15、爺の昔話 前編
「王都で何かが起こっておりますのぅ」
嵐のような二人が去った後、私とライさんはしばらく呆けていたが、爺のその言葉で固まっていた頭が動き出した。
「バイロンさんは、この件について何かご存知なのでしょうか?」
「いえ、儂も殿下達以上のことは知りませんな」
爺は手に持っていたカップで紅茶を飲んでいる。まぁ、もしルイさん達の知らない事があれば、あの場で話しているはずだろうから、この答えが返ってくるのは当然といえば当然か。
だったら、私がずっと疑問に思っていたことを聞いてみようか。
「ねえ、爺。教えて欲しい事があるの。何故母は父と結婚したのかと、何故私はハリソン様と婚約したのかという事を知りたいわ。だって、私は元々公爵家を引き継ぐはずだったのでしょう?ハリソンと婚約したところで、白紙に戻るならどうして婚約などしたのかしら?」
当時は全くそんなことを考えたことはなかったのだが、今思えばおかしな話である。結婚しないのに婚約するなんて、意味があるのだろうか。
それを聞いた爺は、「ふむ……」と呟き、考え込む。もしかしたら何か言えない事情があるのかもしれない。
「言えなかったら別に良いのだけれど……」
「いえ、別に話すことはできるのですが、どう話そうかと考えていたのですよ」
「それじゃあ、僕は出ていった方が良いよね……ってシアさん?」
身内話なので気を遣ってかライさんは立ち上がり、扉に向かおうと私に背を向ける。私は咄嗟に彼の服を掴んでいたようで、進行を妨げてしまう。
「シアさん?」
「……ライさん、私の事に巻き込んで申し訳ないとは思うの。だけど……一緒に聞いてもらえないかしら……?」
いつかは聞かないといけない事だと思っていた。だから爺にはああ言ったが、正直まだ少し王国の話を聞く事に抵抗があるらしく、私の手は震えている。
服を握る手が震えている事に気がついたのだろうか、ライさんは私に笑みを向けて、椅子に座り直した。
「僕で良ければ、いつでも巻き込んでくれて良いよ。バイロンさん、僕も一緒にお聞きしても宜しいですか?」
「勿論いいですぞ。お嬢様のお願いですからなぁ」
そう言いながら、爺は私とライさんのカップに紅茶を注いでくれた。私はその紅茶を一口飲むと落ち着いてきたらしく、手の震えも止まっている。
その事に気づいたのだろう。爺はこちらに笑いかけた後、手を顎に当てながら話し始める。
「そうですねぇ……まずはカロリーナ様とバート殿の話からしましょうかのぅ……」
こうして私の知らない父と母の話が始まるのだった。
「まず、儂が公爵家に料理人として採用されたのは、お嬢様の母君であるカロリーナ様が結婚する数年前ですな。なので、それ以前の話はカロリーナ様からの又聞きと儂が調べた内容になりますが、宜しいですかな」
私がこくん、と頷けば、爺も首を縦に振って話し始めた。
「……カロリーナ様の最初の婚約者はホールデン侯爵家の次男……ラッセル殿でした。ホールデン侯爵家のラッセル殿はとても優秀と周囲から評価されていましてね。当時、学園の試験を受けさせれば、5位以内に入るのは当たり前。剣や魔法も使いこなし模擬試合では右に出るものなし、と言われていたそうですよ。カロリーナ様とも仲睦まじく、これならベルブルク家も安泰だと、当時のベルブルク公爵……お嬢様の祖母にあたる方で大奥様ですな……も言っていたらしいですな」
確かバート公爵代理はホールデン侯爵家の三男だったはず。何かが起こって婚約者が入れ替わった、という事だろう。そう考えた私の予想は当たっていたらしい。
「ですが……彼は卒業目前で、不慮の事故に遭い天に召されてしまったそうです。そしてカロリーナ様には悲しむ暇もなく、次の婚約者が宛てがわれたのですな」
「それが……バート公爵代理だったのですね……」
