽として楽しめるのだが、流石に今回はそなたとの約束がある故、聊か難儀よな……」
ベアトリスは今回の城攻めにおいて如何にするかを悩んでいた。いつもの彼女なら城壁の人間ごと吹き飛ばしてから部下に突撃させるのだが、城内の人間をなるべく傷つけないことを隆之との約定としていた為に有効な策が見つからないでいる。
「ベアトリス……あまり私に配慮なさらないで下さい。一度だけ降伏の使者を送って頂ければそれで私は構いませんので……」
隆之は手を後ろに組み、直立不動で彼女に答える。視線はエルダールに向けられて固定されており、瞬きすらも少ない。
「私の名前では城内の者が信じないであろう……無駄なことよ」
【怠惰シンクレア】と違い、ベアトリスは人間と約束をしたことは無い。
ベアトリスも一度交わした約束は守るのだが、人間を相手に約束を交わした前例が無いので城内の者達は決して彼女の言うことを鵜呑みにはしないだろう。それ故に彼女は無駄であると判断した。
「前例は一度作れば良ろしいのでは? 必ず約定を守ることを明記して頂けるなら私が使者となります。【怠惰シンクレア】の配下である私が赴けば悪いようにはならないかと思いますが……」
その隆之の提案にベアトリスが間髪入れずに答える。
「却下だ、タカユキ。そなたを使者に出し、人質とされた場合は私はあの者達を殺すだけでは済まぬ……必ずや生きていることを後悔させて考えられる苦痛を与えてから魔獣の餌とするだろうな」
ベアトリスには隆之が降伏の使者となる事など考えられない。彼に万一のことを想像するだけで胸が激しく痛み、怒りが湧いてくる。
隆之はベアトリスを見て、少し困惑した顔を浮かべながらも次の策を考えている。
「では、彼らの希望を奪った後に使者を出して下さい。【勇者】を城壁の上にいる将兵達に見せてやれば、彼らも諦めるかもしれませんので……」
「ほう……中々に面白い策ではあるな。では、降伏の条件は我らによる王族の処刑を受け入れるならば、城内の民には手出しをせぬ事を明記しよう。こればかりは許せよ。明確な勝利の証が無ければ部下も納得せぬ故な。期限は使者を出した翌日の日没までとする」
「はい、私はそれで構いません…」
(戦況は明白なのだから城内で裏切りが発生する可能性も大いにあるだろう……)
隆之はベアトリスに礼を言い、視線を城壁に戻す。彼は王族全員の命で民が救えると言う条件を上層部が頷くとは思わなかったが、多くの人間を救えるこの唯一の方法に目が眩む人間も城内にいるだろうとも推測していた。
戦場において彼は冷酷で残忍な心を見せ始めている。隆之は以前の自分とは違った今の自分に戸惑いながらも自分自身と向き合うことを決めている。
変わらないの彼の妻である【エリーナ】だけであり、隆之自身は流れゆく時の中で変わらないとは彼自身思っていなかった。
魔人達の攻撃が中断され、マスタナより運ばれた彩人の磔となった柱が城兵に良く見えるように設置される。
その効果は絶大であり、【勇者】である神田彩人の無残な姿をまじまじと見せ付けられた城兵達は自分たちの唯一の希望を絶たれたことで絶望の淵に立たされる。
その後でベアトリスの側近の一人が城兵に向かって口頭にて降伏を迫り、降伏の条件を伝える。王族全員を魔人の手によって処刑させる等とても納得の出来る条件ではない。
しかし、降伏を受け入れない場合城内の者全てに【暴虐ベアトリス】の名の下に最高の恐怖と絶望を与えるとの言葉に城兵全てが震撼した。
この時全ての城兵が祖国の滅亡を事実として受け入れ始め、武器を落として泣き崩れる。
高祖ヨシマサの建国したモール王国が三百年近き歴史に終止符を打とうとしていた。




