13、帝国の皇子
最初に言葉を紡いだのはライさんだった。
「こ……こん……婚約者?」
ライさんは黒髪の彼を指差して、私に顔を向ける。その顔は真っ青だ。しかし、私も混乱の極みに達しており、彼を気遣うことが出来ない。
「わ、私に婚約者など居ないはず……いえ、居たとしても、キャメロン様の時の話……その話は、キャメロン様が亡くなった後、立ち消えたと言われて……」
困惑で考えていることをぶつぶつと呟いていたらしい。隣で私の独り言を聞いていたライさんは、私に婚約者なぞいない事を理解したのか、目の前の男性に鋭い視線を送る。
だが、彼はそれをものともしない。鼻で笑っているだけだ。
こんな状況がいつまで続くのか、とこう着状態になり始めた頃、救世主が現れた。
「おや、殿下。お戯れはそこまでにされたら如何ですかな?」
後ろを振り向けば、爺がカップを持ちながらこちらに歩いてくる。
そして爺の言葉で納得がいく。以前王妃教育で皇帝一族の絵姿を見たことがあるのだが、その時に見た皇帝の姿に似ているのだ。だから見覚えがあったのだろう。
胸の突っ掛かりが取れて安堵していると、爺の姿を見た彼は嫌そうに眉を顰めた。
「なんだバイロン。お前もいたのか」
「ほっほっほ。殿下のお父上の命ですからのぅ」
「もう少しライで遊べると思ったが、ネタバラシされてはつまらんな」
と言って、彼は私とライさんに目線を戻す。
「俺はアーノック・ルイス・ギルグッド。帝国の第三皇子だ。そこのライとは、帝国内で一緒にパーティを組んだ仲だ。そのときはルイと名乗っていた。ちなみに俺はアレクシア嬢の元婚約者候補でもある」
得意げに言い放つ彼の顔を見て、厄介ごとが舞い込んできたのではないか……と一瞬考えてしまった。
その思考を追い出すために、婚約者候補なんて居たんだな、と場違いな事を考えていたのは内緒だ。
時間が経ち落ち着いた私は、外の騒々しさが増したことに気づく。ライさんと殿下に断り、ドアの外にある看板を「閉店」に直した後、全員を奥のスペースに招き入れた。
律儀なことに、お腹が空いているだろうからと殿下自ら屋台で幾らか買ってきてくれたらしい。それをお皿に出しながら、私はお茶の準備をする。
準備をしながら私がお茶の好みを聞くために「殿下」と声をかけたのだが、「殿下は好かん、ルイと呼べ」と言われたので、私もルイさんと呼ぶことになった。
「で、ルイ。どうして共和国に?」
むすっと不機嫌なライさんがルイさんにそう尋ねた。
ライさんとルイさんが知り合いなのは、ライさんが帝国に留学していた時のパートナーだったかららしい。その時出会ったのが彼で、二人はすぐに意気投合し、空いている日には依頼を受けたりダンジョンに篭るなど……冒険者もしていたそうだ。
その時学園で帝国貴族のマナーも学んだらしいのだが、飲み込みの良かったライさんを面白がったルイさんが、上位貴族にも匹敵する礼儀を教え込んだため、学園では「共和国の貴公子」と人気があったのだとか。
ライさん自身は「黒歴史だ……」と落ち込んでいたが。
「ここに来るのは、父上の指示だ」
「だったら普通にそう言えば良いのに……婚約者とかややこしい事を言わないでほしいな」
「それだけじゃ、面白くないだろう?」
ライさんは彼の言葉にため息を吐いている。きっと以前も彼に振り回されていたのだろうな、と察する。
「元婚約者候補、と先程仰っていましたが……キャメロン様が主導で交渉されていたのではございませんか?」
多分、ハリソンとの婚約が白紙になった後に婚約を……と考えていたのだろう。帝国との絆を結ぶと言う意味で政略としては、最高の条件であるに違いない。
ルイさんは「ほう」という言葉とともに、驚いた顔でこちらを見る。
「その通りだ。キャメロン殿が亡くなって、その話は立ち消えたそうだ」
「……きっと、この件を引き継ぐ者がいなかったからでしょう……彼の方は何でも一人でやらないと気が済まない方でしたから。特に私の件に関しては王族預かりとされていたようですし」
「ああ。そもそも、打診で終わっていたからな」
やはり想像通りだ。キャメロン様から一度「婚約者の選定はこちらでする」と言われたことがあった。あの後、彼に打診をしたのだろう。
納得した私の顔を見ていたルイさんが、不敵な笑みを見せる。そして私の前に手を差し出した。
