20、動揺
前半アレクシア視点、後半はライナス視点です。
ルイさんとディアさんに尋ねられ再度囮の許可を申し出た後は、一度解散となり、ルイゾン様は私をライさんに送るように指示しされたため、私はライさんと二人で歩いている。
ルイゾン様の執務室から家に着くまで、一言も話さなかった。人通りが思った以上に多かったのだが、ライさんは私を気にしてくれたのか、私の一歩前を歩いている。お陰で人混みが割れたので、少し彼が早く歩いていても私はそれについて行くことができたのだ。
家の扉の前に着くと人通りは少なくなっていた。私は鍵を開けて扉を開いた後、送ってくれたライさんにお礼を伝えようと振り向く。
するとそこにはすさまじい形相でこちらを見ているライさんがいた。
何が気に障ったのだろうか、私には分からなかった。だからその場から逃げ出したくて、私は頭を下げて扉に手をかけたのだが、その前にライさんが私の手を取り、扉を閉めた後店の中にズカズカと入って行く。
そして店舗の奥にある部屋に入ると私の身体を左手で壁に押し付け、右手は私の顔の横に音を立てて叩きつけた。
私は壁に押し付けられた状態で、斜め上にあるライさんの顔を見つめることしかできない。後は壁、前はライさん、左右に逃げようとしても、彼の手が邪魔で身動きが取れなかったからだ。
その状態になってどれくらい経ったのだろうか……とても長く感じていた私は、ふと顔の横に置かれているライさんの手が僅かに震えていることに気づいた。
「ライさん……どうしました?」
声をかけたことで、私の頭は少しずつ冷静になっていた。改めてライさんを見ると、彼を支配しているのが怒りの感情だけではないことに気づく。
だが、何故このような感情を私に向けるのかが分からない。困惑している私に、ライさんはポツポツと話し始めた。
「シアさん、なんで囮になるって言ったの?」
いつもとは違い、声色は低く震えている。心配してくれているのだと思い、私は努めて明るく話すことにした。
「それが帝国への恩返しになるかと思いましたので……大丈夫ですよ、ライさん!精霊さんたちもいますから!」
モーズレイ侯爵が私を殺害する事はない。最悪、そのような事があっても逃げ出すだけだ。以前ザリバーが持っていた魔力吸収の腕輪対策もエアルたちと考えているし、今のところ大丈夫だろうと思っているのは本当だ。
元気付けるために両手の握り拳を胸の前で合わせると、ライさんは一瞬悲しげな顔を見せる。そして――。
「きゃっ」
思わず声が出てしまったのは、仕方ないと思う。……私は今ライさんに抱きしめられているのだから。
背に回された手には力が入っていて、私の力では抜け出せない。されるがままの状態だ。
私はライさんの胸に顔を埋めているので、彼がどんな顔をしているのかは分からない。一方で私はと言うと、いきなりのことで頭が混乱状態だ。
好きな人に抱きしめられて、「何故」という思い。そして「嬉しい」という感情。これらが混ざりあい、私は言葉を紡ぐことができない。
助けを求めようとしても、エアルとディーネは話が終わり次第実体化を解いていた上、疲れたからか台所にある購入したお菓子を頬張っている。勿論、ウルもグノーもそちらにいるので、彼らに助けてもらうことは難しいだろう。
抱きしめられてしばらく時間が経ち、再び落ち着きを取り戻し始めた頃、ライさんがぽつりと話し始めた。
「僕は……僕は反対だ。妹さんの件ならまだしも、君が……シアが囮になる必要はないんじゃない?」
私の背中に回っていたライさんの手が、私の肩に添えられる。と同時に、私とライさんの視線が交わった。彼は私を見て寂しそうな顔をしている。
私はその顔を見て、何も言えないでいた。
見つめ合うこと数秒、先に目を逸らしたのはライさんだった。
「いや、ごめん。何でもない……このことは忘れてほしい」
そう彼が言うと同時に、私の肩に置かれていた手が離れて行く。ライさんの手の温もりが離れていくことを私は名残惜しく感じていたが、かける言葉が見つからず行き場のない手が、中途半端に彼に向けて伸びているだけだ。
ライさんは私に背を向けて店舗に繋がる出口へと歩いていく。
いつもなら振り返って手を振ってくれる彼が、今日は一度も振り返ることなく店舗に消えて行く。
そして店舗の扉に付いている鐘がカラン、となった瞬間、私は身体の力が抜けて床に座り込んでいたのだった。
***
ライナスは一人、家で酒を煽っていた。
彼は付き合いで酒を飲むことはあるが、一人で酒を飲むことはない。だが、今日は飲んでいなければやっていられないと思うくらい、心がかき乱されている。
ライナスは一人暮らしであるため、彼を止める者はこの家にはいない。置いてあったワインを一本開け、二本開け……陽が落ちる頃には既に三本目の赤ワインを開けていた。
酒を飲んでも飲んでも脳裏に浮かぶのは、泣きそうな顔をしていたアレクシアだった。
彼が思わず「囮になる必要はない」と言った後、彼女の瞳には涙が滲んでいることに気づいたのだ。そのため、ライナスはアレクシアを傷つけたと思い、彼女を見ることなく帰ったのである。
「くそっ」
飲み終わったグラスにワインを注ごうと瓶を傾けるも、既にその瓶は空になっていた。四本目のワインボトルに手を伸ばした時、遠くで扉を叩く音が耳に入った。
ライナスは四本目のワインをテーブルに置き、扉に向かって歩いて行く。この家を知っている人間は、父であるルイゾンとリネット含めた警備隊の隊長格くらいである。勿論、アレクシアも知らない。