確かに公爵家は王国内で王族以上の地位を確立している。次期公爵の婿がいないのであれば、すぐに婚約者を宛てがうのは不思議ではない。
「ちなみに、当時は他に候補はいなかったのですか?」
「ライさんの疑問も尤もですなぁ。儂もそれを思ってカロリーナ様に聞いたのですが、公爵家に婿入りする者は、侯爵家以上と決められているそうでして、当時婚約者がいなかったのはバート殿だけだったようですのぅ」
王国では家を継ぐ上で一番重視されるのは、血筋だ。それもあって侯爵家以上と婚約するようにと決められているのだろう。
「まあ、同じホールデン侯爵家でしたから、都合が良かったのもあると思いますぞ。当時バート殿には恋人が居たらしいですが、カロリーナ様と婚約が決まり別れたそうですな。恋人は伯爵家の令嬢だったと聞いていますが……バート殿も最初はこの結婚に喜んでいたらしいですぞ」
国の最高権力を持つと言われるほどの公爵家に婿入りできるのだ。権力に魅力を感じる人なら、喜んで婿入りするかもしれない。なんとなく公爵代理もそのパターンである気がする。
「ですが、優秀と称されていたラッセル殿と比べて、バート殿の学園での成績は中の上くらい、剣と魔法もそれなりだったそうですぞ。学園では『もっと努力すれば上位に入る事ができるだろうに』と当時担当されていた教師に惜しまれていたとか……」
爺の声が少しだけ震えている。昔のことを思い出して、涙を零しているのだろうか。薄らと目に涙が滲んでいるように見えた。
「カロリーナ様はこう言っておりましたぞ。『バートは昔からラッセルと比較されて生きてきたの。彼と比較される事がバートにとって一番嫌いな事だ』と。公爵家に入ったバート殿を待っていたのは、大変厳しい大奥様の指導でした。そして毎回『兄ならこれくらいできた』と言われ続けたそうですよ」
……ミラも私と比較されて生きてきたのだろうか。だが、母は贔屓する人間ではなかったと思う。母というよりは、先輩愛し子としての指導だったように感じる。
母は私たちに触れる事がほぼ無かった。私も一度だけ、魔石に魔力を込めることができた時だけ、頭を撫でられた覚えがあるが、それだけだ。
勿論、ミラもそれが出来た時、母に頭を撫でられていたが……。
もしかしたら知らないところで彼女も比較され続けていたのかもしれないと思ったところで、ライさんが話し始める。
「成程。シアさんの父は昔から優秀な兄と比較されていたと。……能力があるのに努力しなかったのは、言い訳を作るためなのかもしれないな」
「言い訳……ですか?」
「そう。努力をしていないから、兄には勝てなかったんだ、と自分に言い訳をしたんだ。これが、彼の身の守り方だったのかもしれない」
その言葉を聞いて、すぐに納得できたのは、公爵代理……父が母から逃げ続けていたのを見ていたからかもしれない。小言を言う母ではなく、可愛がっている娘に逃げたのだと考えたらすんなりと理解する事ができた。
「そうかもしれませんな。ですが、大奥様はそんなバート殿の気持ちを汲むことなく、むしろ踏み躙った指導を続けたのですよ。『お前の兄はこれくらいできていた、何故出来ないのか?』と言い続けていた、と聞いていますぞ」
なるほど、公爵代理の祖母嫌いはそこから来ているのだろう。だから似ている私も受け付けないのかもしれない。
「まあ、大奥様も公爵家存続のために必死だったのでしょうな。努力しないバート殿に発破をかけるために、ラッセル殿の事を出したのでしょうが……それが逆効果だったのでしょう。大奥様との溝は深まるばかりでしたのぅ。数年後に大奥様と大旦那様が流行病で亡くなられた後は、落ち着いていたのですが、変わったのはお嬢様達が生まれてからです」
……私が祖母の容姿を受け継いだから、だろうか。それが憤怒を再燃させる原因となったのだろうか。