「お前が良ければ俺の元へ来るか?」
「「えっ?」」
ライさんと言葉が被ってしまった。
つまり私がルイさんの嫁になれという事か。初対面でこれだけ堂々と言えるのは彼だからなのだろうけれど……多分これは揶揄っているだけだと思う。
それに第三皇子であれば、もう婚約者がいるはず……と考えたところで、遠くでカランと扉の開く音がする。
そういえば、先程爺が「もうお一人いらっしゃるかもしれません」と言っていた。爺が席に居ないということは、きっと彼の知り合いなのだろう。
ルイさんはライさんと話しているので、その音に気づいていないらしい。
すぐに爺と女性の姿が見える。彼女は優雅に、上品にこちらへ歩いてくる。歩くたびに茶色のサラサラとした髪が揺れ、足取りも軽やかだ。そしてそれ以上に驚くべき点は、足音が聞こえない。相当な訓練の賜物だろうと考えていた私と丁度目が合い、ニコリと笑いかけられた。
そんな彼女が口を開くと――。
「はい、そこまで。好みの子に会ったからって、口説くのは止めなさいよ」
私は目を丸くした。ルイさんは帝国の第三皇子だ。そんな彼にそのような口をきいて良いのだろうか……そう心配していたのだが、その考えは杞憂だったようだ。
面倒臭そうな、嫌そうな顔でルイさんは彼女に振り向いた。
「げっ、お前もう来たのかよ」
「勿論。貴方の盾であり、婚約者なんだから来るに決まっているでしょう?私を撒くだなんて、良い度胸じゃない」
婚約者と、こんなにも仲が悪いことがあるのだろうか……?いや、私もハリソン様と同様の関係だったから、何とも言えない。一触即発の空気の中、それを破ったのは頼れる爺であった。
「ほう、シンディア殿を撒いてこちらに来たのですか……それは問題ですね」
「……報告だけはよしてくれ」
「もう、最初から素直でいれば良いのに」
若干ライさんと私は話の展開についていけていないのだが、そもそもなぜ帝国の第三皇子とその婚約者がここに来ているのだろうか。甚だ疑問である。
思わず声に出して尋ねれば、シンディア様は申し訳なさそうな顔をしていた。
「ごめんなさい、自己紹介が未だだったわね。私はこの女たらしの婚約者で、シンディア・ローウェスと言うわ。ローウェス侯爵家の次女で、この女たらしとは幼馴染で、腐れ縁なの」
「……女たらしではない」
「……本当かしら?」
シンディア様は、ルイさんを思いっきり睨みつけている。……前科があるのだろうか。
「私たちが此方に来たのは、陛下の指示よ。愛し子であるシアさんに確認したいことがあるの。そして、今後何かある時に私の力を貸すようにと言われているわ」
その言葉を聞いてライさんが、軽く手を上げた。
「……シンディア様、お聞きしても?」
「ええ、勿論。後……私のことは、ディアと呼んでください。シアさんもね」
了承の意を込めて頭を縦に振れば、彼女は満面の笑みで笑う。それを見たライさんが質問を始めた。
「なぜお二人が此方に?シアさんに確認したいことがあるなら、他の者でも良かったのではありませんか?」
「それは俺が答えよう。ザリバーの件は皇帝預かりの一件になっている。その関係で遠方でもすぐに連絡が取れる手段を知っている俺が此方に出向く必要があったのだ」
「……それは僕に言って良いことじゃないと思うんだけど……」
「お前なら大丈夫だろう。それに漏らしたら、そこにいるバイロンが地の果てまで追ってくるぞ」
「ほっほっほ。その手段を知ろうとしなければ、大丈夫ですぞ」
……帝国の機密をサラッと聞かされてしまう此方の身にもなってほしいのだが。そう思って睨みつけても、ルイさんには効果がないようだ。
話が先に進まないので、私から切り出した。先ほどから精霊さん達も私の周囲に留まっているのだ。もしかしたら、彼女達にも関わることかもしれないのだ。
すると二人は今までにないほど真剣な顔つきで話し始める。
「そうね、ルイ。先にこちらの情報を話しましょうか」
「そうだな。……今から話すのは、王国の状況についてだ。その事で愛し子であるお前に話を聞きたい」
そう言われた私はごくん、と唾を飲み込んだ。
いつも読んでいただきありがとうございます!
明日は王国の状況説明回になります。第三章の7話目の繰り返しになりますがご了承ください。
引き続き、よろしくお願いします。