不思議に思いながらも扉を開けると、そこにはルイが立っていた。
「よう、ライナス。元気か?久しぶりに……ってお前、もう飲んでるのか?」
「うるさい、元凶。おい、なんで僕の家を知ってるんだ」
「それは勿論、調べさせたからに決まっているだろう?」
そうだ、ルイはそういう奴である。優秀な帝国の諜報員なら、家を見つけることくらい簡単だろう。
「まぁ、いいよ。入れば?」
「はは、断られても入るつもりだったぞ」
そう言ってズカズカと遠慮なく入ってくるのは、本当に昔と変わらない。ルイはまるで何度も来ている家であるかのように、先程までライナスが飲んでいたテーブルの椅子に腰掛けていた。
そして訳知り顔で、こう話す。
「ライナス、お前荒れてるな。どうしたんだ?」
ニヤリと笑いながら、こちらを揶揄おうとしているルイを見て、ライナスは手元にあった空瓶を投げつけたのだった。
その後もライナスはルイに勧められるがままに酒を飲んでいた。ライナスもいくら酒に強いとは言え、ザルというわけではない。いつの間にかルイに酔わされたライナスは、彼に怒りをぶつけていた。
「何故シアが囮にならないといけない?」
その言葉を聞いて、ルイは彼が最初に言った「元凶」の意味を理解する。
ルイだってアレクシアを囮に使うことを内心戸惑っていたのは事実だ。だが、彼女の揺るがない決意がこもった瞳を見て、彼女の決意を無碍にする必要はないと感じたから採用したまでだ。
勿論、これが一番手っ取り早そうだという思いもあるが。
ルイは考えに耽っていたことに気づき、改めてライナスを見る。するとライナスは悲壮感漂う顔で酒を煽っていた。そしてポツリと吐き捨てる。
「……それ以上に僕が彼女の役に立てないことが許せない。何が……金級冒険者だ。好きな子を守ることもできないなんて……僕は……」
最後の言葉は声が小さくて聞き取ることができなかったが、ライナスは自分の不甲斐なさに怒りを感じているのだろう、ということを理解した。
そして表情には出さないが、ルイはライナスの様子に狼狽えていた。
ライナスは容姿も良く、頭も良い。そして何事も卒なくこなす人間だ。帝国にいた時も、多くの女性の視線を奪い、告白してきた女性も両手では足りないくらいいた。
だがルイが知る限り、告白されても一度も付き合ったことがない。一度何故付き合わないのか聞いたことがあるが、返答は「興味がない」だったか。
そんなライナスがアレクシアのことで頭を悩ませているのだ。友人のこんな姿、見たことがなかった。
「なあ、ライ。お前、そんな奴だったか?」
「どういうことだ」
「いや、俺が知っているライは、女にキャーキャー言われたら笑顔を振りまく奴だと思っていたんだが」
「それだと僕が女たらしに聞こえるんだが」
「実際そうだろう?」
「いや……そんなつもりはなかった……」
声がどんどん小さくなっていく。思い当たる節があるのかもしれないが、ライナスには気づいてほしい。ルイが悪い顔でニヤニヤライナスを見ていることを。
ルイの願いが通じたのか、ライナスは顔を上げた。そして笑うルイを見て、ライナスは眉を顰める。
「ルイ……僕を揶揄っただろう?」
「気づくのが遅いんだよ」
ため息を吐き、頭を抱えるライナスを横目で見ながら、ルイは酒の入ったグラスに口をつける。
「なあ、ライ。お前、シア嬢のことが好きなんだろう?」
「……」
ルイの言葉に無言を貫くライナスだったが、顔が真っ赤になっている時点で隠しきれていない。
「だったら、もう少し堂々と構えていろよ。彼女の決意を無碍にする気か?……確かに好きな女が自ら危険に飛び込むのを止めたい気持ちは分かる。だが、今回の件は俺らだって全力で動く。彼女を五体満足でお前の元に帰すことを約束する。……だからお前もできることをやれ」
ライナスは静かにルイの言葉を聞いている。揶揄うこともなく、生真面目に話すルイの言葉はライの胸に響いている。
「それに人、一人の力は微々たるもの。全てを一人の力で解決することは不可能だ。お前にはお前の役割がある……彼女の婚約者という役割がな。そんなに荒れている暇があったら、彼女が妹と対峙する時に守ってやれるように出来る事をしておけよ」
「……その通りだな」
ライナスは視線を腕に落とした。その視線の先には、アレクシアから貰った腕輪がある。ふと彼女から腕輪を貰った記憶が蘇り、彼女が顔を真っ赤にした姿が思い浮かんだ。
「彼女の側に立てるように……」
呟いた言葉をルイは聞き取ることができなかったが、ライナスの瞳を見れば立ち直ったのだろうと察することができた。
「……世間は厳しいな」
親友の好きな人を略奪するつもりはない、と少しだけ芽生えていた好意をルイは胸の内に隠すことを決めたのだった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
恋愛ターンに入りました。ここから数話はアレクシアとライナスの恋愛模様をお楽しみ下さい。
*変更箇所について。
第48部分の「10、ネルとの会話」部分でお店の場所と営業時間の変更をしています。
表通りのカフェ→変更後:裏通りのカフェ
昼・おやつ・夜と提供するメニューが→変更後:朝、昼、おやつと提供するメニューが
追加部分:そして夕方でお店が閉まるそうだ。
よろしくお願いします。




