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魔王の美酒  作者: 白起
魔王の美酒 奪還編
30/88

暴虐ベアトリス

 モール王国は勇者をその始祖と仰ぐ二大王国の内の一国であるが、長引く戦争と魔人の侵略により、その国力は往時に比べると大きく減退をしていると言わざるを得ない状況だった。

 先の「トマール防衛線」で魔人に対して歴史的な勝利を収めたライオネル王国とは違い、魔人によって領土は荒らされ、更にライオネル王国への賠償金の支払いにより民は塗炭とたんの苦しみを味わっている。

 そのモール王国に【勇者】が召喚されたとの知らせは大陸を席捲せっけんする。

 神殿の大神官長に女神スフィールド様よりの御神託があり、【勇者召喚の儀】が成功したとの噂が王国の至る所で流れていた。

 噂の真偽はいまだ定かでは無いが、【勇者】の召喚に成功したとあれば魔人の一人である【暴虐ベアトリス】の脅威から国を護ることに繋がる。【魔力結界】の効果が薄れ、魔人に対する国防に疑問が生じた現在においては確かな朗報と言えた。

 よって、【暴虐ベアトリス】の度重なる人間狩りに国民の多くが流民となり、他国への人口流出を招いたモール王国は国威向上の為にも各国に向けて事実を発表をしなければならない。それにも関わらず、(いま)だそれを行わないことは召喚に失敗した証拠だと言う意見も真しやかにささやかれていた。

 それでもなお、絶望の中にいる民衆は自らの信じたい物を信じる。始祖「ヨシマサ」の再来を待ち望んでいた彼らはこの噂に希望を見出していた。

 今生の【勇者】が始祖「ヨシマサ」とは比較する事すらはばかれる凡愚ぼんぐだと言うことを疑いもせず……


 ◆◆◆


【爵三位貴妃ベアトリス】は人間の奴隷によって建築された壮麗そうれいな【アスディアナ宮殿】の奥に謁見の間を設けており、多くの下級魔人を従えた自分こそが王であるかのように自らを誇示している。

 この宮殿を建築する為に集められた奴隷は約二十万人に上り、奴隷達と魔獣が約五年の歳月を掛けてこの宮殿を完成させた。そして、宮殿完成後に用済みとなった人間達は魔獣の腹の中へと収められていった。

 彼女の治める【ルーディア】において、人間の利用価値等はその程度の物に過ぎない。

 彼女の領地であるルーディアはモール王国と同じく北に位置する為に寒冷な気候であり、領地の殆どが針葉樹林の森となっている。

 南のスフィーリア領主である【怠惰シンクレア】が人間に対して比較的寛容な態度で臨んでいるのに対して、ベアトリスは苛政かせいと言うのも生温い残虐な態度で人間を統治している。

 彼女は人間を完全に家畜としてとらえ、その人格などは問題としない。彼女の軍に捕らえられた人間は悲惨な末路が待っていた。

 ルーディアで生きることを許された人間は魔獣用の食料種・魔力提供種・労働種・繁殖種の四つに大別されている。

 彼女が人間に対してあまりにも頻繁ひんぱんに人間狩りを行う為にモール王国との領土境には村一つ存在しなくなってしまっていた。

 彼女は同階級である【怠惰シンクレア】が人間に対して甘過ぎ、あまつさえ元人間を側近として重用している事には我慢がならなかったが、二人の関係は悪くない。概ね良好であると言えた。

 ベアトリスは毎年欠かさず、シンクレアの愛竜クリームの好物である子供を百人程進呈しんていしており、それに対する答礼としてシンクレアはベアトリスに数年に一度の狩で捕れた上質の人間を全て贈答している。

 しかし、今年のシンクレアからの進物は滅多な事では驚かないベアトリスの意表を突く物だった。


「それは本当なのか?」


 配下からの報告を受けたベアトリスの第一声がそれだった。

 彼女の配下の者達は全てが魔獣出身の下級魔人達であり、一応の人型ではあるが、その姿は異形の集団と言って良い。その中でも竜人種と呼ばれる者達が彼女の親衛隊とされる栄誉を受けたエリートだった。


「はっ、この度の進物の目録の中に次の人間狩りが終わる(まで)との但し書きはありましたが、【】が書かれておりました」


「おお……」


 報告者の次なる言葉に周囲の魔人達も思わず感嘆の声を挙げた。


 玉座に座るベアトリスは陽光の少ないこの北の大地に似合わぬ褐色の肌をしており、銀の髪を肩でそろえ、男装をしている。

 その報告を受けたベアトリスの琥珀色こはくいろの瞳が輝きを帯び、紅い唇が半月にゆがんだ。


「今年のシンクレアからの進物はこれまでに前例の無きことゆえ、返礼の品を揃えるのが難儀になりそうじゃ。今年はモールを滅ぼし、その全ての民を奴婢としてシンクレアに進呈せねばなるまいて……」


 ベアトリスにはシンクレアの思惑が分からなかったが、伝説の【】を馳走してくれるなどの破格の礼に対しての対価となれば、それくらいは支払わなければならないであろう。


「おそらくは血の数滴とは言え、空前絶後の進物よのう……」


 ベアトリスが豪華な宝石箱に入れられた【】の味を夢想して心を躍らせていると、側近が更に信じられない報告を続けた。


「いえ、ベアトリス様……シンクレア様より【】様、御本人を遣わすとの仰せにございます」


「何じゃと!」


 ベアトリスは側近の報告に声を荒げて反応する。彼女には到底信じられぬことだった。


「更に魔王としての覚醒を望まれぬのであるならば、一週間に一度は【】の血を飲むことも辞さぬとの仰せにございます。いやはや、シンクレア様が物惜しみをされないのは有名でございますが、これはちと信じられませぬな……」


 報告者は目録を食い入る様に見つめ、信じられぬ贈答品を確かめる。しかし、彼が何度見てもそこには【おうしゅ】の名が記してあった。


「いや、許可をくれると言うならば、遠慮無く頂こうではないか。その血の数滴で万の人間に匹敵すると言われる【】を堪能たんのうさせてくれると言うのに断る理由はあるまいて……」


「御意」


 ベアトリスは気怠けだるげに右手を振り、側近達を全て下がらせる。彼女一人残された謁見の間で【】に想いをせる。


(義正……そなたを想い、焦がれ、十万の太陽と月が交差した……そなたは忘れたやも知れぬが、わらわは決して忘れはせぬ。義正、そなたの望み、此度こたびこそ必ずや叶えてみせる……だから、私を思い出して……ただ、それだけで私は……)


「今年、【勇者】が【モール】に現れたと聞く。【】には及ばぬが、シンクレアだけに馳走を独り占めさせる訳にはいくまい。シンクレアの狙いは【】を【勇者】の血によって更なる熟成を図ることにあるのであろうな……それでは私はその言葉に甘え、処刑した【勇者】の血肉を配下に下賜かししたのちにより芳醇ほうじゅんとなった【】の一番物を勝利の際には頂くことにいたそう」


 彼女の想いと紡ぐ言葉の乖離かいりを気付く者はいない。


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