「大奥様の髪と瞳の色を引き継いだお嬢様は無視し、妹のミラ様だけを溺愛し始めたのですよ」
「その時、シアさんのお母様は何も言わなかったのですか?」
「いえいえ、何度もバート殿に注意をしておりましたのぅ……しかし彼は耳を傾ける事なく、彼女の注意も無視したのですな。そして数年後には訪れることさえしなくなりました」
「お母様は私たちを産んでから、動けなくなってしまったの。きっとお母様の部屋に行けば小言を言われると思って避けていたのでしょうね」
きっと私が祖母の色を持って生まれた事で、父と母の溝も深まっていったのだろう。それを思うとやるせない気持ちになる。
そう思った私は、知らないうちに膝の上で握っていた手が震えていたらしい。俯いていた私の目に、誰かの手が映し出され、その手は私の手を握りしめてくれる。
ハッとその手の持ち主を見れば、それはライさんだった。ライさんと目が合うと、彼は笑顔でにっこり微笑んでくれる。その笑みを見て、私の中の悲しみは少しだけほぐれたような気がした。
「カロリーナ様はバート殿に再三言っておりましたな。お嬢様を無視するな、ミラと平等に扱うように……と。その言葉が増えたのは、ミラ様がカロリーナ様のところに来なくなってからですな」
「……来なくなった、とは?」
「ミラと私は母から精霊の愛し子としての心得を幼い頃から教わっていたの。最初は二人で習っていたのだけれど、いつの間にかミラはその授業の時間に来なくなったのよ……もしかしたら、それも私のせいかしら?」
魔石に魔力を込める事ができたのは、私が先だった。それがミラにとって気に食わなかったのだろうか。そう言えば、爺は頭を横に振る。
「いえ、それが1番の原因ではありませんな。確かに原因のひとつかもしれませんが……カロリーナ様はお二人を平等に扱っておりました。お二人に触れるのは、言われた事ができた時だけでしたからのう。執事殿も『母としてお二人に触れてあげてください』と話しておりましたが、頑なに彼女はお二人に触れませんでした」
爺の言う通り、言われた事が出来た時に頭を撫でられたのは覚えている。いつも穏やかに笑っていた母だったが、愛し子の指導の時だけは、表情を固くして指導を受けた記憶があった。
「ですが、バート殿は違いました。あからさまにミラ様を贔屓して、欲しいものはなんでも買い与えたり、求められたら抱きしめたり……ミラ様は不満を募らせていたようですな。『なぜお父様は可愛がってくれるのに、お母様は可愛がってくれないのかしら?』と。その不満が爆発した頃に、バート殿がミラ様にこう話したそうです。『そんな愛し子の授業など受けなくていい』と……」
その言葉に目を見開く。私は現在精霊たちの力を使っているから分かるが、この力は訓練なしで使えるものではない。母の指導は愛し子として力を振るうのに必要不可欠なものだと今なら分かる。
だが、その授業を受けなくていいなどどの口が言うのか。
「その時からミラ様はカロリーナ様の元へ行かなくなりました。そしてその会話を知ったカロリーナ様はバート殿に愛し子について伝えるために、あらゆる手段で会話を試みたそうですな。ですが、全て失敗に終わりました……その後もミラ様は変わる事なく遊び呆けていたので、カロリーナ様はお嬢様を次期当主にする事に決めたのです」
「……ちょっと待ってください、ひとつ良いですか?最初から当主は長女のシアさんと決まっていた訳ではないのですか?」
「その通りです。カロリーナ様曰く、『当主を継ぐのはどちらでも良い』とのことでした」
その言葉に驚いたのは、私も同じだった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
明日も爺語りがメインの話になります。お楽しみに!




